21 情報思念体復元蘇生法
本多とシュリは二人乗りで渋谷までバイクを走らせた。
シュリに関する事件はいまから正式な手続きのもと処理されることになるから、シュリをつかまえようと誰かが暗躍する必要はなくなったはずだが、念のため足がつかない場所へいくことにした。
渋谷道玄坂にある安宿に部屋をふたつとった。腕時計をみると深夜二時をすぎていた。
「今日はながい一日だったな。ゆっくり休んでくれ」と本多。
「本多さんのほうこそボロボロですよ」
「そうだな。たしかにボロボロだ」と疲労困憊であることを素直にみとめた。
「おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
二人はそれぞれの部屋にはいった。
本多はまず、こびりついた血の痕やよごれをおとしたくて熱いシャワーを頭から浴びた。体中が痛む。一日に二回──いや、『わかば』も含めると三回か──も近接戦闘をしたせいだ。体のあちこちに打撲痕や裂傷があった。
充分すぎるほどシャワーを浴びてタオルで汗を拭くと気分もいくらかマシになった。
本多は裸のままベッドに倒れこんだ。
ほんとうに長い一日だった。『喫茶わかば』から始まり、コンダルの取調べ、事務所での殺し屋〝蜘蛛〟との戦闘と新宿への逃走、キム・ソンギュンとの接触、シュリの遺体、蜘蛛との二度目の戦闘──
(ビールがのみてえな)
本多はひどく渇いていた。しかし備え付けの冷蔵庫のなかに目当てのものは入っていなかった。
諦めて寝ようとベッドに横になったが、頭のなかで思考がぐるぐると回る。
まだ事件は解決していない。コンダルにシュリの殺害を依頼した人物は誰なのか? その動機は? なにか見落としている気がする。頭の奥に何かがひっかかっている。それが何なのか──
体はひどくつかれているのに神経が昂って眠れそうになかった。
本多はあきらめて体を起こし、座禅を組むことにした。
全裸のまま足を組み、頭から尻まで一本の道が通るように背筋をのばす。臍下丹田の前で掌印を結ぶ。目は半眼。下腹をしぼって息を吐き切る。吸気は自然にまかせる。それを何回か繰り返す。ゆっくりと、深く、繰り返す。呼吸だけに意識を集中する。次第に頭が空っぽになってきた。頭にかかっていた靄が晴れて、視界が広がっていくような感覚だ。凝り固まった脳細胞がやわらかくなり、絡まったイメージが解けていく──
本多は、捜査が行き詰まりどうにもいかなくなったとき、夢や瞑想からたびたびインスピレーションを得ていたのだ。心理学的にいえば〝深層心理の扉をひらく実践法〟であり、霊子力学的には〝自身の情報思念体を思念集合層へ結合する儀式〟といえる。
(──来る)
そしていままさに、インスピレーションが降ってくる予感があった。
× × ×
──同時刻。〇〇総合病院霊安室。
そこに司法解剖を待つシュリの遺体が安置されていた。朝が来て、監察医が出勤してくれば解剖がはじまるだろう。しかしまだ夜明けには時間があった。
病院の正面ロビーは閉ざされており、出入りできるのは救急外来入口だけだ。
黒塗りのセダン三台とワンボックス一台が猛スピードで病院敷地内に進入し、救急外来入口の前で乱暴に停車した。車からスーツ姿の男たち数人があらわれ病棟内へ入っていった。
救急外来入口付近にある詰所にいた警備員たちが慌てて飛びでてきた。
「なんなんだ、アンタら! 勝手に入っちゃ困るよ!」
警備員たちの静止を無視してスーツ姿の男たちはズカズカと奥へ進んでいく。
一人の男が警備員の前に立ちはだかった。そのうしろを一台のストレッチャーが車輪を軋ませながら通りすぎていく。
男は言った。
「今夜ここに運びこまれた真城シュリの遺体をこちらに引き渡してもらう。すでに病院側とも話はついている。ここに承諾書がある」と一枚の紙を出した。紙には遺体の引き渡しを許可する旨がたしかに書かれていた。
「不満なら上の者に問い合わせろ」
とだけ言い残し、男は行ってしまった。
男たちは霊安室に到着すると、シュリの遺体をストレッチャーに移し、霊安室の外へ運び出した。シュリは、遺体保管用冷凍庫から出されて間もないこともあり、まだ冷たく凍っていた。
男たちが警備員たちの前を通り過ぎる。まるで嵐のようなせわしさに警備員たちは呆気にとられて見送ることしかできなかった。
ワンボックスカーの荷台は救急車のような設備になっていて、ストレッチャーをそのまま搬入することが可能になっていた。ストレッチャーごとシュリを搬入し、後部ドアを閉める。
三台のセダンとワンボックスカーはタイヤを鳴らして急発進し、あっという間に病院の敷地外へ消えていった。
× × ×
二十分後。
シュリの遺体は、ネオ東京上層にあるマシロ・コーポレーション所有のある施設に運びこまれていた。
ちょっとしたホールほどの広さの処置室の中央にシュリの遺体があった。
室内には各種医療機器が設置されており、医師、看護師、オペレーターなどすくなくとも三十人はいて、いそがしそうにうごきまわっていた。またべつに、装束をきた祈祷師数人がシュリの遺体をかこむように座し、なにやら呪術的な儀式をおこなっている。
シュリの遺体は解凍され、体中にたくさんの管やらコードやらがつながっていた。青白い皮膚にはマーキングペンで〝経絡〟のながれが幾筋も書きこまれ、それにそって無数の鍼が刺されている。
その処置室を見下ろすようなかたちで設置されたコントロールルーム──オペレーター十数人が処置室の各データをチェックしている。ガラス張りの壁にも各種バイタルデータがリアルタイム表示されているが、脈拍だけがうごいていない。
コントロールルームに壮年の男が一人、ガラスの壁の前に立って処置室を見下ろしている。
「真城。ここにいたか」秘書の筒井がコントロールルームに入ってきて言った。
処置室を見下ろしていた男こそがマシロ・コーポレーション代表でシュリの父親──真城コウタロウだった。
後ろから筒井がはなしかけても真城はふりむきもしない。ただ冷たい視線を階下のシュリの遺体にむけつづけている。
「これがお前が推進してきた事業か」真城は視線をうごかすことなく言った。
筒井は言った。
「そうだ。これが〝情報思念体復元蘇生法〟だ。死亡した身体に情報思念体を再インストールすることで生き返らせる術式。この術式が確立されれば世界がひっくりかえるぞ。ライセンスのロイヤリティーだけで計り知れない利益を出す。俺はこれに十年の歳月をつぎこんできたんだ」
「成功率は?」
「え……ああ。蘇生の成功率のことか。いまの段階では三パーセント弱といったところだが」
「……」
真城の無言によって筒井の胃が痛みだした。筒井は長年慢性的な胃痛に悩まされていた。その原因が真城コウタロウの存在であることは筒井にはわかりきったことであった。
──〝三パーセント〟が低いとでもいいたいのか。完全な死から人が蘇るのだ。三パーセントだって高確率のはずだ。
「必ず元に戻せ」
真城は抑揚のない声でそれだけ言うと取り巻き十数人をひきつれてコントロールルームから退室した。
筒井はそれを見送る。
「痛ッ……」
筒井は腹部を右手でおさえた。痛みがひどい。
(元に戻せ? 車の修理じゃないんだ。そんな簡単にいくかよ。それに、実の娘が死んだっていうのになんだよ、あの態度は。何も感じないのか。やはり心が欠如してやがる)
木村は内心で毒づいた。胃痛はおさまりそうになかった。




