4 マガトロン波動測定器
マシロ・コーポレーション──
世界屈指のアンドロイド製造企業であり、創業者の真城コウタロウは十年余りで会社を世界規模の大企業にまで急成長させた稀代の経営者として有名だ。
本多探偵事務所に奇妙な捜査を依頼してきた少女が、その真城コウタロウの娘だという。
「聞いてないよぉ」
本多は弱々しくぼやいた。
「そうでしたか? でも今回の件は父とは関係ないですし」
「いやいや、そういう問題じゃなくてさ!」
シュリは本多の訴えを無視して、塀に設置されたカメラレンズの前に立ち、その下にあるセンサーに親指を押し当てた。
ピッという電子音のあと黒い門がゆっくりと開き始めた。
「おいおい、今のまさか生体認証じゃないよな」本多が指摘した。
「え? 顔認証と指紋認証ですけど」
「あのさ、君、アンドロイドなんだよね? なんで認証が通るんだよ」
「スライムスキンですよ。説明したとおもいますが分子レベルの形状変化が可能なので。指紋くらいなら簡単に模倣できます」
「だから、それってまずくないか。防犯的に」
「はい?」
「誰にでもなりすませるってことだろ、それって。生体認証キーの家なら侵入し放題じゃないか」
「あ、たしかに……」シュリは眉間に皺を寄せて考え込んだ。「そこまで考えが至りませんでした。この件については熟考する必要がありますね」
「おいおい……」本多は呆れていた。
黒い門が完全に開放された。その先には敷地が延々とつづいており、終わりが見えない。そのあまりの広大さに本多は言葉を失った。
「……」
敷地のなかには城のような建物が見えるだけでも三棟あった。
呆然と立ち尽くす本多をよそに、シュリはさっさと先に行ってしまった。
「ちょっ、ちょっと待ってくれ」
「はい?」シュリは振り向いた。
「な、なんで俺なんだ? 俺みたいな零細じゃなくて、もっと大手の探偵事務所に依頼すればいいじゃないか。君なら可能だろ」
「ニャルラトホテプ事件」
本多は顔を歪めた。三年前、本多が解決した事件だ。
「当時、私もあの事件に夢中になりました。本多さんのことも当然あの事件で知りました。かっこよかったです」
かなり世間を賑わせた事件だったため、それを解決した本多も名が知られて騒がれたものだった。
「あんな事件、今じゃ誰も覚えてない。みんなすぐに忘れるからな」
「私は覚えてますよ。だから自分になにか困ったことが起きたらそのときは絶対本多さんに依頼しようって決めてたんです」
「そうですか。そりゃどうも」と言ったあと小声で、「あの事件以来おかげでこんな変な依頼ばっかだよ」と愚痴を吐いた。
「はい? なんですか?」
「いや、こっちの話だ。でも、そうだ。まずさ、困ったときは親御さんに相談すべきじゃないのか。俺じゃなくて」
「母は私が小さい頃に亡くなりました。父はあの通り忙しい人なので、一緒に過ごした記憶がありません」
「そう、か……」
大富豪の娘でも孤独なのかもしれない──本多はそんな想像をした。
「本多さん」シュリは真剣な顔で言った。「なんでこんなことになったのか、原因は何なのか、私の体に何が起きたのか……その記憶が私にはありません。意識が戻ったとき正直いうとこんな状況になっていることにパニックになりました。どうしたらいいかわからなかった。でも真っ先に頭に思い浮かんだのが、本多さんだったんです」
「俺?」
「はい」
「なんで」
「さあ、なぜでしょう? でも、本多さんなら助けてくれるって思ったのかもしれません」
広大な敷地の中に小型飛行機の格納庫のような建物があった。シュリはその建物に本多を案内した。
中は巨大なガレージといった様相だ。マシロ・コーポレーション代表の自宅らしく、ロボットやアンドロイドの残骸が大量にあった。さらにロボット製作に使うであろうさまざまな工具や部品類が無造作に置かれていた。
そして、建物の最奥にそれは鎮座していた。大きさは四トントラックほど。パイプや配線が醜く剥き出しているその機械は禍々しい存在感を放っていた。
「これがマガトロン波動測定器です」
「これが……って。いやいやいや、なんでこんなもんが個人の家にあるんだよ!」
