7thステージ
「…………」
ダイニングの中央にある、スチール製テーブルのまわりにおかれた安物のイスに座ったアキは、目の前におかれた器の中身をみて硬直していた。
「どうしたの? アキねえ。食べないの?」
チョコが不思議そうに聞いてくる。アキは、どうしたものかと思案しながら、おずおずと聞いた。
「あの……これはなんですか?」
アキのその質問に、三人は顔を見あわせ、ついで視線がアキの前の器に注がれる。
「なにっていっても、ただのおかゆだけど……」
えんりょがちに俊雄がこたえた。その言葉を聞いていたアキは、形のよいマユをよせた。はじめて聞く食べ物だ。
「もしかして彼女、おかゆをはじめて見るんじゃないのか?」
教授がさりげなく言ってみると、アキがこっくりとうなずいた。
「…………」
静寂が四人をつつむ。
「ア、アキねえ。たべられなさそうなら、むりしなくてもいいよ」
チョコが心配そうに話しかけてくる。アキはチョコの方を見てから、器の中身に視線を戻すと、一言たずねた。
「ねえチョコちゃん。もしかして、あなたが作ってくれたの?」
その問いに、チョコはうなずいた。
「うん……そうだけど……」
それを聞いたアキは、目の前のスプーンを手に取ると、おかゆをすくって口へと運んだ。
「…………」
アキ以外の三人は、その様子をじっと見つめていた。白い粒が程良いやわらかさになっており、まぶされた塩の味と、にじみ出るほのかな甘みが、みごとにブレンドされている。
「ん。おいしc」
アキのほほえみに、チョコの表情が、ぱあっと明るくなる。
「えへへ、ありがと。アキねえちゃん」
その様子に教授と俊雄の表情も、やわらかくなった。
「いいえ、こちらこそ」
チョコの笑顔にアキも笑顔をかえす。アキは、おなかがすいていると言っても、さほど食べられるわけでなく、おかゆを食べ終わると、あとはコップにぬるめのお湯をもらっていた。
教授にしろ、チョコにしろ、アキの見たことのない食べ物を口にしていた。もちろん、俊雄もだ。
スチールの器に、白く細くなったラグビーボールのような粒がたくさん入っている。それぞれに粘性があるようで、くっつきあっており、三人とも、二本の棒を指の間にはさんで器用に動かしながら、ひとかたまりすくって口に運んでいる。テーブルの中央におかれた大きいな器の中にあるサラダもそれで取っているのだ。
アキがその様子を物珍しげに見ていると、チョコが気付いて、二本の棒を動かしてひらいたり閉じたりしてみせる。
「こら、チョコ。箸で遊ぶんじゃない」
チョコの様子に気付いた俊雄が注意する。
「はあーい」
チョコは、すこしつまらなそうに食事に戻った。
「それ、ハシっていうんですか?」
アキは俊雄にたずねた。
「ん。ああそうだよ。なれればけっこう細かい作業とかもできるようになるんだ」
そう言って、器の中の小さな粒を、ひとつずつつまみ上げては口の中にほうり込んでみせる。
「へ~~。ちょっとかしてみてください」
その様子に興味を持ったアキは、俊雄に頼んでみた。食べ終わっていた俊雄はなんの気なしに自分の使っていた箸を渡した。
それを受け取ったアキは、見よう見まねで指の間にはさんでみるが、うまくいかない。
「ちがうよ~アキねえちゃん。いい……?」
アキはしばらくチョコに教えてもらっていたが、簡潔でとてもわかりやすくて、ていねいな教え方で、アキは感心してしまった。
「あとはね、ゆびのうごかしかたで、いろいろともちあげたりとかしたり、やわらかいものにさしこんで、ひきさいてみたりとかできるんだよ」
チョコはニコニコ笑いながら説明を締めくくった。最初はちから加減がわからず、落としたり、つぶしたりしてしまっていたが、チョコに教わりながら、二度三度とやるうちに加減がつかめてきた。そうしてうまく白い粒をつかむことができたアキは、うれしくなってそのまま口の中にはこんだ。
