22 オカメさん
目覚めると、すでにホテルの窓から日が差しこんで、部屋のなかを照らしていた。
本多は座禅を組んでいたはずだが、いつのまにか眠ってしまったらしい。ベッドに仰向けになって、きっちり丁寧に毛布までかぶっていた。どうやら降りてきたのはインスピレーションではなく、睡魔のほうだったか。
本多が寝返りをうつと、ベッドの左スペースに違和感を覚えた。なにかしらの物体がベッドの上にあるらしい。
毛布をめくる。
そこには胎児のように丸まった姿勢で眠るシュリの姿があった。
「なッ!」
本多は飛び起きると、自分が全裸であることにおどろいた。昨晩シャワーを出たあと何も身につけずにいたことをおもいだす。本多は床に脱ぎ捨てたままのアンダーウェアに手をのばすと、ベッドのなかでいそいで履いた。
ズボンはさらに遠くに落ちている。本多はパンツ一丁でベッドを出るとズボンを拾った。
「ん、んん」シュリが起きそうだ。
本多は焦ってズボンを履こうとするも、足がズボンにひっかかりバランスを失うと、盛大に転んだ。
その音にシュリはスリープ状態から復帰した。
緩慢なうごきで上体を起こすと、
「おはよーごじゃいましゅ」
といった。復帰直後のシュリはまだ呂律がまわっていないようだ。
本多は床に寝転んだまま素早くズボンを履いた。
「お、おはよう──じゃなくて! なんでここで寝てんだ!」
「ふぇえ?」とシュリ。
「君の部屋は隣だろ!」といいながらシャツがおちているところまで這いつくばって進む。シャツを拾うといそいで袖をとおす。
「……ああ、ごめんなさい。昨晩は、どうしても一人でいるのがイヤで……」
「お、わ、若い女の子がそんなことしちゃダメだ」
それをきいてシュリは黙りこんだが、しばらくして、
「すいません。部屋にもどります」
と、かなしそうにベッドから降りた。
トボトボと部屋を出ていこうとするその後ろ姿に本多は憐憫の情を抱かずにはいられなくなった。
「ちょ、ちょっと待った」
本多が呼び止めるとシュリは戸惑いながらふりむいた。
本多は気恥ずかしそうに言った。
「……すまん。つよく言いすぎた。君も、昨日は大変だったんだよな」
なにせ自分が死んだと知らされたのだ。そんなことになれば誰だって──そんなことになる人間はあまりいないとおもわれるが──普通でいられるわけがない。
自分の死を受け入れられずに現世を彷徨っている霊はたくさんいる。それにまだ十代の子供なんだ。夜に一人でいるのが怖かったのかもしれない。
「気が利かなかったのは俺のほうだったな。すまん。ここにいてくれていい」
「……いいんですか」
「ああ」
「ありがとうございます」シュリはうれしそうに笑った。
本多は腕時計をみた。午前十一時をすぎていた。
「寝過ぎたな。なにか飲むか。といってもコーヒーか水くらいしかないが」
「本多さん。私、アンドロイドですよ」シュリが笑った。
「あ……そうか。すまん」
「でも、せっかくなんでコーヒーをいただきます」
「えっと、しかし……」
「いまどきのアンドロイドは対人コミュニケーションを円滑にするために摂食機能がデフォルトで搭載されてるんですよ。まあ、消化はされないんであとで捨てることになるんですけど」
「はあ……そうなのか」
二人は部屋に備えつけられていたコーヒーメイカーでドリップした薄味のコーヒーを飲んだ。
「おいしいです」
「味覚もあるのか」
「はい。この機体はもともと家事手伝いアンドロイドだったんです。だから味覚も嗅覚もしっかりありますよ。調理をするのに味見は大事ですからね」
「それもそうか──って、家事手伝いアンドロイドだったのか、君。俺はてっきりマシロのハイエンドモデルだと」
「えっと、正確にいいますと、これは育児アンドロイドのテスト機だったんです。家事手伝い用を育児用に改造して赤ちゃんの私でテストしたんです。私はアンドロイドに育ててもらったんです」
「アンドロイドに?」
「はい」
「そういえば君のお母さんはたしか」
