1.どうしてこうなった
ここは剣と魔法の国、ラヴィリエ。
人々の暮らしは便利な魔法によって支えられているし、病気や怪我だって治癒魔法で癒すことができる。
私が先月から通っているこの学園だって、ヒーラーを目指すために選んだ場所だ。
そろそろ入学して一か月が経過する。
のんびりした足取りで歩き、今日のお昼は何にしようかなぁなんてぼんやり考えながら登校していた私は、ひとりの男子生徒にぶつかってしまった。
振り返った彼はやたらと驚いた顔をしている。相当びっくりさせてしまったみたい。
昇降口で後ろから人が背中につっこんできたらそうなるよね。
それにしてもイケメンだ。つややかな黒い髪に、夏の空を思わせる深い青の瞳。身長だって私より頭ひとつは余裕で高い。
「ご、ごめんなさい、大丈夫?」
「え、あ、うん、俺は大丈夫だけど……、君こそ大丈夫? 鼻赤くなってる」
「え!」
たしかに顔面からぶつかったおかげで鼻が痛い。隠すように慌てて手で押さえたら彼は小さく噴き出した。
「ごめん、笑うつもりじゃなくて」
「いいよ。自分でも笑っちゃうもん」
鼻をさすりながらくすくす笑うと、彼もつられたように表情をゆるめる。そうするとキリッとした目元が優しくなって、つい見惚れてしまった。
「あのさ、アリスさん……」
「あれ? 私の名前知ってるの?」
「あ、うん、まあ……」
彼とは今日初めて会う。まさか別のクラスの人が私を知っているなんて思いもしなかった。しかもこんなにかっこいい人が。もしかすると、美少女な親友ふたりが有名人だからかもしれないけど。
でも、できればもっと彼を知りたいだなんて思ってしまった。これはきっと良い出会いだ。
「アリスでいいよ。よかったら仲良くしてもらえるとうれしいな」
「うん……、俺はカイト。カイト・クエイルード。よろしく、アリス」
カイト……クエイルード? どこかで聞いた気がする。
あれ? ちょっと待って。
まさか昔に会ってる? なんて記憶を辿った瞬間、まるで雷に打たれたような衝撃が私の体を駆け抜けた。
だって、こんなことが自分の身に起こっているだなんて信じられない。
ここがゲームの世界だということ。そして過去のおぼろげな記憶。突然思い出した情報が、ものすごい速さで脳内を駆けめぐる。
目の前にいる彼は私と同じ、この学園に通う一年生で間違いない。そして少し照れたような笑顔は、画面で見たものと同じだった。
(ウソでしょ……。どうして私、ここにいるの?)
だってここは私が望んだ世界じゃない。
そして同時に、ここは私のいるべき世界でもない。
だってここは、ギャルゲー……つまりヒロインと恋をするゲームの世界だから。
***
アリス・オランジェット。
それがこの世界での私の名前だった。
ミルクティー色のふわふわした肩までの髪は、毛先だけがほんのりピンク。
そして、まつ毛の長い、コハク色の大きなお目々。
すべすべのお肌に小柄な体。小動物のような可愛らしい、まさに乙女ゲーのヒロインにふさわしい美少女だったりする。
でも私の前世は日本に住む、ごくフツウの女子高生だった。
あれはいつもどおり学校に向かう途中のことだ。
歩道を歩いていた私はなんとなく嫌な予感がして、振り向いたら大きな車が突っ込んできて……。
危ない! と思ったところで前世の記憶は終わっている。
それから次に目が覚めたのは、まっ白な広い空間。どこだかわかんなくて、きょろきょろ周りを見渡したけどまったく見覚えのない場所だった。
お花みたいな優しい匂いがして、地面はフワフワしている。ここはどこなんだろう、って思っていたら、突然やわらかな女性の声がした。
「私は転生を司る女神です」
なんて、あやしいことこの上ないけど、淡い光を身に宿す彼女はあまりにも綺麗で神々しい人だった。なので素直な私はそのまま信じることにした。
「あのね、落ち着いて聞いてほしいの」
話し始めた女神様はすごく真剣な表情をしていて、私もしゃんと姿勢を正す。でも彼女の話した内容はあまりにもひどいものだった。
聞くところによると、私は女神様の手違いで命を落としたらしい。しかも体はもうないとか……。
「なにそれ、手違いとかそんなのひどすぎる!」
立派な夢や目標があったわけじゃないけど、まだやりたいこともたくさんあったのに。
わんわん泣く私に向かって、困りはてた女神様が提案した内容が、「何でも好きなものに生まれ変わらせてあげる」というものだった。
「そんなのいらない!」
と、思わず叫びそうになったけど、その時ふと頭によぎったのが趣味であり、生きがいである乙女ゲーだった。
ひらめいた私は、
「じゃあ剣と魔法の乙女ゲーの世界で愛されヒロインになりたい! スパダリヒーローと恋がしたい!」
と叫んだのよ、たしか。
ついでに「オトメゲ?」と首をかしげて、なんのことかわからないような女神様の表情も思い出した。