6 スーパーハカー
「うわあ。これがアキバかあ」シュリは興奮気味だった。
ホログラムCM、電飾看板、ネオン広告──『多層都市構造』の弊害のひとつである「日照が下層に届かない」事案も、秋葉原のこの光の洪水の前ではまったく問題がない。
アキバ──電脳とサイバネティクスとヲタクの街。通りには人で溢れ、すれ違う者のほとんどが体の一部を機械化していて、その誰もがサイボーグ化した部分をこれ見よがしに露出していた。
「さすがサイバーシティーアキバですね。サイボーグの人が多いです」
周りをキョロキョロと見て歩くシュリはまるで〈おのぼりさん〉のようだった。しかし実際には彼女の方が超上級市民ではあるのだが……。
「最近の流行りだ。ああやって機械化した部分を見せて歩くのが今時のファッションらしい」
「本多さんも右腕がサイボーグですね」
「ああ、事故で怪我してな」と言いながら右手をシュリに見せた。人工皮膚もついていない安物の義手だ。「実は両目も機械なんだ」
「そうなんですか」
「ああ。でも今時じゃ欠損してない体をわざわざ機械にする奴が多いらしい。失った生身の体は二度と元に戻せないのにな。俺にはよくわからん」
「それは、その通りです」
本多ははっとした。生身の体を探しているこの子に今この話題はまずかったか、と自分の軽口を悔やんだ。
「ところで本多さん、ハッカーさんはどちらにいるんですか。はやく会いたいです」
シュリが興奮している理由は、はじめて秋葉原に来たこと以外にも、もうひとつあった。それは本物のハッカーに会えることだった。
「はあ」本多は溜息をついた。「本当はあんまり会わせたくないんだけどな」
本多はげんなりしていた。シュリが「そのハッカーさんに会いたいです」と言い出したとき、本多はきっぱりと断った。が、シュリもなかなか引き下がらなかった。何度か押し問答が繰り返された結果、本多が根負けして折れたのだ。
「そんなに会わせたくないって……あ、そうか。ハッカーは秘密の職業ですもんね。身元は明かさないことが鉄則なんですね」
「いや、そんな高尚な理由じゃないよ。単純に会わせたくないんだ。気軽に人に会わせていいような種類の人間じゃなくてね。害悪、というか」
「え? どういう意味ですか」
「いやあ……」本多は言葉を濁した。
電気街の大通りを一本奥に入る。路地裏を奥へ奥へと進むたびにネオンの色が徐々に煽情的なものに変化していった。
シュリが大人しく本多のあとを付いていくと、「あの、ここなんだが……」と本多がある店を指差した。
その店はアダルト玩具の店だった。看板には『ADULT TOY SHOP FLOWER』とあった。
「なんのお店ですか」とシュリは無邪気に訊いてきた。本当に何の店かわからないようだ。
「いや、気にならないんならいいんだ……いや、その前に頼みたいことがあるんだが」
「私にですか?」
「君は見た目を変えられるんだよな。なんだっけ、スライムなんちゃらってやつで」
「スライムスキンです。可能です。骨格までは変えられませんが。あくまでも表面的な変形です」
「そうか。じゃあ、見た目を男にしてくれないか」
「なんでですか」
「いや、その方がいろいろと話が進みやすいんだ。ハッカーには人探しの協力を頼むつもりだ。つまり、君の行方を探す協力を、ね」
「はい」
「それなのに、消息不明の君が俺の隣にいたら話がややこしくなるだろ」
「なるほど納得です。で、どんな男性になればいいですか」
「そうだな。できれば中年のオジサンになってほしいんだが」
「大丈夫です。なれます」
「できるだけ疲れ切ったオジサンでお願いする」
「疲れ切った……ですか。どんな感じでしょうか」
「そうだな……」と本多はまわりを見渡した。路地を歩く一人の男を指差しながら「あれあれ。あんな感じの疲れたオジサンになってくれ」と言った。
「はい」
本多の目の前で、一人の少女が中年男性へと、あっという間に変化した。
「でも、なんでオジサンなんです? 別に男性でなくても中年でなくてもいいですよね。私以外になればいいんですから」
「そうなんだが、ちょっと理由があってな。オジサンの方が都合がいいんだ」
二人は店に入った。店内は狭く、棚と棚の間にある通路も窮屈だ。にもかかわらず、客は結構な数がいた。
本多はシュリを連れて店の奥へと進んだ。レジカウンターの裏に店番ロボットがいた。
