学食でのガールズトーク2
蒸し暑い空気が満ちる、昼休みの学食。様々なメニューの匂いと、生徒たちの活気ある声が混じり合っている。
「――それでね、昨日のドラマ、急展開だったのよ! 主人公が急に記憶喪失になっちゃって!」
愛彩が、ミートソーススパゲッティの麺をフォークに巻き付けながら、興奮気味に話しかける。
「まあ、大変ねえ」
「ちょっと、明日香! また聞いてないでしょ! どうせ、また優くんのこと考えてたんでしょ、ニヤニヤしちゃって」
向かいに座る明日香は、箸でそっと出汁巻き卵を掴むと、ふわりと微笑んだ。彼女の口調は、剣道部の主将という猛々しい肩書きとは裏腹に、いつもおっとりとしていて優しい。
「え? ああ、ごめんなさい。優くんのこと、考えてたわ」
「やっぱり! で、どうなのよ、最近は。優くん、また何かやらかした?」
愛彩の目が、最新のゴシップを嗅ぎつけた記者のように輝く。彼女にとって、明日香と彼氏・優の関係は、どんなドラマよりも刺激的なエンターテイメントだった。
明日香は、きんぴらごぼうをゆっくりと口に運び、こくんと飲み込んでから、小さな声で、しかしはっきりと告げた。
「昨日ね、優くんのお尻、竹刀で百叩きしちゃった」
「ぶっ――!!」
愛彩が飲んでいた麦茶を、盛大に噴き出した。周囲の生徒たちが「うわっ」と声を上げて二人を見る。
「ごほっ! げほっ! あいさ、汚いわよ!」
「ご、ごめん……! ちょ、明日香! いま、なんて……?」
ティッシュで口元を拭いながら、愛彩が信じられないという顔で聞き返す。
「だから、昨日、道場で優くんのお尻を百叩きしたの。いたずらの罰よ」
明日香は、まるで「昨日、カステラを焼いたわ」とでも言うような、穏やかな口調で繰り返した。
「ひゃ、百!? 竹刀で!? 正気!? 神聖な道場で!?」
「もう、愛彩ったら、声が大きいわ。大丈夫よ、練習が終わった後、二人きりの時にしたから」
「そういう問題じゃないでしょ! 百って! ねぇ、優くんのお尻、どうなっちゃうのよ!」
「うーん……どうかしら。でも、昨日は途中で泣いちゃったわね、あの子」
「えっ!? 泣いたの!?」
愛彩が、今度は驚きで目を丸くする。
「ちょっと待って。優くんって、そういうの、喜んでるんじゃなかったの? 『ありがとうございます!』みたいな感じなんでしょ?」
「ええ、そうよ。お仕置き自体は、すごく楽しみにしてるみたい」
「なのに泣いたの?」
「うふふ。だって、本当に痛いんですもの」
明日香は、楽しそうに目を細めた。
「昨日もね、私が『優くん、お仕置きよ。今日は百回ね』って言ったら、『え! 百回も!? 』って、素直に自分から道場の隅の跳び箱に手をついて準備してたのよ」
「うんうん、そこまではいつも通りだ(笑)」
「私も、『じゃあ、いくわよ』って、一本一本、ちゃんと『愛』を込めて打ち始めたの」
「……」
「最初の十回くらいはね、『ああっ!』とか『ごめんなさい!』とか、元気な声を出してたんだけど……」
「うん」
「二十回を超えたあたりから、だんだん声が震えちゃって。『い……いひゃい……です、明日香さん……』って」
「お、効いてきた(笑)」
「私、手を止めないで、『いたずらがいけないのよ、優くん』って優しく言いながら続けたの。そしたら、五十回目くらいかしら」
「ご、五十回……」
「『うっ……ひっく……ご、ごめんなさい……! もうしませんからぁ……うううっ……』って、ついに本気で泣き始めちゃったのよ」
「うわー……ガチ泣きじゃん……」
「それでも止めないの? 明日香、鬼!」
「だって、百回って約束したもの。途中でやめたら、優くんに失礼でしょう?」
「そういう問題!? あんた、やっぱりドSだわ……!」
「八十回目くらいからは、もう、『ごめんなさぁい! 許してくださぁい! あうっ!』って、叩くたびに体が跳ねて、号泣してたわね。ジャージの上からでも、さすがに痛かったみたい」
「そりゃ痛いよ! 竹刀だよ!? それを百回も!」
「そして、ちゃんと百回、叩き終わってあげたの」
「……で、優くんは?」
「もう、お尻を押さえて、跳び箱に突っ伏したまま、わんわん泣いてて。『うっ……あ、ありがとうございました……もう、ぜっ……絶対、いたずらしません……ひっく』って」
「あらら、トラウマになったんじゃ……」
「だから私、笑ってあげたの」
「え?」
「『あら、もう百回終わっちゃったわ。私は全然疲れてないし、剣道で鍛えてるから、あと二百回くらい平気で叩けるんだけど、今日はこのくらいにしといてあげる』って」
「鬼! あんた、鬼だよ明日香!」