「ん~~~c 出来たあ!」
うれしくなって、ついはしゃいでしまう。
「ほー。うまいもんだな。それと飲み込みも早い」
横でそれとなくながめていた教授は、素直に感想を述べた。
「先生がいいからですよ。ね、チョコちゃん」
「えへへ……」
ほめられたチョコは、食器をかたしながらニッコリ笑った。その姿がキッチンの方へと消えるのを見届けてから、真剣な表情で、アキが口をひらいた。
「では……お話しします」
「なんだと!! ふざけんなっ!!!」
とつぜんわき上がった俊雄の怒声に、チョコは飲み物を乗せたトレーをひっくり返しそうになった。
「あの……」
消え入りそうなチョコの声に、俊雄がハッとなる。そのむこうでは、悲しそうに顔を伏せたアキと、真剣な表情の教授がいた。
チョコは、せっぱ詰まっているようなその雰囲気を察して、トレーをテーブルにおくとキッチンの方へ足を向けた。
「ごめんな……チョコ……」
背中にかけられた俊雄の謝罪に振り向いたチョコは、すこしほほえみながら無言で首を振ると、キッチンの奥へと引っ込んだ。
それを見届けた俊雄は、ため息をつきながらゆっくりテーブルに向き直った。
「つまり……君はゲームをしていたのだと言うんだね」
チョコがいなくなるのを見計らって、教授が口をひらいた。
「そうです……ゲームの名称はV-ウォーズ。ヴァーチャルリアリティの戦争ゲームです……」
アキはうつむいたまま答えた。
「そんな……ゲームだなんてそんな……そんな事って……ある……あるのかよ……」
俊雄は、拳が白くなるほど強く握りしめていた。目には涙がたまっている。悔し涙だった。
「いままで……いままで必死で戦ってきて……おやじもおふくろも妹だって死んじまって…………それが……それがゲーム? こんな……こんな事ってあるかよ……おやじも……おふくろも……仲間たちもゲームで死んじまったっていうのか? いままで必死で戦ってきたのが、全部ゲームだって言うのかよ!」
俊雄の両のまなこから大粒の涙がこぼれていた。教授は、渋い表情でたばこに火をつけた。その隣で顔を伏せたアキは、なにも言えなかった。
「俊雄……もういいだろう? 話を続けてもらうぞ。彼女は貴重な情報源だ」
教授は淡々とつづける。その言葉に俊雄は無言でうなずいた。
「アキさん。つづけてくれるかな?」
うながされたアキは、決然とした表情で顔をあげると、答えた。
「はい」
アキは、知りうる限りのことを話した。それがすべて真実であるのかどうか定かではなかったが。
「そうか……いや、よくわかった。よく話してくれたねアキさん」
「いえ、こんな事で償いになるとは思えませんし……わたしで役に立つことがあれば、なんでも言って……」
「おまえに、なにができるって言うんだ!!」
アキの言葉をおおきな叫び声で遮った俊雄は、そのまま席を立って、足早に部屋から出ていってしまった。
横目で見ていた教授は、ショックで沈み込んでしまったアキに声をかけた。
「まあ、ゆるしてやってくれ。あいつもわかっているんだ。君に当たっても、どうにもならないって事ぐらいはね。でも、まあ、なんだ、俊雄はまだ若い。怒りのやり場がなくて、つい君に当たってしまったんだろう」
そう言ってやわらかくほほえんで見せた。
「わかります……いえ、わかると思います」
自分は俊雄ではないし、そんな目にあったこともない。だから、軽々しくわかるなんて言ってしまうのは、いけないことではないのではないか。
そんな風に思う。
「わたし……これからどうしたらいいんでしょう。もしわたしが彼の立場だったら、もう絶望しているかもしれません。それなのに、彼を元気づけてあげたいって、そう思ってしまっているんです」
アキのまなじりから、ぽろぽろと、輝きが落ちていく。教授は、深く吸い込んだたばこの煙を大きく吐き出した。
