14 探偵vs殺し屋
「クライアントは誰だ。真城コウタロウか」
「それは守秘義務……でもまあ、子供がいつの間にか知らない誰かに入れ替わってたら親ってやつは心配するんじゃないかな。しらんけど」
実際にはシュリ本人なのだが身体が入れ替わっているのでそうおもわれているのだろう。「娘さんの情報思念体がアンドロイドの機体に憑依してるんです」といったところでそう簡単に信じてくれはしないだろう。
(それにこの殺し屋は話が通じるタイプじゃない)
本多は経験上そう判断した。この女は頭が完全にイッてる。殺人に快楽を感じる異常者だ。
本多はポケットからキーを取り出して後ろのシュリにわたした。
「ビルの裏にバイクが停めてある」
本多は殺し屋にきこえないような小さな声で言った。
「え? 私、運転できません」シュリが囁く。
「エンジンをかけて待っててくれ。できるか?」
「……やってみます」
「よし。俺がアイツをひきつける。隙をみてにげろ」
「わ、わかりました」
殺し屋は両腕を高く上げアップライトに構えた。ムエタイの構えに似ている。
「二人でなにゴニョゴニョやってんの? 仲間外れにしないでえ」
と右脚を鞭のように撓らせて放つ。ハイキックが本多の顔めがけて飛んできた。
本多はスウェーバックしてハイキックを紙一重で避けながら殺し屋の軸足に前蹴りを入れた。殺し屋がバランスを崩している隙に、本多はシュリを事務所の隅に押しやり、自分はシュリと殺し屋の対角線上に位置をとった。
殺し屋はバランスをもどし体勢を整えて、
「探偵さん、さっきからすごいね。なんで避けられんの」
と純粋におどろいていた。
「お前の方こそ、スピードもパワーも人間離れしてるぞ。改造人間か」
「なに、改造人間って?」殺し屋はきょとんとしていた。「……まあいいや。私は全身義体フルカスタムの特注品だよ。探偵さんの右腕みたいな安物じゃないからね」
「悪かったな」
「フフ。じゃあいくよ。今度も避けられるかな」
鋭い左ジャブが飛んできた。本多はそれを体捌きで躱しつつ、相手の左側へ回り込むと、カウンターで左拳を胸の真ん中に叩き込んだ。
「くっ……」分厚いゴムを殴ったような感覚だ。
殺し屋は微笑を浮かべながら本多を見つめると、
「エッチ」
と囁いた。
殺し屋が左右のコンビネーションパンチを打つ。顔のすぐ前で大砲をブッ放されているようだ。一発でもヒットすれば骨が砕けて脳味噌が飛び散るだろう。
連打は次第に猛攻になっていった。パンチの回転が止まらない。むしろどんどん速くなる。
本多もさすがに捌くのが厳しくなってきたところに不意の右ミドルキックがきた。本多はなんとか腕と脚でガードした──が、衝撃が凄まじく体ごと吹っ飛ばされた。
本多の体は事務所の中央に置かれていた応接セットのなかに突っこみ、ソファーとテーブルを派手に破壊した。
殺し屋は不思議な顔をしながらその光景をながめていた。
(手応えが、ない)
殺し屋は違和感を覚えていた。
(──まさか、自分から飛んで衝撃をやわらげた?)
