エピローグ「敗北と願い」
「クハハッ!」
ヨドハナはしてやったりの笑い声を上げた。
「思ったとおりだ。
テメェは女を見捨てられねえ。
最初にそいつを庇った時から
見当はついてたぜ」
「どうして……?」
地面に倒れたディーヴァを見て、シノーペが声を漏らした。
「おまえは……巻き込まれただけだろ……。
だから……」
「さて、詰みだな。
その首を斬り落して
テメェのマスターに送り届けてやるよ。
あのすまし顔が、
どう歪むのか楽しみだ」
「ぐっ……」
ヨドハナは、右手に剣をぶら下げて、ディーヴァに近付いていった。
「っ……! やめてください!」
倒れたディーヴァを庇って、シノーペが立ち塞がった。
「ほう?
男のために、この俺とやろうってのか?」
「逃げろ……!
そいつの狙いはこの俺だ……!」
「逃げ場なんてありませんよ。
こんな所じゃ……」
「良いからどっか行けよ……!」
ディーヴァは必死にシノーペを追い払おうとした。
だが、シノーペは聞く耳をもたなかった。
「自衛のために戦うだけなんで、
黙っててもらえますか?」
「ハハッ」
ヨドハナが笑った。
「悔しそうだな。ディーヴァ=ダッタ。
良いぜ。
おまえの女の方から
嬲り殺しにしてやるよ。
行くぜ……!」
ヨドハナが、シノーペに襲いかかった。
イクサバナでの斬り合いになった。
二人の実力差は明白だった。
ヨドハナの方は、とても本気を出しているようには見えない。
だがそれでも、シノーペは防戦一方になった。
雑に振られたヨドハナの剣に、シノーペの剣が弾き飛ばされた。
「あっ……!」
頼みのイクサバナを失い、シノーペは丸腰になった。
ヨドハナはにやにやと笑いながら、シノーペに向かって前進した。
いつでもどこからでも斬殺できる。
そんな状況だったが、ヨドハナはあえて剣を使わず、空いている左腕を振った。
がっしりとしたヨドハナの拳が、シノーペの腹に突き刺さった。
「げほっ……!」
シノーペの肺から、空気が吐き出された。
さらにヨドハナは、彼女の顔面に拳を叩き込んだ。
「あぐっ……!」
鼻の骨を砕かれ、シノーペは彼岸花の上に倒れた。
動けなくなったシノーペの胸を、ヨドハナの靴底が踏んだ。
「ぁ……あぁ……っ」
シノーペの肋骨が、めきめきと軋んだ。
負傷したディーヴァは、何もできずにそれを見ていた。
(このままじゃ……あいつが殺される……。
何か……何か無いのか……?
もう体は動かない……。
イクサバナの力も通用しない……。
だったら……)
追い詰められたディーヴァの心は、普段は踏み入れない場所へと入っていった。
『ディーヴァよ……。
やはりおまえには、
魔術の才は無いようだな』
ディーヴァの心中に、亡き父の言葉が響いた。
それはディーヴァのトラウマだった。
出来損ないの魔術のせいで、落ちこぼれの烙印を押された過去。
周囲の冷たい視線が、ディーヴァの心を突き刺した。
「ぐ……っ!」
ディーヴァは心の痛みに呻いた。
魔術なんて嫌いだ。
自分を傷つけるだけだ。
魔術なんて存在しなければ、家を追い出されることも無かったかもしれない。
考えたくもない。
勝手にやってろ。
得意な奴で集まって、勝手にがんばってれば良いんだ。
俺の世界に……魔術なんていらない……。
だけど。
(それでも……。
やるしかない……!)
目の前で、力の無い者が、踏み潰されようとしている。
それはディーヴァにとって、何よりも許せないことだった。
ディーヴァの内なる炎が、怒りに燃えていた。
心の傷を焼きつくすように、炎は強く燃え上がった。
「人を……踏みつけてんじゃねえ……!」
ディーヴァはマジックサークルを展開した。
その強い輝きに、ヨドハナは当然に気付いた。
(マジックサークル……!?
こいつ、魔術を使うのか……!
間に合わせるかよ!)
魔術の発動には、あるていどの時間が必要となる。
この近距離で、そんな事を許すものか。
ヨドハナはシノーペから脚をはなし、ディーヴァの方へと向かった。
そして彼の首に、剣を叩き込もうとした。
そのとき。
ディーヴァはイクサバナを握る手に、熱い熱い何かを感じた。
開いた口から、自然に言葉が漏れた。
「開……円……」
ディーヴァの心に答えて、イクサバナが強く輝いた。
「ぐおっ……!?」
イクサバナの光が、ヨドハナの目を眩ませた。
ヨドハナが再び目を開けたとき……。
(こいつは……!?)
