第二十七章 一行の返答
朝の監査ログは、薄い紙の束になっていた。
“生”に寄せた運用ログは、いつも量で殴ってくる。
量は人間を雑にする。雑さは穴になる。
佐伯は束をめくらず、端末の差分表示だけを見る。
差分は短い。短いほど危ない。
保全区画:規則的な痕の変化(継続)
ログ:有り(自動)
署名:機体側
付随:文字列(未分類)
未分類。
未分類は便利だ。便利は何でも飲み込む。
飲み込まれたものは、後から札になる。
佐伯は外部監査官を呼ぶ前に、紙を一枚用意した。
タイトルは短い。
未分類:文字列(機体側)
紙は窓枠になる。窓枠があると、後から「見ていない」が言いにくい。
保全区画。
前回と同じ扉、同じ二重の音。
同じなのに、空気が違う。違いはたいてい人間のほうにある。
監察官が同行していた。
今日は隠さない。隠すと疑われる。疑われると例外が増える。
「時間は一時間」
監察官が言う。
佐伯は淡々と言った。
「期限は紙にしてください」
監察官が渋く紙を書いた。
立入(一時間)
目的:運用事象確認
記録:監査ログ(全文)
渋い紙が増える。
増えるほど、動きは遅くなる。遅くなるほど、札になりにくい。
機体の側面。
例の規則的な痕がある場所に、カメラではなく“センサー”が置かれていた。
技術の匂いがする。匂いがするほど、窓から外したがる。
主任が言った。
「触れていません。距離を取って観測しているだけです」
監査官が言う。
「観測手順のログは」
主任が答える。
「自動で残るようにしました」
佐伯は心の中で数える。
自動、という語は信用しない。自動は“誰も責任を持たない”の別名になりやすい。
監察官が言った。
「文字列を見せろ」
主任は端末を操作する。
画面に、短い一行が出る。
例外に上限を。雛形に履歴を。署名を札にするな。
日本語だった。
機体が日本語を喋るのは変だ。
だが変さは、ここでは主題ではない。
主題は“内容”だ。
外部監査官が、黙ってその一行を読む。
そして淡々と言った。
「技術ではありません」
主任が言う。
「でも、どうやって——」
監査官が返す。
「どうやって、は窓口の外です。これは運用への要求です」
監察官が言った。
「要求? ただのノイズだ」
佐伯は淡々と言う。
「ノイズにしては、こちらの論点と一致しすぎています」
一致しすぎるものは、罠か、返事だ。
返事なら窓がある。罠なら穴がある。
AO−3の顔が浮かぶ。
「削除は音がする」。
この一行は、音そのものだった。
合同室。
一行は、紙になった。
紙になった瞬間、争いの形が変わる。
主任が言った。
「機体がこちらの用語を使うのは不自然だ。誰かが書いたのでは」
監察官が言う。
「内部の工作だ」
大佐が言う。
「外部の干渉だ」
外部監査官が淡々と言った。
「原因の決め打ちは、例外を増やします。まず運用として処理します」
佐伯が言う。
「この一行を、運用基準に埋め込みます」
監察官が眉を動かす。
「埋め込む?」
「命令ではなく、制約として。すでに我々が掲げた条件の再確認です」
監察官が言う。
「制約が増えるほど、現場は遅れる」
佐伯は淡々と言う。
「遅れるほど、札になりにくい」
大佐が言う。
「札、か」
佐伯が頷く。
「機体が札になる前に、札化を禁じる文言が来ました。皮肉ですが、助かります」
監察官が言った。
「誰が送ったかが問題だ」
外部監査官が言う。
「送った“誰か”を札にすると、まさに文言違反です」
監察官が黙る。
黙ったとき、紙は少し強くなる。
その夜、地下区画。
佐伯はAO系列と《アオ》に、一行を見せた。記録は“あり”。
AO−2が言った。
「返答だ」
「誰の」
AO−2は淡々と言う。
「外部の第二系統」
佐伯は一拍置く。
「確信できますか」
AO−2が言う。
「確信ではない。干渉安定性の言い方だから推定できる」
推定。
断言しない。断言しないのが、彼らの契約だ。
AO−3が言う。
「一行で音を出した。音が大きいほど、消すのが難しい」
AO−1が淡々と言った。
「だから次は、消しに来る」
佐伯が言う。
「誰が」
AO−1は短く言った。
「内側」
内側。
内側はいつも速い。速いものは最適化に向かう。
最適化は、この一行を邪魔だと思う。
《アオ》が静かに言った。
「返答は窓を開く」
佐伯が言う。
「窓を開けると副作用が出ます」
《アオ》は言った。
「副作用は、窓が効いている証拠だ」
効いている。
効いている薬ほど、副作用が出る。
副作用を恐れて薬をやめると、病気が残る。
翌朝、合同室の掲示板から、紙が一枚だけ消えていた。
消えたのは、あの一行を印刷した紙だった。
剥がした跡がない。
音がしない。
音がしない削除は、いちばん怖い。
佐伯は、何も言わずに、同じ紙をもう一度貼った。
今度は端に、小さく番号を書いた。
1/2
紙の複製は、監査ではない。
だが削除に音を出させる、最低限の手順だ。
外部監査官が来て言った。
「消された?」
佐伯は淡々と言う。
「消されました。だから増やします。音が出るまで」
監察官が廊下の奥から言った。
「余計な騒ぎを起こすな」
佐伯は返す。
「騒ぎではありません。運用です」
穴は静かに開く。
紙は静かに塞ぐ。
札は派手に増える。
佐伯は派手を避け、静かに紙を貼った。
返答は消されるたびに、別の場所から戻ってくる。
戻ってくる限り、窓はまだ生きている。




