第9話 新たなる標
### ギルド入口
初級冒険者証を受け取った翌朝。カゲトは旅支度を終え、ギルド入口で待っていた。昨日までの特訓で酷使した腕は軽い痺れがあったが、心は不思議と晴れやかだった。(ようやくスタートラインに立てた)革袋に詰めた干し肉と水筒。背中に新調した短剣一本。それが今の彼の全てだった。昨晩ステラから渡された古い方位磁石をポケットの中で確かめると、緊張が和らいだ。
「お待たせ〜!」
背後から明るい声。振り向いた瞬間、息が止まりかけた。
ステラは既に装備を整えていた。白銀の胸当てに薄紫の外套を羽織り、腰に実践用の杖を下げている。問題はその立ち姿だった。旅支度で少しばかり背筋が伸ばされたのか、あるいは実際に成長期が続いているのか――彼女の頭頂部は以前よりも確実に高くなっていた。改めて差を自覚すると胸が締め付けられた。けれど彼女は当然のように手を差し出す。
「さあ行こうか。まずは街道を東へ進めば安全だし、途中で魔物退治の任務も探せそう」
「ああ……」
小さく答えるしかないカゲト。
(落ち着け……仕事だぞ!)必死に鼓動を鎮めつつ荷馬車の引く道へ足を向けた。
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### 街道沿い
午前の光が草原を照らすころ。森の縁を迂回していると前方で異変が起きた。
「あれは……」ステラが眉をひそめる。
枯れた樹林帯の奥で蠢く黒い影。五匹ほどの牙狼〈ファングウルフ〉が群れを成し獲物を探していた。小型ながら獰猛で群れると侮れない。
「私が前衛に出るよ」
ステラが杖を構える。が、カゲトは一歩踏み出した。
「いや……今回は俺がやってみる」
「え? 大丈夫なの?」
彼女の瞳が僅かに揺れる。けれどそれ以上の制止は来なかった。
「頑張ってね」
その一言と共に微笑みが添えられる。単純な励まし。それだけで胸の奥から勇気が湧いてくる。
(昨日までのように……無駄を捨てて……)
剣を抜き鞘鳴りが響く。刃渡り五十センチ余り。小さな獲物には十分な長さだ。
牙狼たちは即座に殺気を嗅ぎ取ったらしい。地鳴らしとともに散開し三方へ包囲を始める。
カゲトは呼吸を整える。胸骨を意識して浅く深く。
――右脚半歩前。左手で刀身の根元を引きつけ右手は柄頭。
――体重移動を最小限に留める。無駄な筋肉消費をゼロへ。
(そうだ。昨日と同じく……鏡のような動きで!)
最初の一撃は奇襲だった。最も近い一匹が飛び込んで来た刹那
――カゲトの動作は水面を波立たせない魚のごとく滑らか。
最小限の腕の捻りのみで切っ先が牙狼の頚椎を薙いだ。「キャン!」呻きも短く転がり落ちる躯。
他の個体が怯んだ。群れは本能で弱者を嗤い強者を避けようとする。
だが逃げる者は皆無だった。
(来る……!)二頭が左右同時に挟撃へ転じる。視界狭窄が起こらないよう目蓋を閉じかける寸前で開く。
――正面から来た一体を左半身でいなし足払いを仕掛け転倒させる。
――そのまま身を返す勢いで背後に迫った一撃を受け流す。
(硬い……! けど)
衝撃を受け止めきれず一瞬蹌踉めくも膝を曲げて耐える。
バランス崩壊直前に背筋を立て直すと今度は逆に肘で脇腹を打った。
「ッ……!」獣臭が漂い鼻孔を突く。痛みより怖さが勝ったが――次の瞬間脳裏に浮かんだのはステラの言葉だ。
『重心をブレさせないこと』
『肘と肩甲骨で導くように』
その記憶がカゲトに冷静さを与えた。
再度構え直す。呼吸は一定。恐怖で荒れるはずの肺は深海生物のように穏やかだ。
(無駄を削いで……鋭利な線を描く)
刃を寝かせたまま前傾姿勢。三頭の牙狼が左右中央へ分散し突進を開始。
――中央が飛びかかる刹那、カゲトの刃が垂直に疾った。
