2.リトマジ
「いやこれ乙女ゲーじゃないし……」
あまりのショックで立っていることもままならない。よろめいた私はすぐそばにあるガラスの扉にもたれかかった。
「アリス?!」
ふらつく私を見たカイトくんが、あわてて肩を支えてくれる。距離は近いけど、嫌な気はしなかった。
なんか爽やかないい匂いがするし、なんて思えるくらいには大丈夫みたい。
「真っ青だ。貧血かな……。とりあえず保健室だな。歩ける? 俺の肩につかまって」
「だ、大丈夫……。ひとりでいけるから。ごめんね、それじゃあ……」
下駄箱に手をついてふらふらする体を起こし、歩き出そうとした私の腕を再び力強い手が掴んだ。白くて小さな私の手とはちがう、男の子の手。長くてきれいな指、なんて場違いなことを考えるのは、頭がよく働かないからかもしれない。
「ごめん、変なことはしないから」
「え……、ええっ?!」
突然、体が浮きあがって、私は変な声をあげてしまった。だってカイトくんに抱き上げられている。
お姫様だっこなんて前世でもされたことない。まさにはじめての経験だ。ちなみに、まわりにいる生徒たちもびっくりした顔で私たちを見ている。
「力だけはあるから安心して」
「え、え、ええっ……」
私の顔も見ないで、それだけを言った彼は早足で歩き出す。
さっき名前を教えてくれた声はとても優しかったのに。今はぶっきらぼうに聞こえて、少し不安になってしまった。でも見上げた先にある顔は赤く染まっているから、彼も照れているんだと思う。
そうだよね、初対面の女子を抱き上げるなんて、なかなかない経験だよね。ホッと息をついた私だけど、余裕を持って観察できたのは、このシーンに見覚えがあるから。
(このイベント知ってる……)
だってこれは、少し好感度が上がったヒロインとの初めての恋愛イベントだもの。
でもあのゲームにはアリスなんてヒロインは存在しない。
なのにカイトくんの顔を見れば見るほど確信する。やっぱり彼はあの純愛恋愛ゲームの主人公に間違いない。
リトルマジカルハーモニー、略してリトマジ。
もともとインディーズのゲームで攻略ヒロインは同級生がふたり、下級生がひとり。合わせて三人なのでボリュームは少ない。それでもポップで明るいシナリオや、少し暗いと話題の隠しルートも高評価だったみたい。なにより神絵師が描いたスチルが話題となって、男女問わず大人気となったゲーム。
しかもイケメン主人公とその親友(もちろん顔がいい)の友情エンドが腐った女子たちから熱く支持されていた。アニメ化にまで至った超人気作品である。
ちなみに私はこのゲームの熱烈なファンではない。仲の良い弟がプレイするゲーム画面を流し見たり、気が向けば一緒にアニメを見ていた程度だった。
だからどのルートもそこまでくわしくは知らない。どうしてここに転生したのか本当に不思議なんだけど。
たぶん乙女ゲーというものを知らない女神様は、「恋愛」「ゲーム」「イケメン」というキーワードを元にこの世界を選んだ気がする。
もしかすると、有名な作品だから検索画面の上に表示されたのかもしれない。
実は、この世界で物心がついた時からなんとも言えない違和感を覚えていた。何がと言われればハッキリとは言いあらわせないのだけど。しいて言えば、ここは私のいる世界じゃない。
ずっと付きまとっていたこの微妙な感覚の正体が、やっとわかってしまった。くらくらする頭を押さえて、私はもう一度カイトくんをじっと見つめる。
さらりとしたクセのない黒髪。意志の強い瞳。きゅっと引き結んだ、うすいくちびる。
(かっこいいなぁ……。さすが主人公)
ハーレムものはどうしても好きになれなかったけど、今ならうなずける。みんな好きになるはずだよ。
「どうかした?」
じっと見すぎたせいで、気づかれてしまった。目が合って困ったように笑う顔も最高にかっこいい。でもまさか理由を言うわけにもいかないので、私は首を横に振って誤魔化した。
「ううん、あの……重くない? ごめんね」
「軽いよ。それにアリスは体調が悪いんだから、そんなこと気にしなくていいんだって。俺こそ勝手にこんなことしてごめん」
なんてやさしいの。気づかいもできて、かっこよくて、おまけに声もいい。CVは誰だっけ。
それに、背の高いところも私の好みだし。恋愛ゲームの主人公ってすごい。こんなのモテなきゃおかしいでしょ。ヒロインの気持ちがすごくよくわかるよ。
でも、もう入学して一か月が経つのに今日はじめて彼を知った。どうしてこんなに素敵な人がウワサにならないんだろう。不思議すぎるよ。
ぼーっとする残念な私はそんなことを考える。そうしてたくさんの生徒の視線を感じながら、たどり着いた保健室の前でこれまた丁寧に下ろされた。
先生に事情を話すと、「しばらく休んでいきなさい」と言われ、ベッドを貸りることになった。
おとなしく横になった私を見届けてから、カイトくんは教室へと向かう。
心配そうな彼は「またね」と言ってくれたから、私も「またね」と返事をした。