その9「地震と不屈」
「ユピト」
クオンが口を開いた。
彼女は今までは、半眼で戦いを見守っていた。
ディーヴァが嘲笑されるのを、ただ黙って見ていた。
そんなクオンが、半眼をユピトに向けていた。
ディーヴァが血を流したことで、ついに痺れを切らしたのだろうか。
「無体な暴力はやめなよ。
それが『六石』の名を背負う者の
することかい?」
クオンの非難を受けても、ユピトは平然としていた。
まったく悪びれず、ユピトはクオンにこう応えた。
「私たちダンジョンには、
それぞれに主題が設定されている。
クオン。
あなたの主題は『静寂』。
だから平和を好む。
そして、私の主題は『奔放』。
無体であれ何であれ、
心のままに望むことが、
私の生き方なの。
やせ我慢が得意な
あなたとは違ってね」
「だからって、
これはやりすぎじゃないのか」
「これくらいやらないと、
人の心は折れないわ」
「そうかい」
半眼だったクオンの目が開いた。
クオンダンジョンが、グラグラと揺れた。
ユピトは天井を見上げた。
その天井は相変わらず、青空のように明るかった。
「地震……?
これはあなたの怒りかしら」
「私は怒らないよ。
そう努めるように
主題が設定されている。
目の前でどのような光景が
繰り広げられようが、
私の心が怒りで沸き立つことは無い。
静寂そのものさ」
「どうかしら?
主題とは、
私たちにこめられた理想に過ぎない。
私たちは理想であろうとするけれど、
理想そのものに届くことは無いわ。
全てを悟った目で見ることなんて、
本当にできるのかしらね?」
「確かに、
私たちは主題そのものじゃあ無い。
だけど少なくとも、
私が怒りに狂ったことは無い。
これまでも、
そしてこれからも」
「そう」
クオンとの問答に飽きたユピトは、ディーヴァの方へ視線を戻した。
「……あーあ。痛そう」
クオンたちの会話の間も、蹂躙は続いていたようだ。
血まみれのディーヴァが、草原に倒れていた。
もう立ち上がることもできない。
そんな様子だった。
ユピトはディーヴァに歩み寄った。
そして見下して、尋ねた。
「どうかしら?
そろそろ現実が見えたんじゃない?
私のクランに入ってくれる気になった?」
そんなユピトの問いに対し、ディーヴァの答えは決まっていた。
「クソッタレ……」
「そう。残念ね。
キルケー。彼を治療してあげて」
「はい」
大きな金属杖を持ったふくよかな女性が、ディーヴァに近付いた。
彼女は杖をディーヴァに向けると、マジックサークルを展開させた。
金属杖が輝いた。
ディーヴァは癒やしの風に包まれた。
さすがはユピトクランの治癒術師といったところか。
ディーヴァの傷は、みるみると癒えていった。
傷が塞がると、ディーヴァは立ち上がった。
それを見て、ユピトがディーヴァに尋ねた。
「だいじょうぶかしら?」
「ああ……」
ディーヴァが応えると、ユピトはこう言った。
「良かった。
それじゃあ続けて」
「……………………は?」
ディーヴァの表情が、戸惑いで固まった。
それを見て、ユピトが尋ねた。
「どうしたの?」
「まだ戦えってのか……?」
勝負としては、完全に決着がついた。
誰が見てもディーヴァの負けだ。
理不尽に、踏みつけられた。
悔しいが、それが勝負の結果だった。
それで……終わりでは無いのか。
ディーヴァは信じられないような顔を、ユピトへと向けた。
そんなディーヴァに対し、ユピトは平然と答えた。
「あなたは私のクランに入る気が無くて、
体はピンピンして、
まだまだ戦える。
だったら戦いを続けるしかないでしょう?」
「ふ……ふざけ……」
「さあ。続けてシノーペ」
「わかりました」
抗議をする暇も無かった。
シノーペは容赦なく、ディーヴァへと襲いかかった。
「ぐ……ぐあああああああああぁぁぁぁっ!」
今までがそうであったように、ディーヴァに勝ち目は無かった。
まともな勝負にすらなっていない。
ディーヴァはただ嬲られた。
何度も切り刻まれ、そして回復させられた。
「……………………」
クオンは血を流すディーヴァを、無表情で見ていた。
クオンダンジョンが、ぐらぐらと揺れていた。
「ダンジョンの揺れが
強くなってきたわね。
止めてくれない?」
揺れをうっとうしく思ったユピトが、クオンにそう言った。
クオンは表情を変えずに返した。
「私に言われても困るよ。
私はただのダンジョンコア=アバターであって、
ダンジョンそのものじゃない。
ダンジョン全体の挙動なんて、
私には制御しようも無い」
「けど、耳障りだわ」
「悪いね。うちのダンジョンが」
地面に倒れたディーヴァが、また治療を受けた。
もう何度目になるのか。
傷が塞がったディーヴァは、シノーペに向かって立ち上がった。
その体は震えていた。
彼の瞳には、シノーペの剣先が映っていた。
(また……切り刻まれるのか……?
