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日常

 吹きすさぶ風の中、薄暗い崩れかけた石造りの路地に足音が鳴る。

 かつては立派であっただろう建物の隙間を、一人の少年が必死に駆け抜けていた。


 本来ならば好奇心に輝いていた瞳は、今や恐怖に染まっている。彼の名はフィール。今日が初陣となる、新米の探掘家である。


「……はっ、はっ、はっ……!」


 彼は今、息を切らしながらも足を止めずに走り続けている。理由は単純だ――背後から迫る、三体の狼型の化物。

 牙は光を反射し、赤い瞳が闇を裂く。


 彼の腰には立派な短剣がぶら下がっているが、実戦経験に乏しく、左腕を欠損した少年に振るえる代物ではなかった。

 刃を抜いて立ち向かえば、次の瞬間には喉笛を噛み千切られるだろう。


 だから、選べるのはただ一つ。

 逃げて生き延びること。


 彼は探掘家という職業は実入りが良い分、危険に満ちていることは理解していた。

 だが、始めて間もないうちから死地に追い込まれるとは、想像もしていなかったようだ。

 ほんの数日前までは、栄光や報酬の幻を胸に描いていたが、今は仲間もいない廃墟の中で傷だらけの体を引きずりながら必死で逃げている。


 ――どうして、こんなことになったのか。


 崩れ落ちた街路の影を縫いながら、フィールは胸の奥でその問いを繰り返していた。


 ***


 城塞都市ラーテル――

 古代都市から押し寄せる化物――魔獣の侵攻を食い止める防波堤として、人々が築き上げた要塞都市のひとつだ。

 そびえ立つ石の外壁についた無数の傷跡と修復の跡がその歴史を物語っている。


 その外壁の向こう側では、今日も無数の魔獣が徘徊している。


 この都市は古代都市と隣接する場所にあるがゆえに、探掘家たちが数多く集う場所でもあった。彼らは鎧のきしむ音を響かせながら古代都市へと足を踏み入れ、魔獣を仕留めてその遺骸や古の技術をラーテルへ持ち帰る。

 更にその成果を求め、商人や職人、学者、他にも異国の言葉を話す旅人までもがこの地を訪れる。中央街は昼も夜も喧噪が絶えず、香辛料の濃い香りや、焼きたての肉の匂いが入り混じる。露店から飛び交う威勢のいい呼び声、馬車の車輪が石畳を軋ませる音、道端で奏でられる弦楽器の演奏――あらゆる音と色彩が渦巻き、まるで都市そのものが生きているかのようだ。


 ――だが、その賑わいは、僕には遠い世界の話だ。


 僕は生まれながらにして両親を持たない孤児であり、都市の外れにあるラーテル第二孤児院で暮らしている。

 外れの区画は、怪我で戦えなくなった元探堀家、行き場を失った浮浪者、そして後ろ暗い過去を背負った者たちが肩を寄せ合う、薄暗い路地と崩れかけた建物ばかりのスラムだ。壁に染みついた湿気と埃、かすかな腐臭が鼻を突き、鼠が石畳を走り回る。

 中央街の人々は、この場所をまるで瘴気でも漂っているかのように忌み嫌い、決して手を差し伸べることはない。孤児など碌な力を持たず、数いる嫌われ者の中でも最も取るに足らない存在だ。


 それでも生きるには、金と食料がいる。

 孤児にできる仕事は限られており、そのひとつが探掘家だ。

 ラーテルは古代都市の玄関口であり、魔獣を狩る戦力は常に不足している。

 危険と隣り合わせの職ゆえに、怪我や死亡の率は高く、その分、新しい人手を渇望していた。


 学問も身分も必要ない。ただ、腕っぷしと生き延びる胆力さえあればいい。

 もし強力な異能――“固有能力”に目覚めれば、成り上がることも夢ではない。

 今の僕は、他の孤児たちと一緒に下水掃除や便所の汲み取りといった雑用で小銭を稼いでいるが、成人すれば必ず探掘家として身を立てるつもりだ。


 探窟家への登録は誰でもできるが、成人――この都市では14歳以上であることが条件だ。


 僕は現在13歳。あと一ヶ月で成人となる。

 その日を迎えたら、すぐにでも探窟家として活動を始めるつもりだ。


「おい、フィール! 今日の仕事はもう終わったのか!」


 どぶさらいを終え、孤児院へと帰る途中、ひび割れた煉瓦道に靴音を響かせながら歩いていると、背後から声を掛けられた。

 振り返ると、右足の太腿から下が鈍い銀色の義足となった男――ヴェセルが立っていた。

 年は三十代後半。日に焼けた肌に刻まれた無数の細かい傷跡が、彼が過ごした過酷な日々を物語っている。

 かつては探窟家として斥候役を務めていたが、仕事中に魔獣に襲われて脚を失い、今はスラムで暮らしている。


 ヴェセルは、探窟家になる前に僕のいる孤児院に身を寄せていたことがあり、時折様子を見に来てくれる。


「ああ、今日の分の仕事は終わったよ。これから孤児院に戻ろうと思ってたんだ。ヴェセルの方はどうなの?」

 

「俺も仕事は片付いた。……どうだフィール、今日はまだ陽出ているし、特訓でもしていくか?」


 カツ、カツ、と義足が煉瓦道を叩く音が、夕暮れの静けさに響く。

 遠くで商人が店じまいを始める声や、煮込み鍋から立ち上る肉と香草の匂いが風に乗って漂ってきた。


 僕は彼から定期的に斥候としての訓練を受けていた。当然、特殊な技能を教えてもらうのだから無料ではない。

 数少ない稼ぎから幾ばくかのお金を彼に渡していた。わずかな稼ぎから差し引かれるのは痛いが、それでも価値があると僕は思っている。


 僕は筋力や体格に恵まれてはいない。だからこそ、足の速さと索敵の技術がものを言う斥候こそ、自分に合った役割だと考えていた。

 独学の訓練だけでは限界がある。現役時代に多くの修羅場を潜った彼の指導は、何物にも代えがたい。


「ぜひお願いするよ。もうすぐ僕も探窟家になるから、今のうちに鍛えておきたいんだ」

 

「ははっ、フィールもようやく一人前か。じゃあ今日は少しばかり厳しくいくぞ」

 

「……できれば優しく頼みたいんだけど」

 

 そんなやり取りを交わしながら、僕はヴェセルと並んで孤児院への道を歩き出した。

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