不器用な二人に餞別を①
「私、今月で退職しようと思ってるんです」
お昼休憩が始まってすぐは混むからと、時間をずらして社内食堂を利用するようになってから少しずつ会話が増えた二つ下の後輩が仕事を辞めるらしい。昨日はそんなことを微塵も感じさせずに、最近ハマっているという豆腐料理について饒舌に語っていただけに、少しだけ驚いた。お勧めされた豆腐ペペロンチーノの動画見たよと、言うつもりではいたけれど、どうやら今日伝えるのは難しそうだ。
「そうなんだ」
理由は?なんてストレートには聞かずに興味あるのか、ないのかわからない返答だけ残して次の言葉を探していると
「実家の都合で、地元に戻らなくちゃいけなくて」
彼女は確かにそう口にした。
「そっか、それはしょうがないね」
人が少なく、ほぼ貸し切り状態に近い食堂にも関わらず、目のやり場に困った。
本当は気が付いていた。仕事が長引いて残業した日の帰り、明かりが点いたままの部屋が絶対にあった。消し忘れかと思い、その部屋を覗いてみると、パソコンに向かって、キーボードをカタカタ鳴らす彼女の姿だけがあった。定時からは2時間は優に超えていたけれど、帰り支度をする素振りすら見せず、机の隅に山積みされているファイル一つ一つと向き合っていた。
予期せぬ残業はどこの会社もどこの部署にもあるから、最初は偶発的なものかと思っていたが、いつ見てもその部屋の明かりだけが消えていないことに気がついた時、社内で噂されている「生意気な女」が彼女であることを直感的に察知した。
その噂話に直接的に関わったわけではないが、聞くところによると、気配りを惜しまない姿勢が上司のプライドを傷つけたらしい。手伝いましょうか?という優しさに甘えるということは、自分のふがいない現状を相対的に認めてしまうことになってしまいかねない。立場のある人からしたら、タイミングを弁えないお節介がどうも鼻についたと、回りまわって耳にした。
彼女とこの食堂で関わるようになって、その素直さが不器用なだけだということに気がついた。無垢という言葉が凄く似合うなと、言葉を考える暇もなく感じさせられた。おにぎりの海苔が服の上に零れると、カレーうどんが白い服に付いたみたいに大はしゃぎしたり、こっちが料理を服に零すと、迷子で泣きじゃくっている幼子を見つけた時みたいに大慌てしたりする。素直が故の細かな配慮さが個人的には好ましかったけれど、全員がそうとは限らないのだなと、彼女の一件を通して、改めて考えさせられた。
「給湯室のネタ会議殿堂入り。余った白米進ます最後の砦」
本当は気が付いていたけれど、辞めてほしくなかったから知らないフリを続けた。助けて、それが仮に助かったとしても、本質的な居心地が良くなるわけではないと思ってしまう。会社に属する人は大体、自分の保身が最優先だ。だから、いくら正論だとしても、下っ端が上司に口論をふっかけるのはどうしても分が悪い。
もう表面上だけの円満を掲げて辞めるか、表面も内部も諦めて、全部否定して辞めるかのどうしようもなく酷なニ択しか残っていなかった。だから気付いた私のまま手を差し伸べてしまうと、きっと辞めるまでの道のりがショートカットされてしまう気がして止まなかった。ごめん。結局、自分のことしか愛せていないのだと痛感させられた。
大丈夫?と聞くと、大丈夫ですよーと答える彼女の事、勝手に信じたかった。明日になったら、本当に大丈夫になっていて欲しいと何度も願った。
「ちょっと待ってて」
私は彼女を食堂に一人残したまま向かいにある売店に向かい、飲むヨーグルトを買った。
好きか嫌いか分からないけれど、好きだったらいいなと思いながら一本、二本とカゴに入れる。
これでこれまでの偽善が肯定されるわけではないと理解しながらも並んでいるだけ全部買った。
卒業とともに地元を離れた時、「いつも通りのままでいいよ」と、最後の最後まで特別なことをせずに友達とバイバイし合ったけれど、いつも通りのままだったから明日も明後日もそばにいてくれる感覚がずっと拭えずに寂しくて仕方がなかった。
だから、お節介なくらい、面倒くさいねって思われたとしても、後に実感を伴ってくるであろうこの寂しさと心底向き合いたい。今更だけれど、ここから最後の日までで構成される100点を目指すことが、現状の自分にできる最低限の精一杯だった。
「なんですか、その大量の飲むヨーグルト」
彼女は目を丸くして私を見た。
「環境変わるとな、体調崩しやすいから」
大丈夫?と聞くと、大丈夫ですよーと答える彼女のことだ。
ならせめて、負け惜しみ同士の餞別を送りたい。
こべりついた汚れを洗い落とそうと、必死に稼働している食洗機の音が二人しかいない食堂に響き渡っている。