13 考察と推理
本多が神保町の事務所に戻ったのは夜の十時を過ぎた頃だった。
一刻も早く喉の渇きを潤さねばならない。冷蔵庫を扉を開け缶ビールを取り出すと一気に飲み干す。
空き缶をゴミ箱に投げ捨てると、缶ビール二本を取って、ソファーに座った。
「ああ、くそ! なんで俺のとこに来るのはこんなんばっかなんだ!」
本多は悪態をついた。
幽霊、悪霊、怨霊、地縛霊、浮遊霊、土地神、妖怪崩れに都市伝説、あげくに旧支配者、旧神まで……それで今回は〝アンドロイドに取り憑いた女子大学院生〟ときたもんだ。自分のツキの悪さを呪うしかない。
缶ビール二本を飲み干すとウイスキーを瓶のままラッパ飲みした。ウイスキーの熱を喉で感じるとすこしは気が静まった。
アルコールでいい感じに脳が麻痺してきた。アルコールの良いところは、酔うと余計な思考が消えて、物事をシンプルに考えられるようになることだ。
いままで情報を整理してみよう。
①真城シュリについて
自分を「アンドロイドの機体に憑依した大学院生」と名乗る少女。グローバル企業マシロ・コーポレーション代表、真城コウタロウの一人娘。自分の身体が行方不明だと、俺に捜索依頼をしてきた。
彼女はここ数日の記憶が無い。
唯一の手がかりだった新宿地下街の『喫茶わかば』で拉致され、その後の行方も、生死も、不明だ。
ここで、本多は考えざるを得ない。シュリの霊体が自身の肉体を離れ、別の物体──シュリが造ったアンドロイド──に憑依している。この事実だけでも、彼女はすでに生きていないのでは、と考えてしまう。彼女の身体が生きているのならば、その身体を離れ、別の物に憑依する理由とはなんだろう。そんなこと本多にわかるわけもない。
(霊子力学を専攻している彼女だ。そのことに気付いてないわけがないだろう)
十六歳の少女の死体が頭に浮かんだが、本多はそれを必死になって振り払った。
別のことを考えよう。
②コンダルについて
シュリを拉致した実行犯は韓国系新興ギャング『コンダル』だ。戦国時代さながらに縄張りを取り合いシノギを削り合っている新宿地下街で、新たに名を挙げようと野望を持ち、自分らの立つ場所を得るために既存勢力の地盤を穿ち割り込もうと足掻く新参者たち。勢力拡大のためならなんでもやる目の血走った危険な連中だ。
そんな奴らがシュリを拉致した目的はなんだろうか? 身代金目当ての誘拐? 考えられなくもない──が、本多にはピンとこなかった。
資金集めが目的だとしても今まさに勢力を拡げようとしているギャングが誘拐などという非効率なことをするだろうか。
一番しっくりくるのが、〝コンダルは拉致の依頼を請け負っただけ〟ではないかというものだ。
③なぜシュリは『わかば』へ行ったのか?