「俊雄のことは気に病む必要はないさ。これは君がどうこうというより、彼自身が結論を出すべき事なんだ。君には君の背負うべきものがあるように、俊雄には俊雄の背負うべきものがある。そういうことさ」
そういって、アキの頭に手を置いた。
それに、おれもな……。教授は、隣にいるアキにも聞こえぬ小声でつぶやいていた。
そんな彼の大きな手の温もりをかんじながら、アキは涙を流しつづけた。
「バカだ……おれは……」
アキに当たってもしかたない。それはわかっているつもりだった。だが、胸の奥でうずまく黒い怒りが、自分を叫ばした。部屋から飛び出したのは、そんな自分が恥ずかしかったからだが、別の態度に取られてしまっているかもしれない。
俊雄は、疲れたようにへたり込みながら、はげしく後悔していた。もちろん、100%しんじられるほど人はよくない。だが、あの涙の跡が虚偽であるとはしんじたくはなかった。
「しんじて……いいのかな……おやじ、おふくろ……」
俊雄は虚空に向かってつぶやいていた。
それは自分で決めなければならないことだ。こころの中でだれかが言った。
「トシにい……」
いつの間にかチョコが隣に座り込んでいた。
「なんだよ」
俊雄は照れ隠しに、すこしだけぶっきらぼうに応じた。
「アキねえは、いいひとだよ……それは、ふつかのあいだ、いっしょうけんめいかんびょうしてたトシにいが、いちばんわかってるでしょ?」
俊雄は内心で動揺した。とても八才とは思えない洞察力だ。たしかに、この二日の間、彼女の看病をしていたのは俊雄とチョコだ。しかし、教授は、街へと診察に出るし、チョコは家事の方もやらねばならないので、必然的に俊雄がアキの面倒を見ることとなっていた。彼女は、その間もこんこんと眠りつづけながら、涙を流したりしていることがあった。
あの涙は作り物なんかではない。
俊雄の中で確信めいたものがあった。だが、だからといって、あんな事を聞いてしまうと、怒りがわかぬはずもない。
「だからって、あんな言い方をするこたぁなかったんだよな」
そう言って俊雄はため息をついた。どうすればいいのだろう?
「あやまればいーのよ」
俊雄の思いを見透かしたように、チョコが口をはさんだ。これで八才なのかと思うと末恐ろしい。
「やれやれ、おまえにはまいるよ。その通りだ。謝らなくっちゃな」
チョコの頭に俊雄の手が乗った。そのあたたかさに、彼女はにっこりほほえんだ。くしゃくしゃと頭をなでられて、気持ちよさそうに身をよじる。
「えへへ」
その時ふたりは、ほんとうの兄妹のように見えた。
あやまろう。
俊雄はそう決心した。決意してしまえば少年の行動は早い。
「よし、ちょっと行ってくるよ」
そう言って、すばやく動き出す。
「うん」
足早に歩み去る俊雄を、チョコは笑顔で見送った。しかしそれは、ほんのちょっぴりさみしさを含んだ笑顔だった。
俊雄が部屋に戻ると、そこには教授が一人でたばこをふかしていた。俊雄は、少女のすがたを探した。
「教授、彼女は?」
その質問に、教授はニッと笑った。
「ふっきれたのか?」
その言葉に、俊雄は苦笑いしながら首を振った。
「そんな簡単に割り切れるもんじゃないだろ? だけど、あゆみよるくらいはできるとおもってさ……」
その顔は、不思議と晴れていた。教授はまぶしそうに目を細めてうなずいた。
「そうか、彼女なら表に散歩に出たよ。危ないから、とは言ったんだが、この世界を見てみたいそうだ」
「なんだって! 彼女、ここがどこだかわかっていないんだろう? 危ないじゃないか!」
俊雄はあわてて玄関へと走っていった。
青春だねぇ。
教授は、俊雄に気付かれないようにひそかに笑っていた。
アキは、家から出てフラフラ歩いていた。最初は足許がおぼつかなかったが、だいぶなれたらしく、いまはへいきで歩いている。家のまわりは、芝生で覆われていて緑が多いが、数メートル先はすでに荒野がはじまっている。そのむこうには、背の高い建物がいくつか見えているが、途中にもかなりガレキの山があるようだった。
