7 セクサロイド、電脳ストーキング
奥はダイニングキッチンになっていた。だいぶ広い。おそらく隣の店舗と間取りは一緒のはずだから、玩具の陳列棚をすべて取り除いたら、これくらいの広さがあるのだろう。
「本多さん、いらっしゃい」
妙に艶っぽい声が出迎えてくれた。声の持ち主はブロンドヘアの美女だった。カールしたブロンドヘアは背中まであり、毛量の多さと性欲とが比例しているような妖艶な女だった。ボディーラインの出るぴっちりとした服のせいでスタイルの良さがよくわかる。細い腰に比べて不釣り合いなほど乳房が大きい。胸元がV字に大きく開いたシャツから張りのある乳房が溢れ出そうになっている。
「なかなか顔を見せないで、どこでなにしてたの? さみしかったじゃない」と甘ったるい声で言うと、女は胸の谷間を見せつけるようにして本多に擦り寄ってきた。
「お、おう……」
これがセクサロイドだとわかっていても本多はたじろいでしまう。
ブロンドヘアの陰から黒髪ショートボブの少女が顔を出した。
「本多さん、おひさしぶりです」
「よお、1号。ひさしぶりだな」
白いワンピース姿の少女の清楚な声と可憐な微笑みに本多は救われた気がした。とはいえ、この女子高校生のような美少女も花袋のセクサロイドなのだが……。
花袋は、人には「セクサロイドを人形呼ばわりするな」と文句を言う割に、セクサロイドたちに名前をつけておらず、番号で呼んでいた。黒髪ショートボブの少女が1号で、ブロンドヘアの女が2号だ。
「あ! ミッチーだあ! わーい!」
フリルのたくさんついたフワフワした服を着たポニーテールの3号が、無邪気に駆け寄ってきて、本多の首に抱きついた。3号の体には──2号とは正反対に──凹凸がまったくなかった。
3号は本多から離れると弾けるような笑顔で、
「ミッチー! 今日はなにしにきたの? 一緒に遊べる? ねえ、ボクと遊ぼうよお」
と言ってきた。3号はかなりの低身長なので、首を四十五度以上後ろに曲げて、本多を見上げた。
「いや、今日は仕事で来たんだ。お客さんも連れてきてる」と中年男性に扮したシュリを指差した。
すると3号は、
「わーい、オジサンだ! ボク、オジサン大好きー!」
と今度はシュリの首に抱きついた。
「ああ、ダメだよ3号。お客様にそんなことしちゃ」1号が止めに入る。
「うぇ~ん。ごめんなさ~い」3号は泣き真似をした。
(こうして見ると1号と3号は姉と妹のようだな。花袋のことだ、そういう変態的なシチュエーションにしてるのかもな……キモ)と本多は思った。
「よお、本多」
キッチンでなにやら料理をしている4号が声をかけてきた。
4号は本多とほぼ同じくらいの身長で──本多の身長は一八〇センチメートル弱──横幅も大きかった。恰幅がよく、有り得ないほど乳房と臀部が巨大だった。
「最近全然顔見せに来なかったじゃないか。つれないねえ。そうだ。今日は飯食ってくんだろ。食ってけよ、なあ?」
「いや、まだ仕事があるから」
「なんだよ……でも仕事じゃ仕方ないね。次は必ず食べてくんだよ」
「ああ、わかった。そうする」
さっきの半裸男──おそらく5号──がキッチンに入り、4号を手伝って一緒に料理をはじめた。
「アンドロイドを家族のように大事にしてくれて嬉しいです。私も共感します」シュリが本多の耳元で囁いた。
「家族、か?」
「はい。あの奥の大きい女の人がお母さん。金髪の人がお姉さんで、彼がお兄さん。あの二人は次女と三女ですかね」
「それじゃ、花袋がお父さんか」
「そうなりますね」
「それは大いに問題があるだろ」
「なんでですか?」
「だって……」
こいつらは花袋のセクサロイドなんだから、とは口にはせず心の中だけで思うことにした。
「で、仕事ってどんなの?」と花袋。
本多とシュリは花袋の仕事部屋に通されていた。サーバが十台ほど積まれたラックがさらに何列も並んでいて、冷却ファンがゴンゴンゴンと唸り声を上げている。部屋の冷房は最低温度に設定されているはずだがサーバの排熱を処理しきれていないため、部屋の中は暑かった。
「ある女性を探してほしい。名前は真城シュリ。年齢は十六歳。四日前の新宿までの足取りは確認したんだが、その先が不明なんだ」
「ふーん、簡単そうな仕事だね。データを頂戴」
本多はシュリの履歴と画像のデータが入ったメモリデヴァイスを渡す。花袋はそれを受け取るとサーバの端子に突っ込み、自分はヘッドセットを被った。両眼を覆うゴーグルは遮光性になっていて視界を塞ぐ役目しかない。
花袋は後頸部にある電脳端子にモンスターケーブルの極太ジャックをブッ刺した。
堰き止めていたデータが一気に放流される。花袋は体を仰け反らせ、ビクビクと痙攣していた。データが脳内に流れこんでくるこの感覚が花袋にとって最上の快楽だった。
「OK。クレジットの最終履歴から新宿の層間昇降機を利用した形跡がある。まずは層間昇降機のデータベースに侵入してみるか」花袋は言った。
花袋は完全電脳化をしている。チタン合金の筐体に脳を収納し、脳髄に満たしたナノマシンでシナプスの電気信号を完全にトレースしている。ネットワーク接続に特化したチューンアップが施され、データは視覚化され、入力システムも左脳言語野に最適化されている。
