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【第一章:ノブレス・オブリージュ⑩】

「危ない…」


「まさかとは思ってたけど、まさかだったね」


「なんで電話のとき教えてくれなかった?」


「言った通りだよ。まさか忘れているとは思わなかった」


 講義室の入り口寄り端でそんな会話をしていた。なんとか自転車を漕いだから間に合ったものの、気づくのがもう少し遅かったら遅刻は確定だったな。


「とはいえ、この講義に出席点はない」


「え」


 声が裏返った。


「じゃあ、急いだのも徒労だったか」


「それでも第一回から遅刻というのはなかなかだな。君は授業に遅刻しながら余裕をかましているほど、頭の優れた男じゃない」


「ひどい」


 僕に反論のタイミングが回ってくるよりも先、始業のチャイムが鳴った。先生もちょうどプロジェクターの準備を終え、話はじめのタイミングを伺っている。


 この授業は論理学。


 論理学とは、「正しさについての正しさ」を考えるもの。正しいとは何か、間違いとは何か。我々はそれを、客観的に判断できるレベルまで落とし込んでから内容を吟味する。


 我々はどこまでを、正しさとして認識できるのか。


「前回の内容は覚えてる?」


「いや、寝てたから」


「なぜ」


「前日まで課題に追われてたんだ、急に変更されたから」


「理由があれば寝てもいい、と」


「是非もなし、ってこと」


「…今は黙認しよう。目的を定めることが先決だから」


 彼女はノートを広げた。座席は後ろのほう、こそこそと教えてもらうにはちょうどいい場所だった。







「と、いうこと」


 彼女の説明は、授業終わりの食堂でも続いた。でも実際、彼女の解説は先生よりもずっと分かりやすい。


 授業中全ての時間を使って、なおかつ、食堂で席を取ってからカレーの列に並んでいる間、さらには中盛のそれを完食するまで。時間にして二時間以上は勉強の話だった。


 とはいえ、勉強の話は嫌いじゃない。そもそも大学には勉強しにきてるわけだし、教わることができるうちに教わっておきたい。


「授業中に理由をつけて寝ている学生が、立派な科白だ」


「言ったじゃん、課題が」


「私は理由と目的を関連づけていることについて言及している。君は勉強をするためにここに来ている、これは前提だ」


「うん」


「ただし君は眠いという後発的な理由で、前提である目的を棄却している」


「眠いのは生理現象だし、抗えないのは仕方ない。それに、課題がずれこんだのはそもそも僕のせいじゃなくて…」


「それも同じ理屈。事実だけを言えば、君の中でその目的というものの優先順位はかなり低い。理由さえあれば棄却できるものだ」


「理由さえあれば棄却できるよ」


「それなら君は、自分の命であっても、理由さえあれば棄却するのか?」


「そんなわけないよ。そもそも、勉強と命じゃ重みがちが…」


 そこで僕はようやく理解した。彼女と僕の間にある、重みのギャップが分かった。


 それをどれだけ蔑ろにできるかどうかは、無論それがどれだけ大切かによって決まる。簡単な理由によって無為にできるもの、そう簡単には無為にはできないもの。


 彼女と僕の中で、学びという核がどれだけの重みを果たしているのか。


 つまるところ。


「学んでいる故に生きている、っていうこと?」


「君の表現は素晴らしい。そこに関しては評価が高い」


「関しては、ね」


「私にとって、学ぶことは生きることの前提だ。学ばずして生きてはいられない。ならば、学びとは生の先にあって、故に命と同じかそれよりも大切だ」


「でも授業中寝てても死なないよ」


「私にとっては死も同然、ということだ。生きて学ぶ時間を非効率的に扱うことは死だ。授業中に寝ている有機体は、ほとんど死体に見える」


 彼女は両目を閉じて、冗談めかして言った。なんとなく、彼女の理屈は分かった気がする。


 でも、授業中は眠い。


 夜は寝不足になりがちだ。課題はずれこむし。


「なら、課題をもっと早く終わらせればいい。課題が早く終わるかどうかは、その人間の能力にかかっている。適切な睡眠時間を取れないほど時間をかけてしまっているのであれば、その作業を迅速に終わらせる能力を身に着ける必要がある。それができるかどうかは、君次第だ」


「そういわれると何も言い返せない」


「そしてそのような能力を手に入れるために、私たちは学び、理解をする。非効率とは、重い罪だな」


 ぱく、と最後の一口を食べて、彼女はようやく完食した。僕よりも五分ほど遅い完食だった。


「今日の講義は体育だけか?」


「まだあと二時間あるけど、どこで時間潰す?」


「広場へ行こう。のどかで気分も落ち着くだろう」


 と、その前に。彼女はそう言った。


 食堂から出る前、二台並んだ自販機の右側に寄る。彼女が寄るのは、いつも右側。


 少し悩んだあと、カフェイン飲料の一種を丁寧に選択する。小銭は慣れた手つきでぴったり投入し、おつりを確認する間もなく、取り出し口から缶を拾い上げる。


「よし、いこうか」


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