20 決着
「あれ? ミッチャンどこにおるん?」
五階フロアに立っていたのは黒いボディースーツを着たあのエロい殺し屋だけだった。ここまで上ってくる間にも激しくやり合っている音がきこえてきており、てっきり本多がたたかっているとおもっていたが──
「まさか、もうやられてしもたんか」
安喰の手にもっていた長ドス──車のトランクに常時しまってあったもの──の鞘を抜くと、捨てた。木の鞘がカランコロンと乾いた音を鳴らしながら転がった。
「本多ミチロウの仇、とらせてもらうで!」
安喰は半身になり長ドスを顔の横にもつ〝八相の構え〟に構えた。
「お、おい……」
いまにも消え入りそうなかぼそい声がきこえた。みると本多が柱によりかかりながら立ち上がろうとしていた。
「……勝手に殺すな。まだ生きてるぞ」と言ってふらふらとよろめいた。
「ミッチャン!」
「でも正直たすかったぜ、安喰」
実際、安喰の乱入がなければ本多はとどめをさされていただろう。それに場を乱してくれたおかげで回復する時間も稼げた。
「気をぬくな。死ぬぞ」本多が諌める。
「おうよ!」安喰も気合いを入れた。
「フフフ、二対一か。たのしくなってきたじゃん」蜘蛛はナイフを順手にもちかえた。
本多は腰のホルダーから警棒を抜いた。本多の警棒は特殊な形状をしており、鍔の左右に鉤状の突起物がついている。これは、江戸時代の捕縛武具〝十手〟と琉球古武術の武器〝釵〟を参考に本多が特注でつくらせたものだ。
三人が等間隔の間合いでにらみあう。
最初にうごいたのは安喰だ。
「チエストォー!」
蜘蛛にむかって突進していく。本多も安喰の動きにあわせて間合いを詰めた。
──蜘蛛は侮っていた。
ACP弾でさえ傷ひとつつかない機体だ。あんな刃物や警棒で一体なにができるというのだ。躱す必要もない。
長ドスの刃が真向から迫ってきた。蜘蛛の見立ては、斬撃を避けずにあえて受け止めナイフで喉元を斬り裂く──そうすればこのヤクザは片付く。別方向から来る警棒は無視だ。
蜘蛛は振り下ろされる斬撃に頭から突っ込んでいく。
だがここで蜘蛛は違和感をおぼえた──根拠はない。しかし、この斬撃は避けなければならない、と殺し屋の勘がいっていた。そして蜘蛛は自分の勘を疑わない。
蜘蛛は寸前で体を捌いた。斬撃は空を切り、フロアの床にあたると、そのまま刃が床に吸いこまれていった。コンクリートの床がまるでゼリーか何かのようになめらかに切れていった。
(高周波振動剣か)
高周波振動装置──刀身を超高速に振動させ威力を増幅させる刀剣であり、衝撃吸収素材の外皮で覆われている蜘蛛のカスタムボディーでもさすがに防ぐことはできない。
つづけざまに右脇腹を棒状のもので突かれた。本多の警棒だ。そう認識したつぎの瞬間、全身の人工筋肉がひき攣った。スタンガンだ。警棒に仕込まれているのか。
ひきつる人工筋肉を無理矢理動かしてナイフをふるうも、本多はすでにバックステップで距離をとっており、ナイフは空振りした。
高周波振動剣とスタンガン警棒──どちらも厄介だ。しかも二人の連携がこなれていて、たがいをカバーしつつ、途切れることがなく攻撃してくる。蜘蛛に反撃の隙をあたえない戦法だ。
だが蜘蛛もサイボーグ特有の精密な身体コントロールで本多と安喰の攻撃をミリ単位で躱していく。新体操選手のように体をひねり、のけぞらせ、倒立し、回転する。それは現代舞踊の舞のようでもあった。
しかし──連携攻撃のわずかな間隙をぬって、蜘蛛の後ろ蹴りが安喰の胸部に入った。安喰はサッカーボールのように飛ばされ床に転がった。
蜘蛛の足に肋骨が二、三本折れた感触があった。もしかしたら内臓も破裂してるかもしれない。
「安喰!」本多がさけぶも返事はない。
蜘蛛は猛然と本多を襲う。低い姿勢から高速でナイフを突く。
──本多の特注警棒は防御に特化した武器だった。鉤の部分に親指をかけ、くるくると回して順手と逆手を頻繁にもちかえ、シャフト部で防御したかとおもえばグリップ部で打突をはなったり、と変幻自在だ。
本多はナイフをシャフトで受けると刃をすべらせ、鉤の部分でナイフを挟んだ。
蜘蛛がナイフをもつ手を引こうとするも刃が固定され動かない。
(なッ、抜けない)
その隙を見逃さず本多は下段蹴りを打つ。蜘蛛の膝がガクッと折れた。
『左膝関節部に不具合発生。機能38%ダウン』と警告文が発せられた。
(まただ──なぜこいつの打撃はダメージが通る?)
