孤児院の生活
ひび割れた石畳を、夕暮れの赤みがじわりと染めていく。足元では小石がカラカラと転がり、風が頬を撫でた。十数分ほど歩くと、低い屋根と煤けた外壁を持つ建物――僕が暮らす孤児院の影が視界の端に現れた。
「おい、フィール。この孤児院……前に来たときより壁が崩れてないか? もういい加減、限界だと思うが本当に大丈夫なのか?」
「全然大丈夫じゃないよ。最近は雨漏りだけじゃなくて、隙間風も酷くて……夜なんか本当に凍えそうだよ。何度も修理してるけど、もう厳しいかな……」
孤児院は僕が生まれるずっと前に建てられた、時代の色をそのまま残す古い建物だ。
煤けた石壁には無数のひびが走り、指先ほどの隙間から外の光が覗く。屋根の石板はところどころ剥がれ落ち、風が吹くたびに瓦礫がカランと音を立てた。玄関の木戸も片方が歪んでおり、何も知らない人なら廃墟と見間違えてもおかしくない。
板切れや粘土で穴を塞いだ場所は色も形もまばらで、触れれば崩れそうだ。半端な修理のせいでよりみすぼらしさが増している。
しかし、本格的な修繕をするためには、孤児が稼ぐお金では到底足りない量の金額が必要となる。
「僕が探窟家になって稼いだら、真っ先に修理するよ! さ、中に入ろう。院長や子供たちも、ヴェセルに会ったら喜ぶはずだ」
「ああ……」
ヴェセルは短く返事をしたが、その目はどこか曇っていた。何かを言いかけていたが、彼は結局何も言わなかった。
僕は彼の手を軽く引き、沈黙を押し流すように重い木の扉へと手をかけた。軋んだ蝶番が、不快な音をあげながら開く。
「あ、フィール兄ちゃん! おかえり! 今日はヴェセル兄ちゃんもいるんだね! みんなに知らせなきゃ!」
玄関先で小さなほうきを握っていた少年が、目を輝かせて叫んだ。レン――孤児院で一番年下、まだ五歳だが、声と元気は誰よりも大きい。
ほうきを握る両手はほこりで白くなり、頬には掃除の途中でついたらしい黒い筋がある。ぱたぱたと小さな足音を響かせ、ほうきを放り出すや否や、奥へ駆けていった。
「レンは相変わらず元気だな。他のみんなも元気か?」
「うん、院長も子供たちも……ただ、ライラの容態だけは良くない。できれば病院に連れて行きたいんだけど、とても余裕がなくてね」
ライラ――僕と同い年の少女。透き通るような白い肌と細い指。幼いころから病に悩まされ、両親から捨てるように孤児院に入れられた子だ。
今も病は治る様子が見られず、一日のほとんどをベッドの上で過ごしている。
孤児院の子供たちは、貧しさに反比例するかのように皆元気だ。
廊下を走り回る少年、洗濯物を畳みながら鼻歌を歌う少女、台所から漂うスープの香りに釣られて覗き込む子――日常は小さな笑い声で満ちている。
だが、その輪の中にライラの姿だけはない。
「何年か前、闇医者に診せても病名すら分からなかったろ? あの医者は相当ヤバい奴だが、腕は確かだ。あの病気は中央街の医者でも分からんだろうな」
「それでも、ここで寝込んでいるだけじゃ何も変わらない。せめて、治す手掛かりだけでも見つけたいんだ」
ライラが静かに息をする姿が脳裏に浮かぶ。胸の奥が締めつけられ、吐く息が少し熱を帯びた。
今の劣悪な環境のままじゃ、治るものも治らない。彼女には、少しでも楽に息をつける場所を与えたい。
そんな思いを胸に話していると、孤児院の奥からどたどたと足音が近づいてきた。
次の瞬間、玄関は笑い声と呼びかけで溢れ、僕の袖を引く手や、ヴェセルに抱きつく小さな腕が入り乱れる。肩に飛びつく子、裾を引っ張って何かを自慢げに見せる子、そしてレンがその真ん中で得意げに胸を張っている。
「帰ってきたのかい、フィール。今日はヴェセルも一緒とは珍しいね」
奥の廊下の薄暗がりから、修道服に身を包んだ老婆が姿を現した。
エイル院長――年老いた瞳の奥には皺と共に温かな光が宿り、その奥底に、若き日に修羅場を駆け抜けた者だけが持つ強さがちらりと覗く。
かつて探窟家としてヴェセルを弟子に育て上げ、今は十数人の子供を一人で支える孤児院の柱だ。
「久しぶりだな、師匠。ちょっと裏手の広場を借りたいんだが」
「ああ、フィールと特訓かい? 終わったらちゃんと片付けるんだよ。……ほら、お前たち。あんまり二人にくっ付いてると邪魔になる。戻りなさい」
子供たちは不満そうに唇を尖らせながらも、しぶしぶ散っていく。小さな靴音と笑い声が徐々に遠ざかっていった。
「よし、フィール。許可も出たし、行くぞ」
「うん!」
僕はヴェセルの背を追い、広場へ向かって歩き出した。
古びた石壁の間に夕陽が細く差し込み、その橙色の光が僕たちの影を長く伸ばしていった。
背後では、まだ子供たちの弾む声が微かに響いていた。