戦闘訓練
孤児院の裏手は、見渡す限り更地に近い空き地が広がっている。地面は踏み固められた土と砂利が混ざり、ところどころに雑草が顔を出しているが、背の高い草木は一本もない。
周囲には民家がなく、どれほど声を張り上げても苦情が来る心配はない。そのため、普段は子供たちの遊び場であり、剣の修行をする場としてはうってつけの場所だった。
風が吹き抜けるたび、遠くで鳥の鳴き声がかすかに混ざる。
夏の陽射しがじりじりと肌を焦がし、土の匂いと乾いた空気が胸に入り込んでくる。
僕は木製の短剣を2本手にして対面していた。長剣をもつヴェセルの背筋はまっすぐで肩の力は抜けているのに、その全身からは研ぎ澄まされた気配が漂っている。
本当ならヴェセルのように長剣を使ってみたい。しかし、自分の体格では振り回されるだけで、まともな斬撃は打ち込めない。
だから僕は、軽くて素早く手数を稼げる二刀流の短剣を選んでいるのだ。
柄を握る手のひらがじっとりと汗ばむ。指先で重心を確かめながら、二本の刃を相手に向けて構えた。
「よし、準備はいいな。胸を貸してやるから――全力で来い!」
「じゃあ……行くよ!!」
腰を低く落とし、前傾姿勢から一気に踏み込む。
地面を蹴った瞬間、砂塵が舞い上がり、乾いた風が耳をかすめる。
左手の短剣を逆袈裟に振り上げ、ヴェセルの肩口を狙った。
「悪くない速さだ。狙いもいい……だが、まだ遅い!」
ヴェセルは軽く一歩退くだけで刃をかわし、そのまま長剣を横薙ぎに振るう。
剣がぶつかり合う衝撃音が、空き地に大きく響いた。
僕は必死に両手の短剣で受け止めたが、衝撃に押し負け、身体ごと後方へ弾き飛ばされる。
膝を深く折り、必死に足を踏みしめて転倒は免れた――が、その瞬間にはもう、ヴェセルが目の前に迫っていた。
「――っ!」
腹部に鋭い衝撃。蹴り飛ばされた息が喉で詰まり、肺が痛みで痙攣する。
視界が一瞬ぐらつき、土埃が陽光にきらめいた。
「相変わらず受け止めようとする癖が抜けないな。俺の剣でさえ受けきれないのに、魔獣の一撃を防げるわけがないだろ!」
荒く息を吐きながらも、歯を食いしばり、短剣を振るう。
連続の斬撃が風を裂き、周囲の空気が熱を帯びる。
しかしヴェセルは長剣一本で全てを軽やかに弾き返す。
その動きは流れる水のように滑らかで、どの瞬間も隙がない。
何度も切り込むが、まるで岩壁に木の枝を叩きつけているかのようだ。
――全く、攻撃が通らない。
焦りが喉の奥に溜まり、握る短剣の柄がじわじわと滑りそうになる。
「――せっかくだから、今日は面白いものを見せてやるよ」
低く落ち着いた声が、耳の奥に響く。その言葉に、胸の鼓動が一気に早まった。
ヴェセルの瞳がわずかに細まり、空気が変わった。
汗に混じって背筋を冷たい感覚が走る。
ヴェセルの放つ雰囲気がいつもとは異なる、獲物を仕留める捕食者の気配へと変わったのだ。
息を呑む間に、わずかに地面が鳴ったような錯覚――いや、これは……。
次の瞬間、僕の視界からヴェセルの姿がふっとかき消えた。
そしていつの間にか、僕の背後にヴェセルが立っている。
――え? 今の一瞬で背後に!?
僕の背中にヴェセルが持つ木剣の切っ先が軽く触れる。
「これが俺の固有能力――“縮地”だ。瞬間的に間合いを詰める技。この義足になる前はもっと速かったんだがな」
振り返ると、義足の金属が陽光を反射していた。
片足を失ってなお、この速度である。
もしもう一本の足が健在だったら、どんなに速かったのだろうか。
「……速すぎて、見えなかった」
「足の速さだけじゃない」
ヴェセルは木剣を構えたまま、軽く腕を振った。
その瞬間、目の前で剣先が弾丸のように突き出される。
避ける間もなく、僕の額すれすれでぴたりと止まった。
「縮地は足だけじゃなく、腕にも応用できる。斬撃、突き、受け――動かす部位さえあればどこにでも使えるんだ。固有能力ってのは、単純じゃない。工夫と鍛錬次第で、いくらでも化けるものなんだ」
僕はごくりと唾を飲み込んだ。
――固有能力……。
僕にはまだ発現していないもの。周囲の同年代が次々と力を得ていく中、自分だけが取り残されている。
ヴェセルの言葉を聞き、今まで以上に固有能力を得たいと思うようになった。
もし僕にも能力が手に入る日が来たら――使い方次第で、この背中に追いつけるかもしれない。
「さあ、もう一度来い、フィール。力がなくても、工夫はできるはずだ」
ヴェセルが、挑発とも励ましともつかない笑みを浮かべた。
僕は短剣を握り直し、足裏に力を込める。