1.『悪役令嬢という私』
──帝国一の美貌、と呼ばれて久しい。
けれど私の名前を正しく呼ぶ者は少ない。私の素顔を知る者は、もっと少ない。
オルセイン公爵家の令嬢、アレシア=ヴァレリア。帝国の名門に生まれ、才色兼備と持て囃され、けれどその実態は──悪役令嬢。
「金の亡者」「品がない」「成り上がり」「婚期を逃した不良令嬢」
社交界で囁かれるそのすべてが、私の代名詞だった。
本当は、少し違う。けれど、訂正する気もなかった。
私はただ、家を守っていただけなのだから。
私の両親は確かに名門の血筋を引いている。だが、それだけだった。
父は無為に日々を過ごし、母は貴婦人遊びに夢中。財務帳簿も、領地の経営も、すべて私が握っていた。
十歳で帳簿を学び、十二歳で領地の収支改善に乗り出し、十五歳には闇市場との交渉に臨んでいた。
貴族社会に蔓延る派閥の裏金、流通の不正、土地の買い占め。見たくもないものを見て、やりたくもないことをこなして、それでも私は生き延びた。
家の名誉と格式、それがすべてだったから。
けれど、それは“貴族社会の正しさ”からすれば異端だったらしい。
あまりに働きすぎた令嬢は、上品さを失い、品格を損ねたと見なされた。
「見目は美しいのに、どうしてああも下品なのかしら」
「金勘定しかできない女に、誰が求婚するのよ」
「まあ、彼女の家もそろそろ終わりね。どこかの成金にでも拾われれば?」
笑えるのは、彼らの言う通り、私は本当に“拾われそうになった”ことだ。
オルセイン家を潰す寸前まで追い込んだ貴族連中が、私を政略結婚の駒にしようと擦り寄ってきた。
反皇室派。帝国の今の混乱に乗じて皇位を狙う連中だ。
かつて、帝国は「皇帝一強」の時代だった。
血統による正統性と、天上より与えられた“帝印”を持つ者のみが王座に就けるという信仰があり、
貴族たちはその庇護のもとに従属し、栄えた。
けれど、時代は変わった。
皇帝の権威は代替わりを機に揺らぎ、摂政による政治が長く続いたことで、
実権は徐々に、貴族議会へと移っていった。
今や帝国は、名ばかりの皇帝と、実権を握る有力貴族たちによる“派閥政治”の真っ只中にある。
特に力を増しているのが、反皇室派と呼ばれる貴族連合。
表では改革と民意を掲げ、裏では私兵を養い、軍部や商会とも密接に結びついている。
その筆頭であるバレンツ侯爵家は、
「次代の皇帝には、貴族から選出されるべきだ」と公言してはばからない。
皇室派と反皇室派の力関係は、いまや拮抗を通り越し、
すでに一触即発の状態だ。
そんな中で、“オルセイン家”という名前は──
古き名門でありながら、中立を貫いてきた異端。
だからこそ。
この名を手に入れようと、両陣営が虎視眈々と狙っていた。
そして私は、その“看板”だった。
「お前さえ嫁に来れば、帝国一の美貌と名門の名を手にできる」
「君の力で、もっと大きな国が築ける」
──お断りよ。と言いたいところだったが、状況はそうもいかなかった。
家は限界だった。税収は減り、債権は枯れ、商会も警戒を始めている。
このままでは、私が守ってきたものが、すべて失われる。
だから、私は決意した。私を買いたいというなら、買わせてやる。
ただし、値はつり上げてやる。私という女は、安売りしない。
そんな折だった。