この事件で一番引っかかるのがシュリ自身がコンダルの根城である『わかば』へ行ったことだ。自ら罠に嵌りにいったも同然だ。
シュリはそれまでの人生のすべてをネオ東京の中で過ごしてきたという。はじめての外の世界が新宿地下街だった。つまりシュリと『わかば』の接点は無い。
ならばどうしてシュリは『わかば』へ行ったのか──考えられる可能性としては、コンダルの誰かが言葉巧みにシュリを騙したか、シュリの知っている人物に誘導されたか……。
前者の可能性は低そうだ。なぜならコンダルとしてもそんな手の込んだことをせずとも、シュリを尾行して人目のつかないところで拉致するほうが遥かに簡単だからだ。それにシュリもそんな嘘に騙されるほど世間知らずじゃない──と思う。
シュリが未知の場所へノコノコやってくるほどだ、誰かに呼びつけられたとしたらシュリが余程信頼している相手なのだろうか。
コンコン──誰かがドアをノックした。
ドアの向こうで消え入りそうな声がした。
「本多さん。真城です」
シュリだ。こんな時間に? 本多は急いでドアを開けた。シュリがぽつんと立っていた。
「どうした。なにかあったのか」
「本多さん、助けてください。あと……充電させてください」
シュリはふらふらと事務所に入るとケーブルを取り出し、プラグを首の後ろにある入力端子とコンセントに挿して繋げた。
「ふう……あぶなかったです。あと数分遅れてたら充電切れで活動停止してました」
「一体なにがあった」
本多はパイプ椅子を持ってきてシュリを座らせた。
「なにがなんだかわからないんですけど、捕まりそうになったんで逃げてきました」
「どういうことだ? 捕まるって誰に?」
「うちの警備の人です。私も知ってる人だったんですが」
「なんで君が捕まえようと? 何をした?」
「なにも。ただ家に帰って生体認証で門が開けようとしたんですが開かなくて。そしたら警備の人が来て父が私を呼んでるからと言って車に乗せられそうになったんです」
「それで?」
「それで、逃げました」
「なんで逃げるんだよ。逃げることないだろ」
「いや、なんとなく。第六感てやつです」
「おいおい……」
「でも!」シュリは唯一頼りにしていた本多に否定されたことが哀しくて激昂した。「自宅の鍵だけじゃないんです。他の認証もログインできなくなってるんです。クレジットも使えません。位置情報を探知されないように端末の電源も切ってます。ここに来るまで検問も敷かれてました。だからスライムスキンで顔を変えてなんとか抜けたんです。それにお金もあまり持ってなくて切符も買えないから両国駅からここまで歩いてきました」
「わ、わかったよ。すまなかった。それで俺のとこに来たんだな」
「そうです」シュリは口を尖らせた。
「そうか。それは大変だったな。しかしそうなると状況はだいぶ変わったようだな。おそらく君が偽物だとバレたんだろう」
「偽物って……私は本物ですよ」
「それはそうだが、事情を知らない者にとって今の君は〝真城シュリになりすましてるアンドロイド〟でしかないんだ」
「あ……」
「たぶんそのことが君のお父さんに知られたんだろう。だから君のあらゆるアカウントを凍結して、なりすまし犯を捕まえようとしてるんだ。と同時にお父さんは君の行方も探してるはずだ」
「そうでしょうか」シュリは自信なげに言った。真城コウタロウが消息不明の娘を探すということに自信が待てないらしい。
「ああ、そうに決まってる」本多はシュリの不安を掻き消すためにわざと強い肯定の言葉をつかった。
──本多の視界の端でなにかが動いた。
事務所のドアが音もなく開いたのだ。そしてドアの陰から黒い人影がヌメッと中に入ってきた。
「み〜つけた〜」女の声だ。
本多の本能が「ヤバいのが来た」と警鐘を鳴らす。反射的にシュリの体を抱きかかえて横に飛び退いた。
「ブオッ!」と風切り音がして、シュリがいた空間に槍のようなものが貫かれた。足刀蹴りが本多の背中を掠めた。
本多はシュリを抱えたまま前回り受け身と取るとすぐに立ち上がり、シュリを自分の背中に隠した。
「あれえ? いまの避けられるの?」
女は──黒いフェイクレザーのボディースーツに全身をつつんでいた──ニヤニヤと笑いながら突き出した右脚をゆっくりと空中を撫でるように折りたたんだ。
本多は後退りして距離を取った。
「誰だ」
「はじめまして、殺し屋です」女はヨーロッパ貴族がするような仰々しいお辞儀をした。
「殺し屋?」ふざけてるわけじゃなさそうだ。実際さっきの蹴りは確実に人を殺せる蹴りだった。おそらくこの女は改造人間だろう。
「殺し屋が何の用だ」と本多。
「アンタに用はないよ、探偵さん。用があるのは後ろのお嬢ちゃんだ」とシュリを指差した。「さて、そちらも自己紹介してもらえないかしら。お嬢ちゃんは一体誰なの? 真城シュリに化けてるお嬢ちゃん」
やはりそうか、と本多は確信した。このシュリが〝なりすまし〟であることが露見しているのだ。
「でも安心していいよ。クライアントに生け捕りにしてこいって言われてるから。殺さない程度には手加減してあげるよ、フフフ」