「本多様、こんにちわ。お久しぶりです」
「よお。花袋はいるか」
「はい、いらっしゃいます。いま取り次ぎます。お待ちください」と言ったものの、店番ロボットは何もせず突っ立ったままだったが、内部では花袋に連絡してるのであろう。
「本多さん本多さん」シュリが本多を呼んだ。「これってどうやって遊ぶんですか?」シュリの手には、言葉にするのも憚れるほど卑猥な造形の玩具があった。
「ばっ! な、なにやってんだ!」
「え? ここっておもちゃ屋さんですよね。これっておもちゃじゃないんですか?」
「いいから! そんなもん戻してきなさい! 早く!」
「……はい」シュリは納得していない顔で玩具を元の場所に戻しにいった。
「本多様」
背後から店番ロボットが急に話しかけたので本多は飛び上がってしまった。
「な、なに?」
「奥にどうぞ」と店番ロボットは言ってレジカウンターの後ろにあるドアを開けた。
本多とシュリはそのドアを抜けた。そこはバックヤードになっていて在庫品置き場になっていた。さらに奥にドアがあり、それを開けると外廊下があらわれた。
廊下の下にはドブ川が流れており、ひどい悪臭を放っていた。
「うう……」シュリは鼻を摘まんだ。
本多は外廊下を進み、隣の部屋のドアをノックした。
しばらくあってドアが開く。出てきたのは筋骨隆々のイケメン半裸男だった。
「はじめまして本多様。お話はかねがね主人より聞いおりてます。そちらのお方は?」
「あ、はい。私は真城と申します」低いダミ声で答えた。
「はじめまして真城様。歓迎いたします」
「よろしくお願いします」
本多は男の顔をまじまじと見つめていた。
「なんでしょう?」
「……いや、新しい人形か」
「人形?」半裸男はきょとんとした顔をしていたが、「……ああ、はい。そうです。二週間前にこちらに来ました」と答えた。
部屋の奥から声がした。
「こら、ミッチー」
見ると、電動車椅子に乗った超肥満の男がそこにいた。腹の脂肪が車椅子の肘掛けに乗ってしまうほど太っている。車椅子を使用しているのも自分の脚で体重を支えることができないからだろう。
「僕の可愛い子たちを人形呼ばわりしないでもらいたいね」
「そうだったな、花袋。撤回する。すまない」本多は素直に謝罪した。「とはいえ、なんで男なんだ?」
「ふふふ」花袋は不気味な含み笑いをした。「ミッチーはアナルセックス、好き?」
「は? なんだよ、いきなり。好きもなにも経験ねえよ」
「へえ、そうなんだ」
花袋は憐れむような視線を本多に向けた。なんだか見下されたような気分になり本多はむかついた。
「僕は前々からアナルを嗜んではいたんだけど、ある日、〝する側〟ばかりで〝される側〟は未経験だったことに気づいてね。それに気づいたら試さずにはいられなくなってさ。で、早速──」
「もういい」本多は花袋を制止した。
「は?」
「その話はもういいから。今日は仕事を頼みにきたんだ」
半裸男は性行為機能をもったアンドロイド──セクサロイドだった。セクサロイドはあらゆる嗜好に対応可能な多機能高性能であり、皮膚や生殖器の質感もより人間に近づけて造られた高級品だ。
「本多さん、こちらは?」中年男性に化けたシュリが訊いた。
「ああ、これが花袋だ。電脳分野でいつも手伝ってもらっている」
「外部委託って言ってくれよ。もちろんその対価はきちんと支払ってもらうんだけどね、ミッチー」
「わかってる。今回は大丈夫だ」
「ふん、どうだか。……でも、ミッチーがここに客を連れてくるなんて珍しいじゃん」
「お前に会いたいと言って聞かなくてな」
「どうしても本物のハッカーさんにお会いしたくて本多さんに無理を言いました。ハッカーさんにお目にかかれて光栄です」
「スーパーハカー」
「え?」
「スーパーハカーね」
「スーパー、ハカー?」
「そう。それは選ばれし者にのみ許されたキングの称号」花袋は恍惚な表情でつづける。「ハッカーたちがその称号を口にするとき尊敬とともに畏怖の念を抱くという。ハッカー・オブ・ハッカーズ。凄腕電脳ダイバー。それこそがスーーパーーハk」
パンパン、と手を打ち鳴らす音が響き渡った。本多が花袋の話に割って入ってきた。
「はいはい、さっさと仕事の話をしよう。中に入らせてもらうぞ」
「ちょ、ちょっとミッチー。最後まで言わせてよ。一番カッコいいとこなんだからさ」
それには答えず、花袋の車椅子の横を通り抜け、本多は奥の部屋へと入った。