不覚の灰柳
陳宮さん視点。
「何故お認めにならないのでございましょうやっ!」
候成殿は頓首の姿勢を崩しませんでした。私は傍らで眺めておりますが、さぞかし心配気な顔をしていることでしょう。きっと。
彼が思うように生きられるほどに、この世界は優しくない。
彼は木杓を持って振り払う呂布殿に負けじと、必死に食い下がりました。それはもう。
――見ていられないほどに。彼の実直さがそうさせるのか?それともただの意地か?
「……黙れ」
「いいや黙りません、士気を上げるためにはこれが最善だ、そう思うからですっ!」
――確かに。一理あります。しかし、直球過ぎるのです。
それほどまでに酒とは士気向上に有用です。それは疑いがないのです。短期的には。
呂布殿は「愚か者」。そう仰って、候成殿のご提言を斬って捨てました。
「減らぬ口だ。鬱陶しい、もう一度だけ言おう……」
一呼吸置き、そしてゆっくりと息を吐いて。
「黙れ、候成」
心底うんざりする。
その眼が、瞳孔が。
物語っておりました。口よりも雄弁に。
「いいやそれでもっ!だまっ……ぐあぁああああああああああああっ」
鈍い音がした。背を打たれたのでしょうか?
あまりに動作が早く、よく見えませんでした。
「黙れと言っているっ!何故解らんのだっ!愚か者がっ!」
何度も何度も。絶え間無く。
「何故何故何故……貴様は解らんのだ?何度同じ事を言わせる気だっ!」
打ち据えられ、苦しみに顔を歪める候成殿。私は――。
「もうおやめください。候成殿には私からしっかり言っておきますので。もう……」
呂布殿は動きを止め、やっと聞こえるくらいの声量で。
「陳宮」
「はっ」
「……いつからお前は俺に意見できるご身分になった?」
「はっ……いや滅相もございません」
私は急いで、拱手の格好を取りました。
――私は何を勘違いしていたのでしょうか?
私はいつから傲慢になったのでしょう?
「そうか……解れば良いのだ」
ふと我に返ったようでした。「人に還った」と言った方が適切かも知れません。それほどまでに獣然としておりました。
「この話は仕舞いだ。下がれ、陳宮。それに……候成、貴様もだ」
「はっ」
候成殿は深く両眼を瞑っているようでした。
無力感。何ができるのか、臣下としてできることはいかにも少ないような気が致します。
「……はっ。申し訳ございません」
「もう良い。下がれ」
呂布殿が立ち去ったしばらく後のこと。
「小生はどうすれば良いのだ……?やはり……」
思案顔の候成殿。
見慣れているはずだというのに、私はこの時一抹の不安を抱いたのです。
「陳宮殿。先程は助かり申した。感謝する」
頭を垂れる候成殿。私と似ているからこそ。放っておけないのかもしれません。
「……候成殿」
「如何致した?」
「無理はしないで下さい。ヒヤヒヤします」
「……そうですなぁ」
この日。
曇空は灰の色を濃くし、城を包み込んでいるようでした。
城下の柳は不思議な程に真っ直ぐ。腕を伸ばし。伸ばし。
曲がってしまった腕を限界まで広げ、不相応にも。
届かない空を求めておりました。
貪欲に。