6.求婚状と、差し迫る現実
翌朝。私は、頭を抱えていた。
家計簿に並んだ、赤字の行列。
──地獄絵図である。
「前期の収支マイナス十二万ルーフ、緊急支出四万、予定外の修繕費が七万……ええいっ、誰よ! 天井壊した馬鹿は!」
書斎の机を叩きながら、唸る。
どれだけ細かく節約しても、もはや延命処置のレベルだ。領地の生産力は限界に達しており、債権者たちの顔もだんだんと硬くなってきている。
(どうする……このままじゃ、あと半年も持たない)
そのとき、執事が神妙な顔で現れた。
「お嬢様。バレンツ侯爵家より、使者が」
「は?」
「……求婚状でございます」
丁寧に差し出された白封筒。
開くと、そこにはジーク=バレンツ侯爵の直筆による文言が並んでいた。
『アレシア・ヴァレリア嬢
あなたの才覚と誇り高き姿勢に心を打たれました。
この度、正式に婚姻を申し込みます。
あなたの“力”を、私の隣で発揮してほしい──』
──私は即座に、手紙をくしゃりと握りつぶした。
「…………は?」
私の“力”が欲しい? 名門オルセイン家の看板と、金勘定の能力と、美貌を?
(ああ、なるほど。これは“女として”じゃない。“駒として”私を欲しいのね)
「……クソが」
ぶつけた怒りの矛先は、手紙ではない。
ここまで追い詰められた自分の境遇と──
それを変えられなかった、自分自身に向いていた。
その夜、私は城下の片隅にある安宿で、無名の商会に怪しげな金を預ける契約をしていた。
(もう、手段は選べない)
このままじゃ家が潰れる。貴族の名誉など、金にならない。
──それでも。
あの手紙を捨てた理由を、私は自分でよくわかっていた。
──屋敷の執務室、陽も落ちかけた頃。
書きかけの契約書を前に、私はずっとペンを止めていた。
内容は簡単だ。
バレンツ侯の側近が差し出してきた“提携案”──
反皇室派と正式に手を組むことを条件に、莫大な融資と、滞納債務の全額免除。
「……破格ね」
独り言が、部屋に落ちた。
(これを受ければ、家は救われる)
けれど。
「私が、“あの男”の女になれば、の話だけど」
ジーク=バレンツの求婚は、もはや冗談でも脅しでもなかった。
本気で、私を“帝国の正妃”として仕立て上げようとしている。
「それで、私は何を守れるの?」
“家”か。“誇り”か。“自由”か。
かつて私は、お金がすべてだと信じていた。
金があれば家は潰れない。
金があれば、誰にも奪われない。
金があれば、人は私を値踏みしてくれる。
──そう、思っていた。