金属片のような切り返しが喉笛を貫通し真紅の霧となって弾ける。――左翼から迫る爪牙を紙一枚の間で回避。――そのまま旋回し右翼へ向かい袈裟斬り。二頭目は断末魔もなく崩れ落ちる。
残る1体はステラが魔法で倒す。
「《ウィンド・バインド》」
清冽な詠唱が風を呼んだ。虚空に浮かぶ銀の粒子が糸状に伸び、瞬時に獣の四肢を捕縛。
抵抗すればするほど締め付けが強まる見えざる枷。「キャンキャンッ!?」
ステラの掌がゆっくりと水平方向へ動く。それに呼応して牙狼は十数メートル空中へ釣り上げられ宙吊りに。
「悪い子」
普段より一段冷たい声色。
「逃げるのは結構だけど……」
杖が円弧を描き地表へ向けられる。拘束陣が螺旋状に収縮し魔獣は悲鳴も許されぬまま落下開始。
ズシャァ——! 地面に叩きつけられた衝撃が土煙を巻き上げた。
「カゲトさん……すごい!」
興奮気味に駆け寄るステラ。外套が翻り銀髪が陽射しに煌めく。身長差ゆえに見下ろされる角度がいつもより強い。
「か……かっこよかったよ!」
至近距離。彼女の吐息が耳朶を掠め体温が伝わる。思わず後退しかけるが、
旅の徒労で汗ばんでいるのか胸当ての隙間に淡い蒸気が立ち昇る。
(ダメだ……集中しろ……!) 心臓が早鐘を打ち咄嗟に顔を背けてしまう。
「……ありがと。でもまだまだだよ」
絞り出した答え。ステラは首を傾げる。
「謙遜しなくていいのに。ねぇ……これからも頼っていい?」
「え……?」
問いかけと共に彼女がさらに半歩近づく。
「わたし……まだ魔法制御が完璧じゃないときもあるから。君の剣があれば安心できるの」
そう言いながらステラは杖を両手でぎゅっと握りしめる。その仕草は意外にも無垢で――年相応の少女だった。
(ステラ……)
胸が熱くなる。彼女もまた成長過程なのだ。大人びた外見に惑わされて忘れかけていた素朴な一面を垣間見る。
(守りたい気持ちは変わらない。)
心臓が再び疼く。けれど嫌ではない。むしろ希望の兆しを感じていた。
「任せてよ。全力でサポートするからさ」
精一杯の笑みを作った。ステラは破顔一笑。その笑顔を見ると自分の中の何かがほどけていくのが分かる。
「ありがとう……お兄ちゃん!」
「お兄ちゃん……」
反芻しかけた単語に苦笑する。だが不快ではなかった。
旅はまだ始まったばかり。それでも確かな一歩を刻んだ感触がそこにはあった。
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### 夜営地 湖畔にて
日没を迎え一行は湖岸の砂地に簡易テントを張った。火起こしの薪を集める間ステラは近くの茂みで川魚を釣りに行っていたらしい。帰還時には両手いっぱいの魚籠を掲げていた。
「わぁ! こんなに採れたよ!」
嬉しそうに掲げられた籠には二十尾あまりの大ぶりな鱒たち。水飛沫が滴る衣装裾に視線を奪われてしまい慌てて目を逸らす。
「濡れてるから乾かさないと風邪引くぞ」
「平気だよ〜。魔法でちょっと温めればすぐに……」
言うなり彼女は焚き木を囲む陣内へ屈み込んだ。青白い炎球が掌上で踊る。衣服越しの肌が淡く透けて見えそうで背筋が粟立つ。
「カゲトさん? 焚き火担当よね?」
「ああ……任せろ」
平静を装いつつ薪へ火種を落とす。ぱちぱちと燃え広がる朱。暖炉のような灯りに包まれてやっと人心地ついた。
(さっきから挙動不審すぎるぞ……しっかりしろ)
自嘲しつつ網焼きの準備に入る。ステラはといえば外套を脱ぎ袖捲りをして魚の下処理に夢中だ。細長い包丁捌きで鱗を削ぎ落とし血抜きを済ませていく。その姿勢になると必然的に豊かな胸部装甲が作業台に載る恰好となり視界に入ってしまう。
(まずい……意識するな……これは食料だ料理の材料だ!)
