馬脚の然
「……どうどうどぉー!」
馬の嘶きが聞こえる。駆ける音は軽快で、まさに流麗だった。騎乗の制止の動作にも全く違和感がない。手馴れている。あれは一朝一夕には身につかないものだ。
――羌族式か。
文句を付けて適当に追い出してやろうかとも考えていたが。……残念ながらというか、幸いにもというか。
公孫瑛はやはり面白い奴だった。
「おぉ……なかなかやるねぇ。面白い奴じゃねぇか、なあ飛将軍?」
「その名で呼ぶなと言ってるだろうがてめぇ……公私のケジメは付けろ、でなければ首が飛ぶぞ?」
「怖いねぇ、ウチの大殿は」
「やれやれ」と言いながら首を横に振るこの不敬千万な男の名は張遼文遠という。いわゆる腐れ縁というヤツで、一人目の父の時代からずっと俺に仕えている。「こいつは使えそうだ」と取り立ててやったのが運のツキ、歳を追うごとにかつての初々しさはどこへやら。無礼極まりない悪漢に成り下がっていた。……まぁやはり使えるのだが。そこが更に苛立つ要因である。この性格さえどうにかなればすぐにでも筆頭にしてやるものを……。
「ひとまずは認めよう」
「へぇ?珍しいねぇ、大殿らしくもねぇ」
「馬があれだけアイツに身を委ねているのだ。恐らく、それなりではあるのだろう。ならば俺は馬を信じるまでだ。馬は素直だ。何より裏切らん」
馬は似ている。人間と。
見抜く。
人間を。
心を。
――生き様までも。
「ウマ馬鹿ですねぇ、文字通り」
いつものように意地の悪い笑みを浮かべながら「上手く言ってやった」と言わんばかりのしたり顔だ。つくづく苛立たせる男だ。
「鹿が入ってないだろうが。……お前は文字が解らんのか?馬鹿者めが」
「そりゃあ解りますとも。誰だとお思いで?これでも元従事。文遠君に解らないのはせいぜい女心くらいですかねぇ」
こんなくだらない事を真面目顔で言うのだ。変わった男だ。
「せいぜい可愛がってやれよ……とはいえ、公孫瑛の序列はお前より上だがな」
「女みたいな顔してますからねぇ……はてさてこの文遠に心が解るのかねぇ?」
「女じゃないぞ、くれぐれも間違えるなよ?」
張遼はふと気だるそうに息を吐いた。その白い吐息が浮かんで――やがて消えた。
「……間違えないですよ、文遠君はあいつが嫌いですから」
「あ?」
沈黙。
押しつぶされそうな、そんな重みを感じる岩のような時間だった。
「おぉーい!そこで何いちゃついてんのぉー?がっははは」
あちらからだと距離が遠く、よく見えないのだろう。なんとも空気の読めない遮り方だった。
――否、空気が読めないからこそ、読めていたというべきか。
ややこしい。あまり考えるのは好きではない。性に合わん。
「……何でもないです、公孫瑛殿がお呼びです」
「なんだ?……お前らしくもない」
「行きましょう」
「あ……あぁ」
俺はあの女顔がどうも嫌いになれないらしい。
馬が結ぶ友情。
確かにあるのだ、それは。