25.魔法の鍵
この世界の呪いはどんなに高度な解呪を跳ね返すものでも、条件を満たせば意外と簡単に解けたりする。
今回も本当なら、すぐに解けてもおかしくなかったのに。必ずなにか方法があるはずだ。でも、しばらく考えてみてもいい案は浮かばなかった。
カイトくんはただ眠っているだけに見えるのに、呼んでもやっぱりなんの反応もない。もしかすると、このまま目覚めないのかもしれない。それは十分にありうることだった。
サラサラの黒髪に、おそるおそる触れてみる。指を通しても、そのままほっぺをつついてみても、彼はすやすやと眠ったまま。まつげの一本一本までじっくり眺められるなんて初めてだけど、もちろんときめきなんか感じられなかった。
ほっぺに鼻にくちびる。視線をうつした私はそこでハッと前世の記憶がひらめいてしまった。
いにしえより受け継がれし、かの有名な解呪の方法。
「そうよ、お姫様のキス……」
王子様、お姫様のキスはあらゆる物語で使用されてきた万能の解呪方法。
だけどそれは前世での話だ。この世界にそんな常識はない。先生たちもまさかそんな方法があるなんて思いもしないもの。これは試してみるべきじゃない?
もちろん私はお姫様ではないけど、この際それは置いておこう。
急いでベッドから降り、横向いて眠るカイトくんの隣に座る。
あとはキスするだけ。早く早く、と思いながらも体はギチギチとしか動けない。だって眠る相手に勝手にキスするとか絶対によくないことだし、なにより心臓が爆発してしまいそう。
でもいつまでも眺めてるわけにはいかない。きっとこの状況なら許してもらえるよね。多分。いちかばちか、賭けに出る価値は十分にある。
「ごめんね」
緊張でのどがこくりと動く。ゆっくり顔を寄せる時間が、ものすごく長く感じた。
もしカイトくんが起きていたなら、うるさい鼓動は彼に聞こえてしまう気がする。
ふにっと、くちびるにやわらかなものが触れる感触。どきりと跳ねた胸を押さえて、そのまま五秒。くっついた時と同じく、そっと離れた私はそろりとまぶたを開ける。
だけどカイトくんは静かに眠ったままだった。そうだよね、この世界はおとぎ話とは違うんだもの。これじゃ解けないんだ。それとも、私じゃダメだったのかな。涙をこらえたせいで、つんと鼻が痛い。
「カイトくん……、起きようよ。そんなに寝ると、夜眠れなくなっちゃうよ」
泣きそうにうるんだ声は、かぼそく震えてしまった。こんなのひどい。あんまりよ。おわびの転生がこんな結末だなんて、女神様は性格が悪い。
「うん……。あと五分……」
ここにいない女神様に八つ当たりした私の耳に聞こえたのは、二度寝を思わせるセリフだった。
でも目の前のカイトくんはまだ寝息をたてている。
空耳? ううん、だって今、くちびるが動いたわ。試しに鼻をつんとつつくと、凛々しい眉が寄せられる。
「うそ……」
次におでこ、すべすべしたほっぺ。最後にくちびるに指を当てると、うっとおしそうにその手が握られる。
「んー……、なに……」
うっすら開いたまぶたから覗いたのは深い青の瞳。
なにも言えなくて、見つめ合うだけで数秒が過ぎていく。だけど突然、カイトくんの目がびっくりしたように大きく開いた。
「え、アリス!? え、え、なんで」
ガバッと飛び起き、その勢いのまま私から距離を置いたカイトくんの顔も、ちらりとのぞく首元も真っ赤になっている。
その瞬間、私は確信した。ああ、呪いは解けたんだ。
混乱しているらしい彼は、なにが起きたのか必死に思い出そうとしてるみたい。しばらくぶつぶつとひとりごとを言っていたカイトくんは、改めて私を見る。
「アリス、えっと、俺さっきまで話してて……。てか、なんで泣いてるの?」
少し落ち着きを取り戻したらしい。さっき離れた距離の分、もう一度こっちに近づいてくれる。
「カイトくん……、よかった……」
我慢していた涙はいつの間にかあふれてしまっていた。ぽろぽろこぼれる大きな粒を、困った顔をしたカイトくんが指でぬぐってくれる。
「俺……、ほんと情けないし、アリスに心配かけてばっかだし、呪われてるし……」
「呪われてなんかないよ」
「え、だって……」
止まらない涙のままで、私はふふっと笑う。それから戸惑うカイトくんの左手を取って、腕を隠しているカーディガンの袖をめくりあげる。
「あ……」
健康的な肌色にあるのは小さなホクロだけ。でも私は知っていたの。さっき、首元にあった黒い模様が消えていることに気づいていたから。
これで隠しルートはエンディングを迎えるはず。つまりゲームはクリア。だからきっとこの言葉も言える。
「カイトくん、好きです。私と付き合ってください」
ほら、やっぱり。ゲームの制約はもうなくなったみたい。詰まることなく、すんなりと発声できる。一瞬ぽかんとしたカイトくんはまた、困ったように眉尻を下げて笑った。
「なんで先に言うかな……、俺めっちゃかっこ悪いじゃん」
「かっこ悪くないよ。カイトくんはいつでもかっこいいもの! 私はそんなカイトくんが大好きなの」
自分でもびっくりするくらい素直に言える。だって、やっと言えるようになった『好き』がすごく嬉しい。迷いない私はしっかりと彼の目を見ることができる。戸惑うカイトくんの顔も嬉しそうにゆるんだ。
「あー……、もう。俺も、好きだよ。入学式で見かけた時からずっと」
入学式。それはびっくり。まさか違うクラスのカイトくんがそんな初日に私を見つけていたなんて知らなかった。
ぱちくりとおどろいた目をしてる私を見て、カイトくんは小さく噴き出す。
「だから、アリスがぶつかってきた時は奇跡だと思った」
そんなことを言いながら彼は私の手を取る。伝わる熱で体温が上がってしまったみたい。じっとまっすぐに見つめる目はすごく優しくて、またもやドキドキと鼓動がうるさくなった。
「さっきの、俺にも言わせて」
「さっきの?」
「うん。俺はアリスが好きです。俺と、付き合ってください」
指がギュッと握られて、ささやくカイトくんの距離はやっぱり近い。それに、目の前にある瞳をちっともそらしてくれないから、私はつい下を向いてしまった。でも答えは決まってる。
「はい……、よろしくお願いします」
ちらりと視線を戻すと、今までに見たことがないほど嬉しそうな顔がある。つられて微笑んでしまった私のおでこに、さらりとくすぐったいものが触れた。
なんだろうと思う間もなく、くちびるに熱が触れる。
さっきと同じ、やわらかな感触。でもこれは呪いを解除するためのものじゃない。固まる私を見た彼はいたずらっぽく笑う。
「変なことはしてないから、大丈夫だよな」
大丈夫とはなんだろう。
考えた私は一拍置いて、シアちゃんの「タダじゃおかないわよ」と、セレナが言っていた地味な呪いのことだと気づいた。
「大丈夫。だって、シアちゃんもセレナも私の幸せを願ってくれるもの」
きっと二人はこの結末を喜んでくれる。くすくす笑う私の頬に指が触れて、もう一度くちびるが重なった。