あきらかに蜘蛛のうごきが鈍くなった。
本多の番だ。本多の攻撃は、警棒の長いシャフト部で打ったり短いグリップ部で突いたりと、間合いがころころ変化する。左脚の故障によりアクロバティックな動きができなくなった蜘蛛は、しかたなくナイフで攻撃を捌こうとするも、間合いの変化で距離感が狂い、被弾の多い展開になった。
いままで一方的に他者を蹂躙しつづけてきた蜘蛛にとってこれほどの屈辱はなかった。蜘蛛は怒りで平静さをうしない、激情にまかせて大振りなパンチを打った。しかしそれはカウンターの恰好の的だ。
本多の打突が蜘蛛の鳩尾にめりこむ。
『心肺機能に重大な不具合が発生しました』
蜘蛛のうごきが停止し、くずれるように片膝をついた。
蜘蛛の頭上に影がおちる。蜘蛛が顔をあげると安喰が長ドスを大上段に構えていた。
「は? なんで?」と蜘蛛。
長ドスがふりおろされる。蜘蛛は反射的にナイフでそれを受けようとした。しかし高周波振動の刃はナイフごと蜘蛛の右腕を切断した。
床におちた右腕がトカゲのしっぽのようにピクピクと痙攣している。蜘蛛は状況が呑みこめないらしく呆然としていた。
「し、勝負アリや」
安喰は息も絶え絶えだった。口元には吐血の痕。安喰は苦しそうに胸をおさえたまま床に座りこんだ。
「安喰、大丈夫か」本多が安喰をささえた。
「……ハアハア……ワシのことより……奴にとどめを──」
言い終わらないうちに蜘蛛が走るのがみえた。蜘蛛は左脚をひきずりながら無様に逃走しようとしている。
「ゴルァ! 逃げんなや!」
安喰の怒号もむなしく蜘蛛の姿は非常階段へと消えた。
「ミッチャン……追ってくれ」
「いや、お前を病院につれてくのが先だ」
× × ×
シュリは、負傷した蒲田につきそっていた。廃ビルの前の路肩に臥した蒲田の頭の下には、シュリの上着をまるめてつくった枕が敷いてあった。蒲田は気をうしなっていたが時折苦痛で顔を歪めた。
そこに黒塗りの地上車が五、六台停まった。安喰組の増援だ。
「蒲田ァ! しっかりしろ!」
「大丈夫かァ!」
「親父はどうした、蒲田!」
ヤクザたちがぞろぞろと車を降りてきた。そのとき──
バアァァァンッ!
すさまじい大音響がその場にいた全員の鼓膜を劈いた。
何かが空から落下してきて地面に衝突したのだ──人間だった。
廃ビルの屋上から人が飛び降りたらしい。さらにそこにいた全員をおどろかせたのは飛び降りたその人間が起き上がったことだった。
「きゃあああああ!」
金切り声の悲鳴をあげたのはむしろ安喰組の強面の組員たちだ。
シュリはその人物と目が合った。
(あの女だ──)
片腕を失い顔面の人工皮膚も半分剥がれおちてしまっているが、シュリたちを襲撃してきたあの殺し屋だ。
シュリは、(また襲われるかもしれない)と一瞬おもったが、殺し屋は無表情に顔をそむけると立ち上がり、走りだした。
片脚をひきずっている。
組員たちはおののいて遠巻きにみているだけだ。
殺し屋はそのまま走り去り、路地の暗闇のなかでみえなくなった。