プロローグ 冒険のはじまり
──バベルの塔が天空に近付きすぎたせいで神様が怒って罰を下したというけれど、雲を突き抜けて天空に突き刺さっているこの超超高層巨大建造物に、神様は怒らないのだろうか──
昨晩の雨がつくった低い雲の絨毯から超超高層巨大建造物の上層が何本か突き出ている光景を見て、真城シュリはそんなことをおもった。
シュリはいま、ネオ東京最上層のターミナル駅から出発したシャトルバスの中だ。車窓の外では二〇〇〇メートル級の超超高層巨大建造物群が朝の太陽の光を反射してキラキラと輝いている。
この空飛ぶバスは、反重力場機関の低い振動音を唸らせながら、徐々に高度を下げ、雲海のなかへ進入した。
窓の外は雲のせいでなにも見えない。ただ水滴が窓を濡らすだけだ。
車内は、来年開催される予定のネオ東京オリンピックの中吊り広告 ──『NEOTOKYO 2120』というロゴだけのシンプルなデザイン──で埋め尽くされていた。かつては国の威信をかけたスポーツの大会だったが、いまでは個人アスリートに付いたスポンサー企業の優位性を競う大会になっている。
バスはしばらく雲のなかを進んだ。まるで冥界行きの憂鬱なトンネルのなかにいるようで、シュリはすこし不安になったが、しばらくして雲を抜けると、七色の眩い光が目に飛び込んできた。
遊園地の門をくぐって賑やかなアトラクションたちに迎えられたような気分だ。
ネオ東京の本体が姿をあらわしたのだ。
アトラクションじみた浮かれた光の正体はネオ東京自体が放つ照明の光だった。厚い雲のせいで本来なら薄暗い朝のはずなのに、そんなこと微塵も感じさせないほど浮かれている。
ネオ東京は、東京湾の八割を埋め立てて造られた人工島だ。雲に突き刺さった何棟ものバベルの塔は、曇天を支える柱のように見える。曇天の下には五〇〇メートル以下の高層ビルが数知れず林立している。
バスは、ネオ東京を通り過ぎて、旧市街の上空領域に入った。
シュリは若干緊張していた。なぜなら、生まれてから今日までのおよそ十七年間、ネオ東京の中だけで生きてきたシュリにとって、ネオ東京外の世界へ行くこと自体が初体験だったからだ。
シュリは車窓に顔を近づけた。
(へえ、外から見るとネオ東京ってこういう形してるんだ)
距離をおいて客観的に見ると、ネオ東京がどういった構造か、がよくわかる。
いわゆる『多層構造都市』といわれる構造で、洋菓子のミルフィーユの〈パイ生地〉と〈クリーム〉のように、〈地面〉と〈街〉が交互に折り重なって都市が形成されている。ネオ東京の場合、海抜ゼロメートル以上で二十以上、地下にも十以上の層があり、『多層構造都市』としては世界最大級だ。
シュリは振り返って旧市街に視線を向けた。
かつては『東京都』と呼ばれ、旧日本国の首都でもあった場所だ。見渡す限りびっしりと低い建物が並び、所々にみえる緑は公園だろうか。ネオ東京には及ばないが、旧市街にも超超高層巨大建造物群が見える。あれは、新宿、渋谷、池袋、秋葉原、といったあたりか。
バスは旧市街上空を真っ直ぐ突っ切り、終点の新宿最上層のポートに着陸した(厳密に言えば接地面より数センチ浮いた状態で停車した)。
他の乗客と一緒にシュリもバスを降りた。人生ではじめてネオ東京以外の地に足を下ろしたことにシュリは興奮をおぼえていた。心の隅に影を落としていた心配や不安はすでに消えていた。
知らない街にやってきたというだけでこんなにもドキドキと胸が踊るものなの──シュリの小さな胸は期待に大きく膨らんでいた。
シュリは一回大きく深呼吸をすると、ゆるんだ口元を横一文字にきゅっと引き締めた。
さて、この先に一体どんな冒険が待っているのかしら──シュリは前人未到の地へ赴く探検家のような心境で、その一歩を踏み出した。