案の定、本多は「痛ってえ」と言いながらすぐに立ち上がった。
普通の人間なら骨折はおろか内臓破裂で死んでいてもおかしくないのに──
「探偵さん、アンタ何者?」
本多は殺し屋の質問には答えず、
「行け!」
と叫んだ。
殺し屋の背後で気配がした。振り返ると今まさに真城シュリが事務所から出て行くところだった。
「……」殺し屋はそれを呆然と見送る。シュリが逃げたにもかかわらず慌てる様子もなく、「あちゃーやられたー」とだけ言った。
殺し屋は本多の方へ向き直ると、
「だから言ったのに。アタシは殺すのが得意なだけで捕まえるのは専門外だって」
と愚痴った。
「そうか。だったら見逃してくれよ」
「それはできないよ。でもあの子を追いかけるのは探偵さんを殺してからだね」
「はあ! なんで!」本多は抗議した。
「だって探偵さん、強いんだもの。アタシんなかで火ぃついちゃったからさ。最後まで責任とってイカせてもらわないと」殺し屋はそう言いながら舌で唇を舐めた。
「勝手すぎる……」本多は呆れた。
殺し屋が床を蹴るとフローリングの板が割れた。瞬間移動したかのように殺し屋の姿が本多の目の前にあった。なんていうダッシュだ。
ふたたび猛攻がはじまった。まともにガードすればこちらの手足が壊れる、本多は躱したり受け流したり時折カウンターを入れたりして応戦したが、殺し屋は構わずゴリ押してくる。本多の被弾も増え、ダメージが蓄積されていく。
気がつけば壁際まで追い詰められていた。
(まずい)
右ストレートが来る。本多はヘッドスリップでそれを躱す。打ち抜かれた殺し屋の右拳が本多の後ろの壁の中にめりこんだ。
それを見た本多は思わず「嘘だろ」と呟いた。
殺し屋の攻撃が止まった。隙を見て本多は距離を取り、ひと息入れた。
殺し屋を見ると、顔が上気していて盛った猫のように発情していた。
「焦らさないで。はやくイカせてよ」と殺し屋。
「変態だな」
このままじゃジリ貧だ。次で決める。
本多は構えを解いてダラリと両腕を落とすと腰を柔らかく沈めた。視線は殺し屋ではなくその後ろの壁を見ているようで、焦点が合っていない。
殺し屋も本多の雰囲気がガラリと変わったことを察知した。
(何をする気? ──いや、なんでもいい。楽しみじゃないか)
警戒心よりも好奇心のほうがまさった。殺し屋は距離を詰めると渾身の右ハイキックを蹴った。
殺し屋は重心が消えたような感覚におちいった。重力がなくなったようだ。次の瞬間、殺し屋の視界が激しく回転して上下逆さまになった。
(なんだ?)
全身に強い衝撃。
上下逆転の本多の後ろ姿が見えた。そのまま事務所から出ていこうとしている。
「ちょっ、ちょっと待ってよ」
そこではじめて自分が、足を上にした状態で壁に寄りかかりながら床に寝ていることを知った。
(投げられた?)どうやって投げられたかすらわからなかった。
殺し屋はジタバタともがくようにしてやっと体を起こした。
外から内燃機関が回転する音が聞こえた。立ち上がり窓の外を見ると、前時代的なバイクが走り去っていくところだった。バイクを運転する本多の背中にシュリがしっかりと抱きついていた。
「やれやれ、お預け喰らっちゃった。放置プレイは好きじゃないのに」殺し屋は独り言ちた。
殺し屋は体内の電脳から直接コールした。通話が繋がる。
「逃げられちゃったよ。だから言ったじゃん、専門外だって」
『了解した。場所がわかっただけで充分だ。お前は本来の仕事に戻れ』
「はいはい。この分の報酬は高くツケといてよ、筒井ちゃん」
『私の名前を口にするなといつも言っている……報酬の件は了解した』
通話が切れた。
ふと口元が濡れていることに気付いた。手の甲で拭うと白濁色の液体が付着した。体内循環液だ。
電脳内のオプションから触覚ディレクトリを開く。戦闘中は邪魔になるためオフにしてある『痛覚』をオンに戻す。
胸部にズキンと痛みが走った。
「なに?」
痛みを感じた胸部をトレースする。
『胸部内部のいくつかの部品に破損あり』という警告文が出た。
故障?
思い当たるのは──左ジャブのカウンターを胸にもらったときだ。
たとえ45口径のACP弾を百発撃ち込まれてもびくともしないほど外部からの衝撃に耐性があるこの機体に、か?
外皮に傷はない。打撃が内部に浸透した? あのなんでもない突きが?
「本多ミチロウ……ほんとに何者なの」