層間昇降機のデータベースが見えてきた。花袋が書いたパッチをデータベースの外壁に貼り付けるとぽっかりと大きな穴があいた。
「そういえば、シュリちゃんのお顔をまだ見てなかったな。どれどれ……うひょー! けっこう可愛いな。むふ、この子の来歴調べちゃお……げっ、まじか。おい、ミッチー!」
花袋はゴーグルをつけたまま、本多がいると思しき方向へ振り返って言った。
「この子、マシロ・コーポレーションのご令嬢なのか」
「ああ、そうだ」
「まじかよ。めちゃくちゃ太客捕まえたな。だとすると、そちらのオジサンはお父様?」
「いや、マシロ・コーポの……木村さんだ」
「き、木村です」シュリは辛うじて反応して挨拶をした。
「社員さん?」
「そうだ。父親の代理で俺に依頼してきた」と本多。
「木村さん……」花袋は呆れたように頭を横に振った。「何故よりによってこんなチンケで最底辺の探偵に依頼したんですか。あなた方の資金力ならもっと大手の優秀な探偵事務所に依頼できたでしょう」
「おい、余計なこと言ってないで仕事しろ」本多が抗議した。
「はいはいわかりました。追跡をつづけますよ。さて、シュリちゃんが乗ったと思われる層間昇降機内のカメラ映像があったぞ。モニターに映す」
六台あるモニターのひとつが層間昇降機内の映像に切り替わった。何人か乗客が映っている。
「これ、シュリちゃんじゃないか」と花袋。モニターの映像がズームアップされ一人の乗客の顔がはっきりわかる大きさまで拡大された。
「真城シュリだ。間違いない」本多は言った。
「この人物をマーキングした。お、早速次の層で降りるみたいだ。0層か」
新宿第0層──元々〝地上〟と呼ばれていた階層で、百年前には地表はこの層ひとつだけだった。この第0層を土台にして、上空に、地下に、階層構造が次々と増築されていき『多層構造都市』が出来上がったのだ。
「街に出たぞ。よし、ストーキングを開始する。どんどんカメラを切り替えてくぞ」花袋は俄然やる気が出たようだった。「シュリちゃんの行き先を予想して周辺にある監視カメラをハッキング、シュリちゃんの姿をとらえたカメラの映像をモニターに表示していく」
モニターに映し出される映像が次々と切り替えられていく。映像の中のシュリには赤い四角形でマーキングされているのですぐに認識できた。
「歌舞伎町の歓楽街に向かってるようだな」
本多が映像の背景を見て推理した。結果はその通りになった。
シュリは歌舞伎町の中心部に来た。そこはかつて劇場前広場と呼ばれていた場所で、今は下層へ降りるための層間昇降機が三基あった。
層間昇降機といっても上層にあったような立派なものではなく、座席はおろか〝箱〟ですらない。ただの〝上下に動く地面〟だった。吹き曝しのフロアに転落防止用の簡単な柵が付いているだけの工事現場にあるような無骨な昇降機だった。
「おいおい、歌舞伎町ですら治安が悪いのに、危険地帯の〝地下街〟に行くつもりか」と本多。
映像でシュリが地下街行きの層間昇降機に乗ったの確認した。
「クレジットの履歴にこの層間昇降機の料金はなかったけど。どうゆうこと、ミッチー」
「この層間昇降機は新宿の商工会や自治組織が共同で運営していて、市民に無料で提供されてるんだ。上下の人の流れを促進させて経済効果を生もうという腹さ」
「ほほお、なるほどね。昇降機内に監視カメラが設置されてないから各層の乗降口付近のカメラをハッキングして、シュリちゃんが降りたかどうかを検索する」花袋はすこし間を置いて、「地下3層だ」と言った。
映像が切り替わる。街の風景が今までとあきらかに違っていた。
新宿地下1層以下の階層都市──通称『地下街』は、地上以上に欲望のまま無秩序に街を拡張していった結果、魑魅魍魎が跋扈する複雑怪奇な魔窟と化していた。横の拡がりだけでなく、上下にも無計画に空間を侵食していったため三次元的な迷路のように入り組んでいた。
本多は花袋に聞こえないほどの小さな声でシュリに訊いた。
「なんでこんな危険な場所に? 覚えはないのか?」
「ごめんなさい。私もはじめて見る光景です」
「そうか」
シュリのような上層市民が地下街に来る理由を本多も思いつけずにいた。
「ここから先は監視カメラの数が激減する上に、規格も滅茶苦茶だ。化石級の伝送線もある。ストーキングの難易度爆上がりだぜ」
花袋は、難問に挑む数学者のような気分になり、昂っていた。
「一般ハッカーなら見失うかもな。しかし僕は希代のスーパーハ……やべ、見失った」
「おい! 大丈夫かよ、花袋」
花袋はあからさまに焦っていた。
「大丈夫大丈夫……えーと……あ! いたいた!」
映像が切り替わる。シュリは屋台が立ち並ぶ賑やかな通りを歩いていた。そこからさらに先に進むと、通り沿いにある店舗に入っていった。
「この店は?」本多が言った。
「地図情報では『喫茶わかば』とあるね。でも額面通りには信用できないと思うけど」
「ああ、なにせ地下街の店だからな。裏でどういう使われ方をしてるかわからない」
「残念ながら」と言って花袋はヘッドセットを脱いだ。「ここから先に時間を進めてみてもシュリちゃんの姿はヒットしない。おそらくこの店がシュリちゃんの最後の消息になるね」
「店内の様子はわからないか」
「カメラその他、記録装置の類は一切ない。犯罪の証拠を残さないためかも」
「有り得るな……」