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虐げられた小狸姫は冷徹軍神さまの番  作者: 百合川八千花


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01「許されざる関係」

男女Ωバースものです。感想などいただけると大変うれしいです!

「あなた……は……」


 震える声が、四月の乾いた空気に響いた。

 からりと晴れた春の日だった。

 窓の外では若葉が風に揺れ、病院の中庭を白い蝶が飛んでいる。それなのに、この部屋だけが雨季の温室のような、異様な熱と湿り気に包まれていた。

 東京衛戍(えいじゅ)病院——陸軍の傷病兵を収容する病院の一室。

 親同士が決めた政略結婚、その婚約者が通院していると聞き、挨拶に訪れた私を待っていたのは、凄絶な熱気だった。

 

 軍人が私の前に膝をついている。

 金色の髪が荒い息と共に上下に揺れる。黒い眼帯が右目を覆い隠していた。

 

「金色の鷹」——その美しい姿は、新聞で何度も見たことがある。

 日本人離れした金色の髪に、若草色の瞳。すっと通った鼻筋に、高い背丈。

 日露戦争の英雄。二〇三高地で右目を失いながら、奉天会戦まで戦い抜いた陸軍大尉。軍神・鷹島シヅヲ。

 その人が今、床に片手をつき、体を震わせている。

 

「ご、ごめんなさい……私……」


 私は立ち上がった。

 けれど、扉へ向かおうとした途端、鷹島さんの手が私の袂をつかむ。


「いい」


 低く掠れた声だった。

 普段なら一個中隊を動かすであろうその声に、今は命令する力が残っていない。

 甘く儚い囁き声に頬が赤くなる。それどころではないというのに、蠱惑的な芳香と声に、あってはならぬ思いを抱いてしまいそうだった。


「何もしなくて、いい……」


 鷹島さんは、床へ落としていた顔をゆっくりと上げた。

 眼帯に覆われていない左目は、夏の日を思わせる若草の色をしていた。

 その瞳が私を捉えた瞬間、心臓が大きく跳ねる。


「これは、Ωのヒートだ」


 一瞬、言葉の意味が分からなかった。

 Ω——それは人を誘惑する第二の性。

 この国において、Ωとは「理性を欠いた獣」と同義であった。

 周期的に訪れる発情期によって本能に支配され、強いαの香りにあてられれば、自らを制御することすら叶わない。ゆえに世間はΩを、学問にも政にも向かない「劣った性」として蔑んだ。

 彼らに唯一与えられた役割は、優秀なαの血を残すための「産む道具」となること。己の意志など介在しないまま、Ωは人間としての尊厳を奪われ、ただ所有されるだけの生涯を送るのだ。

 目の前にいる軍神が、国の英雄が、そんな哀れなΩの訳がない。

 

(けれどこの香りは、私を誘っている——!)


「離れ……なければ……」


 鷹島さんはそう言いながらも、袂をつかむ手を離せないでいる。

 震える手で必死に手を開こうとするが、できない。ヒート——Ωの発情が体を支配しているのだ。

 

「鷹島さん……」

 

 何か声をかけようとした時、彼の手が強く私の袂を引いた。

 熱に浮かされた重い身体が、私を巻き込むようにして崩れ落ちる。

 どさりと音がしてベッドに倒される。

 安いスプリングが軋んで、真っ白な天井が目の前に広がった。

 押し倒されているとわかったのは数秒経ってからだった。

 

「この……ヒートは……」


 私の体にまたがるようにして、鷹島さんは低くうめいている。

 真っ白な肌に汗の球がにじんでいて、ぽたりと私の肌に触れた。

 じく……と、玉の汗が触れた部分が熱くなる。

 男性に押し倒されているというのに、不思議と危機感はなかった。

 

「あなたのα性に、あてられている……!」

 

 それは、この発情が——私が誘発したものだから。

 言葉と同時に、私の身体の奥底で、何かが爆発したように熱くなった。

 ドクン、と心臓が跳ね、血液が沸騰する。

 私は、第二の性に目覚めてすらいない、ただの出来損ないのはずだった。それなのに、今の私の体は飢えた獣のように目の前の美しい男性を求めている。


「あ、う……っ」


 鷹島さんが、耐えかねたように声を漏らした。

 大柄な彼の身体が、崩れ落ちる。最後の理性で耐えていた腕が崩れ、私の上に折り重なる。

 それでも無体はするまいと、彼は己の唇を血が出るほどに噛み締めて劣情に耐えている。

 

 私のフェロモンが、彼を狂わせている。


 視線が交わる。

 組み敷かれているのは私なのに、彼を見下ろしているのは、私の本能だった。

 男女の性など、この熱の前では何の役にも立たない。

 この場においての捕食者は、今まさにαとして目覚めた私で、目の前で荒い息を吐く軍神は、私の許しを乞うΩだ。


 彼の、無防備に晒された白い(うなじ)が見える。

 あそこに牙を立てたい。噛みついて、血を流させ、私の所有物だと印をつけてしまいたい――。

 おぞましいほどの独占欲が頭をもたげ、私は自分の本能の凶暴さに恐怖した。


「たか、しま……さん……」


 明治の世において、女性は女性らしく、男性は男性らしく振舞うことが強く求められている。

 Ωの軍人などあってはならない。彼の存在は許されない。

 αと振舞う女性は慎みがない、男性の項に噛みつくなど許されない。


「わたしは……」


 決して許されぬ身分の差。

 私たちの婚姻は、破綻から始まっていた。


 どうしてこうなったのだろう。

 熱に浮かされた頭で必死に記憶をたどる。思えば、出会った時から私たちは少しおかしかった。

 男のΩと、女のα。

 世間では決して認められぬふたりが出会ったのは、今から数年前のことになる——

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