偽徳の梟雄
ここ数話は過去編ですが、いよいよ三国志演義の主人公が名前だけ登場します(本作では敵扱いなので判官贔屓の方には申し訳ないです)ちなみに梟雄とは「残忍な首領」を意味します。
鼻息荒く、歯をギリギリと鳴らす男がやかましくも捲し立てる。不満なのだろう、あの客将に対して。気持ちは解らぬでもない。
唾がたまに飛ぶのが頗る不愉快だ。
申し遅れた。小生、名を侯成という。以後お見知りおきを。
宋憲氏とはもう長い付き合いになる。関係はたまに鬱陶しくなるほどに良好だ。
「何なのだ、あいつはっ!!」
「……落ち着きたまえよ、宋憲氏。つまらんことで捲し立てるな、大人げない」
「なにっ?いかに貴殿といえども聞捨てならんっ!これが落ち着いていられるかっ!何が……何が『ボクに行かせてください』だ、ふざけるな!!」
「確かに、それはいかにも愚かしいことではあるな。てっきり御大将の下知はそなたと高順氏に下ると思っていた」
不思議なのだ。
最近の御大将のご機嫌が上上であることを差し引いても、まだ余り在るほどに。
少し前に意向を伺った時には宋憲の名が出ていたのだ。従って、公孫瑛殿の願いを汲んだことになる。公孫讃の劉備への恨みは凄まじいものがあるであろうから、一応納得はするが――あの御大将が他人の気持ちを汲むなどとは普通有り得ない。
試しているのか?
「あの忌まわしき恩知らずめに天誅を、と思っていた矢先に下知が下りぬとは……どうしても納得いかん。どうにかならんのか……ぐぬぅ」
劉備玄徳。鼠顔で大耳を下げた――なんとも奇天烈な格好をした男だった。相見えたのは一度切りだったが。
曹操に破れ、行き場を無くしていた所を救ってくれた恩には感謝するが、その後がとにかく酷かった。酷すぎた。
劉備は当時苦しんでいた。まさに内憂外患だった。
領地は賊徒が跋扈し、治安は悪く、また絶えず敵対する袁術の脅威に晒されていた。袁紹派の劉備は反袁術も同然だったからだ。
結果として、御大将を大いに頼んだ。
御大将は劉備の兵を借り、見事ものの1月程で賊徒の殆どを殲滅することに成功した。流石だ。
――だがこれが良くなかった。御大将の名声は留まるところを知らず、民衆の支持を得、ついには太守の劉備を凌駕するまでになった。
つまり、劉備は御大将が邪魔になったのだ。次第に疎ましく感じるようになったのだと思う。
ある頃から「呂」の旗を掲げる軍勢が自領で略奪を働くようになった。
――無論、我らに身に覚えはない。恐らく、劉備玄徳による偽装工作だろう。
御大将を貶める為の。
今でも「徳の玄徳様」などと巷では呼ばれているらしい。さしずめ、偽徳の梟雄と言う方が適当であろうよ?
「……ならないだろうな、一体どうして公孫瑛氏をいたく気に入っておられる」
何でも騎乗の様が非常に美しいらしい。
その様は――まるで天女が昇るようだとまで言われている。
まこと、信じ難きことではあるが。羌族式の馬術を用いることからも、どこか自分に似た部分を感ずることがあったのかもしれない。推測の域を出ないが。
「ぐぬぅ……」
「良いではないか、お手並み拝見といこう」
「……止むを得まい」
「よし、今日は泊まっていきたまえ。遠慮することはない」
「……ここは軍営なのだが」
「……だから?」
「それがしの部屋は隣だから必要なかろう」
「一緒に寝ようではないか、語り合おう」
「……それは遠慮しておく」
「遠慮するなっ」
「……」
「どうした?」
「少し所用を思い出した。ではまた」
ようやくだ。
こうでもしないと居座り続けるのだ。あの脳k……いや、それは言うまでもなかろう。