祈るような念仏を心中で唱えた。
「ねえ、串打ち終わった?」
「あ、ああ終わったよ」
「じゃあ塩漬けして焼いちゃおうか。おなかペコペコでしょ?」
ステラが串を持ち上げて微笑む。その表情は母親か姉のような包容力だった。
カゲトは深呼吸して応える。
「……よろしくお願いします」
「ふふ、いい子♪」
(いい子……か)
年齢差を考えると本来自分が言う側だった筈なのだが……彼女が放つ空気は確かに年下なのに上位者。それでいて甘え上手だから憎めない。相反する感情が混在する奇妙な心地だった。
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### 焚火を囲んで
橙色の焔が爆ぜる音が静寂を潤す。串焼きが香ばしく焦げ茶色へ変わり、脂が滴っては火花を散らす。
ステラは器用に串を回し魚の焦げ目を均等にしていった。
「この焼き具合……最高じゃない?」
「美味しそうだな。火加減が絶妙だ」
「でしょ? 実は旅に出る前に宿屋で練習してたんだ。看板娘のおばさんに教えてもらったりね」
(そりゃそうか……あの宿でも厨房に立っていたし)
自然な献身。何気ない日常を糧に技術を蓄積していく彼女の姿を思い出しカゲトは口元を綻ばせた。
「助かるよ。本当に……いろいろありがとう」
「こちらこそありがとうだよ? 君がいなければ今日ここまで来られなかったもの」
串の端から一口分を咀嚼しながら彼女は真摯に告げる。その声音に嘘偽りは全くない。だからこそ心臓が跳ねた。感謝の言葉は嬉しいが――胸の奥にある更なる欲求が抑えきれない。
(もっと……認められたい……頼られたい……)
そう思った矢先。
「ねえカゲトさん」
ふと呼びかけに顔を上げるとステラが串を置きこちらへ向き直る。湖面からの風が銀髪を梳きその瞳は夜闇でも鮮烈に輝いていた。
「わたし……正直言うと不安だったの」
「不安?」
「うん。わたしの魔法はまだ試験段階で……戦闘でどれくらい通用するか自信なくて」
驚きを禁じ得なかった。昼間の戦いで見せた果断な技量が虚勢だったというのか?
「でも君が一緒だと怖くなくなるんだ。剣を構える姿を見ると不思議と落ち着ける。だから……ありがとう」
最後の“ありがとう”はほとんど吐息だった。
カゲトの胸が熱くなった。自分は単に庇護される存在ではないのだ。対等のパートナーとして信頼されている。その事実が涙腺を刺激するほど嬉しかった。
「お礼を言うのはこっちの方だよ。俺の戦い方を肯定してくれて……信じてくれて」
「お互い様だね」
ステラが差し出した串の魚をひとつ口に入れる。塩とハーブの香りが鼻腔へ抜け旨味が舌に沁みる。同時に込み上げてくるものを抑え込む必要があった。
「美味しい……」
「ふふ。良かった」
穏やかな沈黙が降りる。焚火の揺らめき越しに交わる視線。互いの輪郭が赤銅色に浮かび上がる刹那。彼女の瞼が一度伏せられ再び開かれた瞬間、何かが決意に変わったように見えた。
「……カゲトさん」
声が柔らかく包み込む。
「もしわたしが困ったら……どんな時も助けに来てくれる?」
唐突な質問。しかし意味は明白だった。誓約を求められているのだ。
「もちろん。必ず」
迷いはなかった。ステラは安堵したように目を細め――そのまま椅子代わりにしていた岩場から滑り降りて地面に座った。距離が縮まる。
「約束ね」
小指を絡め合うジェスチャーを提案してきた。
(随分と古典的な儀式だが……拒む理由はない)
指切りげんまんをするべく片手を差し出す。だがステラの小指は予想以上に長く細く……触れるだけで背筋が震えた。
「指……繋いだら離さないでおいてね?」
「わかった」
「えへへ……嬉しい」
絡めた指先をゆるく揺らし彼女は額を軽く傾けた。髪が流れ露わになった鎖骨あたりに火明かりが跳ね返る。心拍数が上昇するのが自覚できた。
(まずい……これ以上近付いたら……)
思春期特有の羞恥と欲望が拮抗する。けれどステラの横顔はどこまでも純粋だった。年上の自分が変な想像を膨らませているなど考えもしていないだろう。
(落ち着け……これはただの友情の証だ……そう……だよな?)
自問しながらも小指は緩まない。むしろ体温を通して脈打つ鼓動を共有しているような錯覚さえ覚えた。
「おやすみの時間までもう少しだけど……お話してもいい?」
「ああ……いくらでも」
二人の影が焚火によって一つに重なる。遠くで梟の啼き声。星空が天幕のように湖畔を覆う。
その空間で交わされる声はまるで秘密の鍵穴に注ぎ込まれるかのごとく密やかだった。




