8 悪夢
本多とシュリは花袋の店をあとにした。
「本多さん、これからどうするんですか」
シュリの姿は、中年男性ではなく、『真城シュリ』に戻っていた。
「明日、例の『喫茶わかば』に行ってこようと思う。今日は事務所に戻って明日の下準備をするよ」
「本多さん」その顔は不安げだった。
「どうした?」
「私はなんで、あんな場所に行ったんでしょう。自分でもまったく心当たりがなくて……」
不安になるのも無理はない。地下街で消息を断ったとなれば状況は芳しくはない。最悪の結果も考慮に入れておかねばならないだろう。
「今日はもう遅いから君は家に帰りなさい。明日、なにかわかり次第一番に連絡するから」
「やっぱり私も明日一緒に行きます」シュリはきっぱりとした口調で言い切った。
「は? なに言ってんだ。地下街っつたらヤクザやギャングがゴロゴロしてんだぞ。そんな危ない場所に連れてけるわけないだろ」
「アンドロイドです」
「へ?」
「今の私の体は、アンドロイドです。しかも故障が少なく頑丈なことで有名なマシロ製です。おそらく今の私は本多より丈夫ですよ」
「それは……」
たしかに一理ある、と本多は思った。だが彼女を地下街に連れていくことはできない。
「しかしだな──」
「待つことなんてできません!」
悲痛な叫び声だった。シュリの鬼気迫る様子に本多は飲まれてしまった。
「家でいつ来るかわからない連絡を一人で待つことなんてできない。お願いします。一緒に行かせてください」
頭のいい彼女なら自分が犯罪に巻き込まれた可能性が高いことくらいわかっているはずだ。しかし、中身は十代の女の子なのだ。追い詰められていてもおかしくない。
「なにが起きるかわからないんだ。不測の事態が起きたとき俺が君を守れる保証はない」
「構いません。自分のことは自分でなんとかします」
「……わかった。しかしいろいろ調整しないといけないこともあるから。明日のことはあとで連絡するから今日はもう帰れ」
「必ずですよ」
「ああ、必ず今夜のうちに連絡する」
× × ×
本多は事務所に戻ると真っ先に冷蔵庫を開けた。
喉が渇いて我慢の限界だ。
500mlの缶ビールのプルトップを引っ張ると一気に飲み干した。空き缶を潰してゴミ箱に投げ込む。
それでも渇きは癒えない。
本多は缶ビールを二本持ってモニターが置いてあるデスクに座った。モニターに端末を繋げてネットワークに接続している間に、すでに一本空けていた。
まずは『マシロ・コーポレーション』だ。
本多はネットに転がっているマシロ・コーポレーションについての情報を手当たり次第に拾った。
マシロ・コーポレーション──世界トップのアンドロイドメーカー(ちなみに花袋のセクサロイドたちもマシロ製だ)。
創業者の真城コウタロウは大学在学中に起業、一代でマシロを世界規模の企業にまで急成長させた。現在五十三歳。経営者としてカリスマ性があり、メディアへの露出も多く、誰もが知る有名人だ。しかしその豪腕ぶりに否定的な意見もあり、部下や下請けに対する非道な振舞いなどの噂も聞かれる。
近年、マシロ・コーポレーションはアンドロイド製造業以外にも事業を拡大し、とくに現在各企業がシノギを削っている〈月面開発事業〉に力を入れているようだ。
ここまでの情報は世間でよく知られているものばかりで、真新しい情報はみられなかった。
三本目の缶ビールが空になった。
シュリについて調べてみる。まず検索に引っかかったのは論文だった。その数十二編。この数が十七歳の研究者として多いのかどうなのか、 本多にはわからなかった。それらの論文タイトルを見るに、アンドロイド工学についてか霊子力学についてかのどちらかのようだ。そのうちのひとつ「情報思念体の無機質グラフ構造体への定着可能性について」を読んでみるも、もちろん本多には論文の内容はまったくわからない。
霊子力学とは、物理学の最先端の分野である、ということくらいは本多でも知っていた。空間には、物質やエネルギーだけでなく情報も単体で浮遊しており、それを『情報体』と呼び、霊子力学とはその情報体についての運動力学らしい。かつてオカルトとして忌み嫌われていた〝霊〟や〝気〟が、いまや最先端物理学の研究分野として持て囃されているのだ。
シュリについてはそれ以外の情報をみつけることができなかった。父親の知名度に比べようもないが、その陰に隠れてしまっているような印象だ。
本多はウイスキーをガラスコップになみなみと注ぐと、水を飲むかのように、ストレートでがぶ飲みした。
シュリの母親、つまり真城コウタロウの配偶者についてはどうか。彼女の情報もほどんどなく、真城コウタロウの経歴の一部としての情報しか出てこなかった。第一子──シュリ──を出産した一年後に死亡したようだが死因までは書いていない。名前は『カヲリ』とある。
そうだ、シュリに今夜中に連絡するんだった。連絡しないとな──
× × ×
──記憶が途切れた。どうやら寝落ちしてしまったらしい。
シベリアの極寒の平原。
戦闘は激化している。本多の周囲では同僚たちが次々と肉片になっていく。本多の心は悲鳴を上げているのに、本多はそれを無視して前進をつづける。近くで砲弾が破裂しようとも本多は怯むことなく進んだ。
──またこの夢か。いい加減にしてくれ。
明晰夢なのに、本多には夢の筋書きを書き換えることができなかった。いつも決まった物語を強制的に見せられるのだ。しかもそれは、夢が作り出す支離滅裂で突拍子もない物語などではなく、本多が現実に体験した記憶の再生だった。
本多は戦場で叫ぶ。
「なんで生身の人間の俺たちが戦わなければならないんだ! こんなことロボットにやらせろよ!」
すると、体の半分を失い頭から脳を零している同僚が本多にこう言った。
「馬鹿かよ、お前。ロボット一体よりも俺たちの命のほうが安上がりなんだよ」
──俺の命なんてなんの価値もない。そんなことはとっくに知っている。
本多は自分の体を見る。右腕が無くなっていた。恐怖が本多を襲う。悲鳴を上げる本多の両目から炎が噴き出た。
× × ×
本多は事務所のソファーの上で目が覚めた。
息が乱れていた。
窓の外はまだ暗い。眠ってから一時間も経ってないだろう。
ひどい汗だ。
──この夢、何度見たことだろう。あの戦争から十年以上過ぎているというのに。
本多は体を起こし、ソファーに座る姿勢になった。
サイドテーブルの上には、ビールの空き缶が多数と安ウイスキーの瓶──中身は半分以下になっている──がある。自分自身の息が酒臭くて気分が悪くなった。
ウイスキーの瓶の脇にタンカラーのコルトガバメントM45A1が置かれていた。本多がPMC時代に支給されたオートマチック・ハンドガンだ。
本多は、衝動的にそれを手に取ると自分のこめかみに銃口を当てた。引鉄にかけた人差し指が震えている。決心がつかない本多は、次に銃口を口に咥えた。体を強張らせる──
しかし結局、引鉄を引くことはできなかった。
毎回この繰り返しだ。本多はハンドガンをサイドテーブルの置いた。
両手で自分の頭を抱えた。
──いつになったらこの悪夢から解放されるのか。