そんなの……嫌だ……)
ディーヴァの心が、限界に達しようとしていた。
そのとき。
「ディーヴァ」
クオンがディーヴァを呼んだ。
「クオンさま……」
ディーヴァは力無い瞳を、クオンへと返した。
次にクオンはこう言った。
「ユピトの申し出を受けるんだ」
「え……?」
「私には、
キミを助けるだけの力は無い。
これ以上の暴力を受けては、
キミの心が壊れてしまう。
そうなる前に、
ユピトの申し出を受けるんだ。
彼女は暴君かもしれないが、
完全に壊されてしまうよりは良い。
彼女に服従し、
心身を磨くんだ。
良いね?」
クオンの提案は、合理的なものだったかもしれない。
クオンがこう言わなければ、ディーヴァ自身がそう考えたかもしれない。
そんな現実的なものだった。
だが……。
「い……嫌だ……!」
ディーヴァは拒絶した。
「ディーヴァ……?」
ディーヴァはもう、限界が近いはずだ。
そう思っていたクオンの顔が、わずかに驚きに染まった。
クオンの瞳を見たまま、ディーヴァは大声を張り上げた。
「俺はまたまだやれます!
こんなザコには負けません!
クオンさまは
黙ってそこで見ていてください!」
「無理をしてはいけない」
「だいじょうぶですから」
(傷つけられるのは怖い。
だけど……。
クオンさまに見捨てられるのは
もっと怖い……)
自分はもうダメなのだと、クオンに思わせてしまった。
その事実が、ディーヴァにショックを与えていた。
その心の震えは、強い闘志へと変換された。
「あのーディーヴァさん。
クソザコのあなたに
ザコ呼ばわりされるいわれは無いんですけど?」
シノーペが、心外そうに言った。
「知るかよ……!
きやがれクソガキ!」
恐怖を放り捨てて、ディーヴァは吠えた。
「はぁ……。
どうやら分からせが足りなかったみたいですね」
蹂躙を、再開しよう。
シノーペはそう決めて、前に出ようとした。
そのとき。
「……どうかそこまでにして欲しい」
クオンがシノーペの前に立った。
「クオンさま……」
ディーヴァの喉から、クオンの名が漏れた。
ディーヴァに背を向けて、クオンは言葉を続けた。
「これ以上
ディーヴァを傷つけると言うのなら、
この私を切り刻んでからにすると良い」
「ユピトさま……」
シノーペは、動揺してユピトを見た。
ダンジョンマスターを傷つけることは、禁忌とされている。
それは相手が弱小のマスターでもかわりは無い。
シノーペを見て、ユピトは頷いた。
「分かってるわ。
こんな事で
マスター殺しの罪を
ウチのガーデナーに負わせるつもりは無い。
だけど……」
ユピトはクオンに近付いた。
そして指先から、バチバチと火花を散らせた。
「六石の私であれば、
アバターひとつ吹き飛ばしたくらい、
どうにでもなると思わない?」
「そう思うのなら
やってみれば良いよ」
「そのすまし顔、気に入らないわね。
本当に消し飛ばしてあげようかしら?」
ユピトの指先の火花が、激しさを増した。
「やめろ……!」
ディーヴァが苦しそうに言った。
「俺はどうなっても良い……!
だから……クオンさまには
手を出さないでくれ……!」
そんなディーヴァを見て、ユピトはにやりと笑った。
「……へぇ。
思わぬ所に
弱点が有ったみたいね」