愛彩は腹を抱えて笑い転げる。「あははは! 泣いてる彼氏に追い打ちかけるとか! しかも疲れてない自慢!」
「本当のことだもの。毎日の素振りや打ち込みに比べたら、百回くらい、余裕でしょ!」
明日香は、平然とした顔でお茶をすする。
「あー、お腹痛い……。で? 優くん、それで完全に心が折れた?」
「ううん?」明日香は不思議そうに首を傾げた。「それがね、違うのよ」
「え?」
「泣きじゃくりながら甘えきて膝枕させて、その後ちゃんと自販機で私にスポーツドリンクを買ってきてくれて。帰り道、二人で飲みながら歩いてたんだけど……」
「うん」
「優くん、まだ目元を赤くしながら、『……あの、明日香さん。……今日は、ありがとうございました。……すごく、痛かったです。本当に、泣いちゃいました』って、しょんぼり反省してたの」
「お、珍しく反省したか?」
「でもね、そのすぐ後で、顔を真っ赤にしながら、もじもじして……こう言ったの」
「……なんて?」
「『……でも……ごめんなさい。……たぶん、僕、しばらくはいたずら辞めるけど、また明日香さんに怒られたくなっちゃうと思います。……その、痛かったけど……』って」
「うわあああ! 結局そっちに戻るのかーい! 懲りてない! 全然懲りてない!」
愛彩はテーブルをバンバン叩いて大爆笑している。
「本当に不思議よね、あの子。痛いのは怖くて泣いちゃうのに、私にお仕置きされるのが、それ以上に嬉しいみたいで」
「そもそも、馴れ初めからしてそうだったもの」
「あ、そういえば!」愛彩が笑いの涙を拭いながら尋ねる。「馴れ初めの時も、そんな感じだったの?」
「ええ。初めて道場に来て、『お尻を叩いてください』って言われた時よ」
「出た、伝説の『ケツ叩かせてください』告白(笑)」
「あの時も、私、加減して『スパン!』って軽く叩いてあげたんだけど……優くん、一瞬、『いっっっった!?』って、本気で涙目になってたのよ」
「あ、やっぱり痛かったんだ(笑)」
「でも、その直後に、顔を輝かせて、『あ、ありがとうございます! 最高です!』って。あの時から、もう変わってないのよね」
「筋金入りすぎる……。痛いのと嬉しいのが同居してるのか。複雑な男心だねえ」
「で! 話は戻るけど!」と愛彩が身を乗り出す。「昨日の百叩き! ついに昆布を超えるとんでもないいたずらをやらかしたわけね? 何したのよ、優くんは」
明日香は、食べ終わった焼き魚の小骨を皿の端に寄せながら、ふう、と小さく息をついた。
「……昨日ね、あの子、ついに私の防具に手を出したのよ」
「お、ついに聖域に!」
「午後の練習のために更衣室で着替えて、道場に入って、さあ、気合を入れようって、面を着けようとしたら……」
「したら?」
「……私の面の内側、つまり顔に当たる布の部分に、びっしりと、ラメ入りのベビーパウダーが仕込まれてたの」
「ぶふぉっ!!」
愛彩が、今度は飲んでもいないのに盛大に噴き出した。
「ラメ入り! ベビーパウダー!」
「想像してみて、愛彩。面を被った瞬間、顔中が真っ白になって、しかもキラキラなの。汗と混じって、顔はベタベタするし、道場中には、ふんわりとベビーパウダーの甘い匂いが充満しちゃって……」
「地獄絵図(笑)」
「もう、練習どころじゃなかったわ。後輩の子たちは、私と目線が合うたびに肩を震わせて笑いをこらえてるし、先生からは『明日香、最近、どうしたんだ? 化粧でも覚えたのか? 主将としての威厳がなくなるぞ』って、大真面目に心配されちゃったのよ。ひどくない?」
「あははははは! 無理! それは無理! 主将の威ま、威厳が……(笑) それは百叩きコースだわ! 泣くまでやられても文句言えないわ!」
「でしょ?」明日香は、納得したように頷いた。
「だから、ちゃんと『愛』を込めて、泣くまで叩いてあげたの。泣いてたけど、帰り道はすごく幸せそうだったから、よかったわ」
「よかったのかなあ!? もう、あんたたちの『普通』がわかんないよ!」
「でも、きっと優くん、今日のお昼にはもうケロッとしてると思うわ。そして、また来週あたり、何か変ないたずらをしてくるのよ、きっと」
「で、また明日香に泣かされると(笑) 学習能力ゼロ!」
「うふふ。だから、私もちゃんと腕が鈍らないように、毎日の稽古、頑張らないといけないわね。いつ優くんがいたずらしても、万全の態勢でお仕置きできるように」
「目的が変わってる! 完全に剣道を私的利用してるよ、あんた!」
明日香の優しい笑い声と、愛彩の快活なツッコミが、昼休みの喧騒に楽しそうに溶けていった。




