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【第一章:ノブレス・オブリージュ⑳】

「お疲れ様」


 暑い中でも、その凛とした佇まいを彼女は崩さなかった。


 割り振りの都合で、自分の出番を終えた直後に得点集計に向かわなければいけなかった。集計場所のテントに向かうまでの途中で、彼女は一本のペットボトルを手渡してくれた。


「良い走りだった。運動、できたんだね」


「走るくらいのことなら難しくない」


「ポテンシャルはあるんだから、もっと色々試してみればいいのに」


「試してみるほどスポーツに興味はないかな」


 ペットボトルの蓋を優しく回すと、開いた。全身の発汗から失われた水分が、一気に体内に調達されていく。染み渡る冷たさが、今は何よりもありがたい。


「クラスも盛り上がっている。このままいけば優勝は間違いないね」


「から の出番は?」


「最後のリレー」


 そうだった。僕が出たのは男子内対抗戦。次が最後の、団対抗戦。


 この体育祭の決着である。


「じゃあもう行くんだね」


「君に良いものを見せてもらったからには、勝機を引き継ごう」


 彼女は小さく手を振って、入場門へと走っていった。僕も足早にテントへと向かった。






 会場の熱気も冷めやらぬ、午後の三時。


 誰一人として関心を失わない体育祭。こんなにも盛り上がった校庭が、今までにあっただろうか。


 全生徒が校庭の中心に目を向ける。座席など関係なく、誰もが最前で観戦しようと押し寄せる。


「これより、最終プログラム、団対抗リレーを開始します」


 放送部のアナウンスに覆いかぶさるようにして歓声が上がる。


 そっと、リレー選手の待機列に目をやる。


 希代の才人、瑛摩から。


 彼女の姿は当然最後尾にあった。団の象徴である白色の鉢巻きは前髪の下に隠れ、透き通る肌に溶け込んでいた。


 ただ退屈そうに第一走者を眺めている。それから僕は我に返って、自分の手元にある得点板を急いで確認する。


 順位は白団が現在一位。ただし最終種目なだけあって、このリレーで差をつけられれば逆転は大いに有り得る。白団がこのまま一位を保持するためには、少なくとも二位以上を手にする必要がある。


 などと考えている間に、既に雷管の行先は天を向いていた。


 そして今、火薬が発破した。


 第一走者はそれぞれの位置から走り出す。最初のコーナーで四つの団の走者が肩を並べ、少しずつその差を露わにしていく。


 白団は三位。それでもまだ、勝機はある。


「さあ、現在一位は赤団です。二位の青団もすぐ後に続いています」


 第二走者にバトンが渡る。しかし当然、第一走者によってつけられた差は簡単には埋まらない。リレーで大きな巻き返しが起こるのは後半から。第一走者の相対距離は、比較的そのまま継承される。


 一位が赤団、二位が青団、そこから少し話されて白団と黄団が競っている。


 コーナーに差し掛かってもまだ変わりはない。


「現在、第三走者がスタートしました」


 これでもまだ変わらない。僕は待機列をもう一度見る。走者はひとつの団あたり四人。これは本来のリレーのルールに則ったものだ。他体育祭のリレーに比べて走者は少ないが、それだけにこの一瞬に緊張が走る。


 現在まだ三位。だが気を緩めれば後ろから黄団に抜かれ、かつこの十数メートルの差は簡単には埋まらないだろう。


 しかし、そのために彼女がいる。


 スタートラインに立つ彼女は、軽快に足を伸ばしながら、第三走者の走りぶりを観測していた。


 彼女は本気だ。



『君に良いものを見せてもらったからには、勝機を引き継ごう』



 その言葉に嘘はない。


 バトンが彼女に渡った。


 瞬間、会場中から歓声が上がる。


 各団の精鋭が集まる最終走において、進撃を見せる一つの影。


 バトンを受け取った瞬間蹴り上げられた右足。あの一足で、会場は確信していた。


 その一歩の加速だけで黄団との差を広げ、その目は真っすぐ正面の敵を見据えていた。他の走者と体格の差は明らかであり、その走りの力強さにおいてはきっと他三者よりも負けていた。


 だけど彼女は早かったのだ。そしてリレーとは当然、早い者が勝つ。


「白団、青団を抜きました」


 そこで僕は目を閉じた。会場の歓声が遠く、ただの景色になっていく。それでもその中心にいる彼女の姿は、色褪せることなく。


 そうか、と思った。


 これが、天才であるのか。










「ゴールの瞬間、寝ていた?」


 校庭から校舎に椅子を運んでいるとき、そんなことを聞かれた。


「いや、勝利の喜びに浸っていただけ」


「君の勝機を引き継いだつもりが、見ていてもらえないとは」


「だってもう、勝つのは分かってたし」


「それはそれ、これはこれ」


 それでも、きちんと覚えているとも。


 彼女が走り出したとき、太陽に照らされて輝いた長い髪。


 勝ちを得たいと心の底から思っていたときの、あの眼差し。


 入場の前、僕と交わした約束。


 あのときの表情。


「さて、勝利に晩餐とでもいこうか」


「どこに?」


「それはもちろん、近所に」


 はあ、ととりあえず頷く。


「君、予定は空いてるんだろう?」


「勝手に決めるなって。お金もそんなに持ってない」


「ノブレス・オブリージュというやつだ。私からの奢りで」


 おお、とつい声を漏らしてしまった。


 というわけで、奢られに行くことにした。


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