落ちた先
神殿の底が抜け、闇の中に落ちていく。
何かに掴まろうと手を伸ばしても、周囲には掴めるものなど何もない。
次の瞬間、背中から床に叩きつけられ、肺の中の空気が抜けた。
骨が砕ける痛みが全身を走り、視界が白く弾ける。
痛みに耐えられず、そこで意識が途切れた。
***
かすかな冷気とカビの匂いで目を覚ました。
頬に触れるのはざらついた石床。
上体を起こそうとしただけで、体に痛みが走り嫌な音を立てる。
「……ここ、は……?」
明らかにさっきまでいた場所ではない。
周囲は薄暗く、神殿の柱と壁の造りは似ているが、配置も装飾も違っている。
上から落ちてきたにも関わらず、天井に穴もなければ周囲に瓦礫も落ちていない。
その天井は低く、細い溝に青白い光が流れ、淡く足元を照らしていた。
静けさが漂う環境の中、断続的に水滴が落ちるような音がする。
何の音だと周囲を見渡し、遅れて気づく。
自分の周りが血で汚れていた。
床に濃い赤が広がり、触れた右手の指先がぬるりと滑る。
そして先ほどまで気づかなかったが――左側が、軽い。
「……あ」
左肩から先がなかった。
袖は途中で千切れ、裂け目からは黒ずんだ血が滲む。
視界の端が波打ち、吐き気が込み上げる。
その事実に気づいた瞬間、痛みが洪水のように押し寄せ、喉の奥が震えた。
「っ、ぐ……!」
体中が急激に熱くなったようで、呼吸も浅く背中と足が一斉に痙攣する。
落下の痛みなど、まるで気にならなくなるほどの痛みだ。
――このままだと出血で死ぬ。
危機的な状況の中、思考は不思議と落ち着いていた。
震える右手で腰のポーチを探り、院長にもらった回復薬を一本取り出す。
栓を歯で引き抜いて一気に飲み下した。
喉を通った液体が内側から熱を広げ、痛みがわずかに薄まる。
だが、傷の塞がりは遅く、このままではまずいことは明らかだった。
「まだ……足りない」
もう一本回復薬を取り出し、薬液を直接傷口にかける。
薬液が傷口に触れた途端、刃物を押し込まれたかのような焼け付く痛みが全身を駆け抜けた。
先ほどとは異なる凄まじい痛みにのたうち回る。
傷口から血が泡立ち、肉が寄って閉じていく。
やがて痛みが遠のき、左からの致死的な出血は止まった。
それでも、失った腕は戻らない。
左肩のあたりが空気に触れている感覚が、余計にはっきりしてくる。
落ち着いて考えると、よくドレッドタラスクの攻撃が直撃したのに、生き延びられたと思う。
生き延びられた理由――それは胸元の"護りのペンダント"のおかげだろう。
もしこれがなければ即死していたかもしれない。
息を整えながら、背中と足の状態を確かめる。
体に痛みは残るが、回復薬で大きな怪我は治っており、動けないほどではない。
「リエン……ガレス、コリン……ドルンさんは……」
彼女たちは助かったのだろうか、ドレッドタラスクはどうなったのか。
様々な心配事が頭に浮かぶが、今は元の場所に戻ることが先決だ。
首を振って目の前に意識を戻す。
立ち上がって周囲を見渡すが、この部屋には出入り口が一つあるだけで、壁や柱には特に仕掛けなどなさそうだ。
床を見ると、中央には円形の石板がはめ込まれており、独特な紋様が刻まれていた。
「……これは魔道具?」
その石板は何かの魔道具である可能性がある。
もしかしたら、落下した時に石板に触れたことで、この部屋に飛ばされたのかもしれない。
元の場所に戻れないかと考え、しゃがんで石板に触れる。
だが反応はなく、軽く叩いても無機質な石であるようにしか感じられない。
「壊れてるのかな……?それとも移動は一方通行なのか……」
部屋には出入り口が一つだけ。
この部屋には、石板のほかは他に目立つものはない。
そういえば――ドルンさんから都市の入り口で渡された紙をポーチから取り出し、手のひらに載せる。
――この紙を使えば出口の方向がわかるはずだ。
しかし、想像していた結果とは異なり、紙片はふわりと揺れてゆっくりと上を指した。
「上……?」
紙は左右ではなく、真上を差し示している。
つまり、ここは古代都市の入り口から見れば下――地下だということだ。
この場から元の場所に戻るには上を目指さなければいけない。
「……とにかく、ここから出よう」
上に行く方法は皆目検討がつかないが、ここに居続けても仕方がない。
片腕をついて立ち上がり、ふらつきながらも通路に出た。
石造りの廊下は幅が狭く、湿った空気がまとわりついてくる。
あの部屋の存在や神殿と部屋を繋ぐ石板――疑問に感じることだらけだが、廊下に沿って歩みを進めていく。
周囲に音はなく、自分の足音がやけに響いているように感じる。
ある程度進むと、行く手に古びた階段が見えてきた。
右手を支えにし、慎重に階段を登っていく。
階段の天辺――天井にあたるところは塞がれていた。
だが、よく見ると継ぎ目があり、わずかに浮いている。
「……押せば動くかな?」
右手を当て、力を込めて天井の板を押し上げる。
力を込めると、ぎしりと鈍い音を立てて、隙間が開いた。
外の冷たい空気が入り込み、頬を撫でる。
一気に力を込めて板を押し上げ、階段の先に出た。
出た先は、家であっただろう建物の中だった。
その建物は崩れてはいないものの、机や棚は壊れており、壁には大きな亀裂が走っている。
かつて扉があったであろう場所から、ゆっくりと顔を出し、警戒しながら外を観察した。
外には半壊した建物が並んでおり、道の石畳も穴だらけだ。
上を眺めるが、空は見えない。
頭上には黒い岩のような天井が広がっており、一帯を覆っている。
ドルンさんから貰った紙は相変わらず上を指しており、この場所が地下にあることを実感させられた。
――さて、これからどうするべきか……
部屋にあった魔道具のような石板は起動せず、ほかに地上に戻る方法は皆目検討がつかない。
周囲を見渡すと、遠方に天へ伸びる巨大な塔のような建造物がそびえていた。
周囲の建物は半壊しているにも関わらず、その塔は崩れている様子もなく、圧倒的な存在感を放っている。
確実にあの場所には何かあると感じられた。
――あの場所に行けば地上に戻る手掛かりが得られるだろうか。
不安が湧いてくるが、手持ちの水と食糧は僅かであり、回復薬はあと一本しかない。
ここで立ち止まっても力尽きるだけだ。
ならば不確定でもあそこに行くしかない。
深く息を吸い、気を引き締める。
僕は塔へ向けて、ゆっくりと歩き出した。