「なぜって、えーと、私の院での研究テーマが『無機物グラフ構造体における情報思念体の発生可能性について』なので、マガトロン波動測定器は設備として必須なんです」
「……いや、そうじゃなくてさ」
「まあまあそんなことより、本多さん。これで私がアンドロイドに憑依した情報思念体だということを証明できますよ。雪丸!」シュリは突然、大声で謎の言葉を叫んだ。すると一体の旧型ロボットがのそのそとやってきた。どうやらそいつが〝雪丸〟らしい。白くて丸っこい機体だからその名前を付けたのだろうか、と本多は思った。
「お呼びでしょうか、シュリ様」
雪丸はどこにでもいる家事ロボットのようだ。もちろん『マシロ・コーポレーション』製だ。
「雪丸、ちょっと手伝って」
シュリは雪丸の手を引いてマガトロン波動測定器の方へ連れて行った。
「雪丸はごく一般的なロボットです。見た目が違うだけでアンドロイドと本質的には変わりません。両方とも機械の体です。つまり、今の私の体と同じだということです」
「まあ、そういうことになるのか」
「それでまず、雪丸をマガトロン波動測定器で調べます。マガトロン波動測定器は〝気の集中〟や〝情報思念体の有無〟を測定できる機械です。雪丸の機体のなかに情報思念体が存在するかどうかを調べます」
雪丸はシュリに指定された場所まで歩いて行った。そしてマガトロン波動測定器と互いに向かい合う位置で立ち止まった。
シュリがマナトロン波動測定器の脇にあるコントロールパネルを操作する。
四トントラック大の機械全体が「ブルル」と大きく身震いしたかとおもうと、その後は一定のリズムでゴンゴンゴンゴンと金属的な音を奏ではじめた。
「本多さん、こちらに」シュリがコントロールパネル上部のモニターを指差し、促した。
本多がモニターを覗くと、モノクロ画像で雪丸のアウトラインらしきものが表示されていた。
「このモニターには情報思念体から放射される〝エーテル線〟や〝アストラル線〟を解析した分布画像が表示されます。本多さん、エーテル線とかご存知ですか」
「オーラみたいなやつだっけ」
「そのとおりです。通常、エーテル線やアストラル線は〝生命〟と呼ばれるものだけから放射されます。ここまでよろしいですか」
「ああ」
「では、いまから解析をはじめます。ちなみに人体に悪影響はありませんので心配しないでください」
「わかった」
ゴンゴンゴンという金属音がより一層大きくなった。
二分ほど経ったとき、「ピー」という電子音とともにコントロールパネルに『completed』という文字が表示された。
「解析が終了しました。本多さん、見てください」
本多はモニターを見た。しかし画像に変化はなく相変わらず雪丸のアウトラインが見えるだけだった。
「このようにロボットはエーテル線とアストラル線を放射していないことがわかります。つまり無生物のロボットには情報思念体が宿っていないということです」
「当たり前のことじゃないのか」
「そうですね。では次に」シュリは自分の顔を指差した。「私も同様のことをしたいと思います。私の体をマガトロン波動測定器で調べます。もし、このアンドロイドの機体に何かしらの情報思念体が憑依していれば、ここにそれが表示されるはずです」
「なるほど」
「ということで、本多さん。私が定位置についたらこのボタンを押してください。そうすれば解析がはじまります」
「オーケー」
シュリは、雪丸と交代して、マガトロン波動測定器の正面に立った。コントロールパネルにシュリの身体のアウトラインが浮かぶ。
「お願いします」
本多が指図通りにボタンを押すと、先ほどと同じように金属音が一段とうるさくなった。数分後、『completed』と表示された。
「うお」
本多は驚嘆の声を上げた。さっきまでモノクロ画像しか映っていなかったモニターに鮮やかな虹色が広がっていたからだ。
モニターを覗いたシュリも満足そうだった。
「とりあえずこれで、この機体に何かしらの情報思念体が憑依していることは証明できました。そこまでは信じてもらえましたか、本多さん?」