「戦いの……爪痕か……」
アキは表情をくもらせた。と、とつぜん、頬をなでられた。
「かぜ……」
なびく髪を気にする出なく、目を閉じる。風の中にふくまれた香りが鼻先をくすぐる。
「かぜに……においがある?」
アキはその事実に感動した。シティ1stでは、かぜににおいを感じたことはなかった。
「なんの……においなんだろう。不思議、なにかいろいろなにおいが混じっている感じ……」
うれしくなったアキは両手をひろげると、かぜに合わせるかのように軽やかにステップを踏みはじめた。
「♪……♪♪…………♪……♪……♪……c」
口元から、ながれるように、リズムが紡がれていく。だが、かぜがやむと同時に気配を感じて振り向いた。
少年は、軽やかなステップを踏んでいる少女の姿に、ただただ見とれていた。
「と、俊雄……くん……?! い、い、いつからそこに?」
アキは真っ赤になってたずねた。
「あー、ちょうど踊り始めたころからかな?」
照れたように頬をかきながら少年は答えた。顔の温度は増すばかり。
やだ、ヘンなとこ見られちゃった。
アキはひたすら赤面するばかりだ。
「プックッ、クク、ふふ、あははは」
とうとつに笑い出した少年を、赤面したままのアキはほうけたように見ていた。
「な、なな、なによ! 笑うことないじゃない!」
思ったより大きな声だったが、少年は気を悪くするでもなく、笑顔で応ずる。
「ゴ、ゴメンゴメン。なんかさ、楽しそうだったからさ、つい……ね」
そう答える少年はとても楽しげだった。アキもつられて、顔に笑みが浮かぶ。
「もう、俊雄くんったら……フフッ、あはは」
ふたりは、まわりを気にすることなく笑っていた。笑い声に伴奏をつけるようにそよ風が吹く。そのやさしさに、ふたりのほほえみは尽きることがなかった。
「そっちを見ててもあまりおもしろいモンは無えよ」
そう言いながら、少年は後ろをむいた。家の背後は、草原と森、そして小高い山がある。
「は~~。すごいわね」
アキは素直に感心した。
「そんなにめずらしいか?」
アキの様子に俊雄がたずねる。
「うん。シティ1stには高層ビルしかないし。植え込みの木とか公園の木とかしか見たことないかな? あとは、ヴァーチャルワールドで仮想現実としてなら、森も、湖も、山も知っているんだけど、これって本物よね?」
すこし奇妙な質問に、俊雄は苦笑しながらうなずく。それを見たアキは、すこし興奮気味に、
「うん。本物を見るのは、初めてだなぁ」
と、つぶやきながら山や森に見入っている。その様子を見ていた俊雄はあることを思いついた。
「近くまで言ってみるかい?」
なにげに声をかけてみた。アキは、えっ? となって俊雄を見つめる。
「いいの?」
その問いに、少年は肯定のサインを出した。それを見たアキは、細身の体いっぱいに、輝きを押し込んではじけたようになった。
「ぃやったああぁぁ!!!!」
俊雄にしてみれば、どうしてこんなにうれしがるのかわからないが、彼女の笑顔が見られるのならそれでも良いようだった。
「じゃあ、おれは裏からランドヴィーグルをまわしてくるから、すこしまっててくれ」
そう言って歩き出す少年の背中を、アキは見送った。そして、荒野を振り返り、胸を詰まらせた。
なにが原因なのだろう? こんな、シティの住民をだまして戦争をさせるなんて……あまつさえ、その対象は、技術レベルの低い異世界……。一体、どういう理由で?
うずまく疑問は解けない。
一体自分のまわりでなにが起きているのか。それすらもあやふやだ。
わたしは、これからどうすれば良いのだろう。これからどこへ行けば良いのだろう。
答えるものはいない。ならば、自らが決めるしかないのだ。