「私が生まれて半年後に亡くなりました。そのあと私の養育のためにベビーシッターを何人か雇ったそうなんですが、前にも話したように父はむずかしい人で、シッターを雇ってもすぐにクビにしちゃったそうです。それで最終的に自社のアンドロイドを育児用に改造して私を育てることにしたそうです」
ここまでの話をきいて本多がおもったのは、──真城コウタロウのなかには〝自分で子供を育てる〟という選択肢がはじめからないらしい──ということだった。
「私を育てることでデータがたくさんとれて、自社のアンドロイドに反映されたそうです。おかげさまでいまでは育児用アンドロイドのシェアをマシロが独占してます」
「つまり君のおかげでシェア独占できたと」
「まあそうですね」といってシュリは自慢げに胸を張った。
「そのアンドロイドは君にとって母親代わりだったんだな」
「はい。実際、ちいさいころは〝ママ〟と呼んでましたし。AIとはいえとてもやさしいお母さんでした。でも私がある程度の年齢になると彼女は『自分のことをママではなく〝オカメ〟と呼ぶように』といってきたんです。だから私は〝オカメさん〟て呼んでました」
「オカメさん、か。でもなんでその名前なんだ?」
「さあ? そういわれればなぜなんでしょう……でもかわいい名前だとおもいません? オカメさん」
「まあそうだな」
「でも私が中学生になったころくらいからオカメさんはよく故障するようになりました。経年劣化です。それで『新しいアンドロイドと交換しよう』って話がでてきて……。そうなればオカメさんは廃棄処分されてしまいます。もう何世代も前の機体でしたからね、オカメさんは。だから私がオカメさんを買取りました。それからオカメさんの故障部分を修理したり、新しい部品に交換したり、すこしずつ手をくわえていって、いまの状態になったんです」
「君が全部修理したのか。すごいな」
「私がアンドロイド工学を興味をもつようになったきっかけはオカメさんなんです」
「だからか」本多はなにかを納得していた。
「え? なにがです?」
「なんでアンドロイドなんだろう、とずっと不思議におもってたんだ。でもいまの話をきいて納得がいった。そのアンドロイドは──オカメさんは君にとってかけがえのない存在だったんだな。だから霊体になった君は真っ先にオカメさんのところへ行ったんだ。一番頼りになるオカメさんのとこへね」
「それは」シュリは嬉しそうに微笑んだ。「そうかもしれませんね」
本多も疑問がひとつ解消され、満足そうにコーヒーを啜った。
しかし──と本多はおもう。
大きな疑問がまだのこっている。本多は空になったコーヒーカップを置いた。
「事件はまだ解決していない」
その言葉にシュリは緊張した。
「そう、ですね」
「コンダルに君の殺害を依頼した犯人がまだわかっていない。俺の印象では、君は人の恨みを買うような人間にはとてもみえない」
「そうなんですか」
「知り合って二、三日しかたってないがわかる。君はいい人間だ」
「あ、ありがとうございます」シュリは照れ臭そうだった。
「君の才能や境遇にたいする嫉妬や、善意にたいする逆恨みの可能性もあるが、やはり一番可能性が高そうなのは君の父親だ。こう言っちゃ悪いが君のお父さんはたくさんの人に恨まれてるっぽいな」
「それは、否定できません」とシュリ。
「君はその巻き添えを喰ったのかもしれない」
残酷な話だ。殺された挙句その動機が自分ではなく他者が原因で──しかもそれが実の親だと言っているのだから。
「しかしその線を洗うとなると膨大な数になりそうだ──ん?」
本多は自分の端末が点滅していることに気がついた。
「ちょっと失礼。花袋からメールがきてたみたいだ」本多はシュリの許可を得て端末をひらいた。
ああ、そういえば、と本多はおもいだす。
(そういえば時限爆弾メールのことを花袋に頼んでたんだっけ)
花袋からのメールをひらく。本多の眉間に皺がよった。
「……本多さん?」
「え、ああ、すまん……真犯人が、わかった」
シュリの顔に驚愕とも恐怖ともとれない表情がうかんだ。
「……だれですか。私の知っている人ですか」
「それは──」