2 奇妙な依頼者②
「私の体を探してください」
──いま、そう言ったのか?
本多は戸惑いを隠すことができず、かなりあたふたしながら、「えっと……それは、どういう意味でしょう?」と訊いた。
「へ?」シュリはきょとんとした顔をした。それからしばらく考え込むと、「あ、そうか」と合点がいったようだった。「そうかそうか、そうですよね。説明が足りませんよね。だめだな~。私いつもこうなんです。説明不足ってよく言われて。自分だけが納得してて人に伝えるの下手糞なんですよ」
「はは、そうですか。よかった」本多は自分で言っておいて、なにがよかったのか、まったくわからなかった。
「今、私のこの体、アンドロイドなんです」
「……はい?」
「はい。今朝起きたらですね。体がアンドロイドになってたんですよ。厳密には、私の『情報思念体』がこのアンドロイドの機体に憑依していた、ということになります。はい」
さらに意味のわからないことを言われ、本多の思考は停止した。
「……アンドロイド、ですか」
「はい。あ、アンドロイドについて説明不足でしたか。アンドロイドというのはですね、基本的にはロボットなんですが、より人間の形に似せて造られた人造人間といいますか──」
「知ってます」
「え」
「アンドロイドについては、知ってます。じゃなくて、『情報なんちゃら』とか『憑依した』とかのところをもう一度お願いします。よくわからなかったので」
「そうですか。はい、わかりました。えっとですね。『情報思念体』とはとても簡単に言うと、『魂』や『霊体』みたいなものです。つまり私の魂がこのアンドロイドの中にいて、私の本体──生身の体の行方がわからなくなっちゃった、というのが今の状況です。どうでしょう? 伝わりましたか?」
「あなたの体は……本体の方はどうしちゃったんですか」
「さあ? それを本多さんに探していただきたくて来たんですけど」
「そ、そうでしたね」
本多は恐る恐るシュリを見た。綺麗な目をしている。真実しか語らない透き通った目だ。
彼女の言葉に嘘はない。ならばこれは、十代特有の罪のない病的な思い込み、心が檻に閉じ込められているという暗喩、純粋でイカれた妄想、か。
「さっきも言いましたが、今朝目が覚めたら体がアンドロイドになってたんです。いえ、意識が戻ったと言ったほうが正確かも。というのも数日の記憶が無いんです」シュリは神妙な面持ちでつづけた。「少なくとも三、四日……もしかしたら一週間くらい記憶が無いような気がします。はっきりしたことが言えないのは最後の記憶があやふやだからなんです。いつ意識を失ったかもわからなくて」
「……」
(ヤベえのが来ちまったな)
というのが本多の率直な感想だった。
これは、理路整然と反論したり、無碍に追い出したり、などといった手段はとらないほうがいいだろう。あまり刺激しないほうが得策だ、と本多は判断した。
(なるべく穏便にお引き取り願おう)
と本多は方針を決めた。
「しかしこれはかなりレアケースですね」シュリはあごに手を添えて独り言のようにつぶやいた。
「なにが、です?」
「あのですね、情報思念体が物に憑依することはとくに珍しいことではないんです。たとえば〈呪いの人形〉とか聞いたことありませんか。あれは人形に〝浮遊する情報体〟が着床して起きる現象なんです。あ、ちなみに〝浮遊する情報体〟てワードはいま学会でトレンドなんですよ」
「くわしいんですね」
「はい。私、霊子力学専攻なので」
「はあ」
「それでですね、呪いの人形などの場合、憑依するのは低級の自然霊や死者の残留思念などが大半なんです。でも私の場合、いわゆる〈生き霊〉ってやつです。しかもアンドロイドの電脳を完全にハッキングしてるわけです。これはかなりレアです。というか前代未聞です」
「つまり、生き霊版の呪いの人形だと」
「はい。アンドロイドも操り人形みたいなもんですから。いわば自立型機械傀儡ってとこですかね、ふふ」
「それで、君はいまアンドロイドなんだよね」
「はい。体はアンドロイドです。そう見えませんか?」
「うん、そうだね。あんまり見えないかな。なんていうか……アンドロイドの肌ってどうしても作り物っぽいじゃない? 人工皮膚って感じで。でも君の肌はそうは見えないから」
「そうですか?」シュリは自分の腕をまじまじと見た。
「ああ。質感が人間の肌にしか見えない」
「むふふふ」シュリは、なぜか、ドヤ顔を本多に向けた。「本多さん、あなたは目の付け所が素晴らしいですね」
「?」
「これは私が開発した『スライムスキン』というものなんです。ナノマシン技術の応用で、電圧変化によって形状を変えられる人工皮膚なんです。たとえばこんなこともできますよ」
すると、シュリの皮膚の色がみるみる浅黒くなっていった。さらに顔付きが変化していき、男のような角張った顔になった。よく見ると胸のふくらみも消えて平らになっていた。
少女が目の前で褐色の男になった。本多は手品を見せられているような気分だった。
褐色の男が低い声で言う。
「骨格までは変えられないですけどね。変えられるのは表面部分だけで。分子レベルで形状を変えられるので天然皮膚のような質感になるんですよ。たしかに見分けるのは無理かもですね」
本多はなにも言えない。
「すごいでしょ、スライムスキン。私が発明したんですよ。でも費用が普通の人工皮膚の一〇〇〇倍もかかるので実用化はまだまだで──」
「ちょっと待った!」本多は右の掌でシュリを制した。
「はい?」
「すまん。頭が追いつかない……」
と言っている間に褐色の男が色白の少女に戻っていた。
「つまり、君は本当にアンドロイドなんだね」
「さっきからそう言ってます」
「じゃあ、こうは考えられないか。君はアンドロイドだが、自分を人間だと思いこんでるアンドロイドなんじゃないか。つまり故障かなにかで電脳の調子が悪くなってるんじゃ」
「なるほどぉ、そういう考え方もあるんですね。それは思いつかなかった」シュリは感心していた。「なるほどなるほど、そうですねえ。でも、それについては証明する方法があります」
「証明?」
「はい。この機体に情報思念体が憑依していることを証明すればいいんですよね。それなら可能です」
「可能って、どうやって?」
トントントン──
ドアをノックする音。
「本多さん、いらっしゃる」と外から女の声が聞こえた。
「やべ、大家だ」本多は、ちょっとすいません、とシュリに断りを入れて席を立った。
ドアを開けると恰幅のいい中年女が立っていた。
「酒くさっ! なに、二日酔い?」
「はい、すみません。大家さん、あの……家賃ですよね」
「そうよ。六ヶ月分。半年も滞納されちゃあたしも困っちゃうのよね」
「すみません。大変申し訳ないんですが、もうちょっと待ってもらうことはできないでしょうか」
「ちょっと本多さん」大家はキッと本多を睨みつけた。「いい加減にしてもらわないとこっちも最後の手段に出るしかなくなるよ。そうなったらあんたも困るでしょ。一ヶ月分でいいからさ、出せないの?」
大家は本多越しに事務所の中を覗いた。
「あれ? 珍しいじゃない、お客さん?」
「ええ、まあ……」
「へえ、よかったじゃな──」シュリを視界にとらえた途端、大家の言葉が途切れた。
大家は本多を押しのけて部屋に入ると、骨董品を見る鑑定士のように、シュリをいろんな角度から無言のまま吟味した。
納得がいくまで吟味したあと、大家はやっと口を開いてこう言った。
「あなた、不思議ね。この世の人じゃないように見えるけど……体があるのね」