↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虐げられた小狸姫は冷徹軍神さまの番  作者: 百合川八千花


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
33/43

33「雲隠れの月」

 公爵家の矜持がなせるのか、あれだけの騒動があってもお茶会はつつがなく終了した。

 私の覇気を浴びて倒れ伏したヴィルヘルム様は、体調不良ということで、密やかに男爵邸へと送り帰された。

 元凶である貴子様は顔色一つ変えず主催としてお客人をもてなし、茶会は大成功で終わったと言えるだろう。

 貴子様に言いたいことは沢山あったが、証拠もない状態では責めても無駄だろう。冨佐子様とは違い、直接的な手に出ないところが恐ろしくて、厄介だった。

 西日が差したころに、お茶会は和やかな雰囲気で終わりを告げる。来客たちは護衛と共に公爵邸を去り、そのまま鷹島さんも獅子王さんも家を離れて行ってしまった。


「結局あの後、鷹島さんとはまともに話せなかったな……」

 

 部屋の隅に置かれた柱時計が、カチ、カチ、と冷たい音を刻んでいる。

 今頃彼は何をしているだろうか。体調は元に戻ったのか。もめ事に巻き込まれただけの彼が、軍内で叱責など受けていなければいいが。

 明日にでも軍に陳情しよう。男爵令息の起こした事件だと、公爵令嬢の私の話なら聞く耳を持ってくれるかもしれない。

 私は、寝間着の胸元をぎゅっと握りしめ、障子をあけて暗い庭園を見つめていた。

 裏庭での、凄惨な光景が目に焼き付いて離れない。

 ヴィルヘルム様から投げつけられた、呪いのような言葉の数々。それに無抵抗で耐え、殴られ続けていた鷹島さんの昏い瞳。彼がこれまで、どれほどの屈辱と絶望をひとりで抱え込んできたのかを知って、胸が痛んだ。


『エスα』——


 ヴィルヘルム様は、私をそう呼んだ。

 かつて冨佐子様が、「他者のヒートやラットすら自在に操る、人類の上位種」だと恐れと共に語っていた、神話のような存在。

 自分がそんな恐ろしい怪物だなんて、まだ信じられない。

 ただ、大好きな人が理不尽に傷つけられるのが許せなかった。彼を守りたい、彼の敵を排除したいという、強烈で純粋な愛情と怒りが、あんなにも巨大な力となって溢れ出したというのだろうか。


「私、なんなんだろう……」


 私は自分の両手を見つめた。

 ヴィルヘルム様の威圧を吹き飛ばし、鷹島さんの腫れた頬に触れた手。私の指先が触れた途端、彼の傷がみるみるうちに癒えていった、あの不思議な感覚。

 この力が、どうか彼を傷つけるものではありませんようにと、祈らずにはいられなかった。


「小夜子。虫が入るわ、そろそろ戸を閉めなさい」

「お母様……」

 

 不意に声がして、母のちゑが静かに部屋に入ってきた。

 母は私の青白い顔を見ると、心配そうに眉を下げて歩み寄り、冷え切った私の手をそっと包み込んでくれた。


「顔色が悪いわ。お茶会で何があったの?」

「……それは」

「アドラー男爵令息が倒れられた時、あなたが取り乱していたと聞いたけれど」


 母には、どこから話せばいいのかわからなかった。

 鷹島さんがヴィルヘルム様から暴行を受けていたこと。私がαを超えた怪物かもしれないこと。言わなくても母の耳にはすでに入っているだろう。

 けれど母はそれ以上は追及せず、ただ私の背中を優しく撫でてくれた。


「結局、鷹島殿とご挨拶はできなかったわね」

「そう、ですね……お忙しそうだったので……」

「次会えるのは結納の時かしら。私は出席できないけれど、その後の食事会で会いましょう」

「はい! 鷹島さんも、お母様にご挨拶したいと仰っておりました」

 

 母の温かい手が、私の頬をそっと撫でる。

 

「……母は、いつだってあなたの幸せを願っていますからね」

 

 母はそう言うと静かに部屋を退出していく。

 一人取り残された部屋で、私は改めて障子を閉め、布団へと潜り込んだ。

 目を閉じれば、すぐにでも鷹島さんの若草色の瞳が浮かんでくる。明日は軍に赴き、彼が理不尽な目に遭っていないか確かめよう。そして、彼を苦しめるものから、今度こそ私が彼を守るのだと。


 チク、タク。チク、タク。


 闇に包まれた部屋で、時計の針の音だけが響く。

 薄い雲が月を隠す夜。屋敷はまるで死んでいるかのようにしんと静まり返っていた。


(……なんだろう、この胸のざわつきは)


 決意を固めたはずなのに、なぜか眠りにつくことができない。

 不気味なほどの静寂が、私の胸の奥に渦巻く嫌な予感を、どす黒く膨れ上がらせていく。

 風が窓を揺らす音や、夜の静寂が深まるたびに、彼に何かあったのではないかとびくりと肩が跳ねる。


 ——その時だった。


 静まり返った本邸の廊下に、不釣り合いな足音が響き始めた。

 すり足で歩く使用人たちの気配ではない。軍靴の重く硬い足音。

 その音は迷いなく、真っ直ぐに私の部屋へと近づいてくる。


(鷹島さん……?)


 いや、違う。彼なら、こんな夜更けに押し入ってくるはずがない。

 そもそも、こんな時間の私への来客など、門番が通すはずがない。

 けれど足音は迷いなくこちらへ近づき、障子の向こうでピタリと止まった。


「小夜子さん。夜分遅くに申し訳ないね」


 透き通るような、穏やかな声。

 深夜の男性の来訪だというのに、危機感を感じさせない優しい響き。


「伊津名、少将——?」


 慌てて障子を開けると、そこには穏やかな微笑みを浮かべた伊津名少将が、たった一人でそこにいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。