数え切れないほどの菩提樹が、周囲に立ち並んでいるのが見えた。
その全てが満開だった。
その花びらの形に、ヨドハナは見覚えが有った。
ディーヴァのイクサバナに有る花びらと同じ形だ。
(まさか……!
ディーヴァ=ダッタのガーデンだと……!?)
菩提樹が、花を散らせ始めた。
それに呼応するかのように、ナイトガーデンの彼岸花が、花を散らせていった。
(散っていく……!?
俺のガーデンを……
ディーヴァ=ダッタのガーデンが
枯らせていく……!?
けど……)
「テメェは動けないままだろうがァ!
そのまま死ねッ!」
ヨドハナの言葉通り、ディーヴァは倒れ伏したままだった。
ディーヴァの力は、花を散らせるだけのものだ。
自身を蘇らせることができなければ、相手を倒すこともできない。
そして今、ヨドハナは無傷で、ディーヴァは満身創痍だ。
形勢は明らかだった。
このまま首をはねてやれば良い。
ヨドハナはそう考え、ディーヴァに剣を振り下ろした。
「良くやった。ディーヴァ=ダッタ」
予想外の声が、ヨドハナの鼓膜を揺らした。
次の瞬間。
「へ……?」
カシオペイアの斧によって、ヨドハナの腕が斬り飛ばされていた。
彼の右腕は、イクサバナを握ったまま、地面へと落下した。
いつの間にか、ヨドハナの周囲に、ユピトクランの団員の姿が見えた。
ディーヴァの開円が、ヨドハナのガーデンによる隔離を、終わらせたのだった。
ディーヴァたちはアディスへと帰還していた。
「ぐおおおおおおおおぉぉっ!?」
ヨドハナは痛みに唸り、腕をおさえた。
「うるさいな」
傷を負わせた張本人であるカシオペイアが、うんざりした様子で言った。
「俺の……俺のイクサバナ……!」
ヨドハナは、飛ばされた腕に駆け寄ろうとした。
だが……。
「がはっ……!」
突然に、ヨドハナは吐血した。
勢い良くごぽごぽと血をまいて、彼は倒れた。
「俺の……力……」
倒れたヨドハナは、震える手を、イクサバナへと伸ばした。
彼の手は、力を掴めなかった。
彼の指先は、ほんの少しだけ、イクサバナにはとどかなかった。
やがて震えすら止まり、ヨドハナは動かなくなった。
それを見下ろして、カシオペイアが呟いた。
「……死んだか。
邪法に手を伸ばした
代価といったところか?」
カシオペイアは生まれついての戦士だ。
眼前で人が死んでも、冷めた目を向けるだけだった。
ヨドハナのイクサバナは、闇色に輝いて消えていった。
周囲に残っていた彼岸花も、全てが枯れて消えた。
役目を終えたディーヴァの菩提樹も、光と共に消えていった。
それを見届けると、カシオペイアはディーヴァの方へと向かった。
「だいじょうぶか?
おまえのおかげでシノーペは
命拾いをしたようだ。
いま治療を……」
「いらねえ……」
「ん?」
ディーヴァは力を振り絞り、ふらふらと立ち上がった。
そしてポケットから薬瓶を取り出した。
瓶の回復ポーションを飲み干すと、ディーヴァはこう言った。
「これで治った……」
「低級の回復ポーションを
過信しない方が良いと思うがな」
カシオペイアの言葉に、ディーヴァは眼光を返した。
「……忘れたのかよ?」
「うん?」
「俺たちにした事を、忘れたのかよ。
テメェらは、俺の敵だ。
馴れ馴れしく、
仲間みたいなツラして
近寄って来るんじゃねえよ……!」
「……そうか。そうだな」
次にディーヴァは、リュックから財布を取り出した。
そしてそれを、カシオペイアに投げた。
「これは?」
「おまえがヨドハナを倒した分だ。
これで貸し借り無しだ。
良いな?」
「わかった」
カシオペイアは、はした金の入った財布を、素直に受け取った。
「じゃあな」
ディーヴァはよろよろと、足を引きずりながら去っていった。
「ディーヴァさん……」
去り行くディーヴァの背中を見て、シノーペは彼の名を呟いた。
ディーヴァはアディスを歩いた。
家へと向かうディーヴァの姿を、赤ローブの女が観察していた。
アダルマだった。
(彼を始末するはずが、
逆に成長の機会を
与えてしまうとはな。
……いま襲えば、
この俺でも彼を始末できるか?)
アダルマは思案した。
そして首を左右に振った。
(……いや。
あいつには悪いが、
彼の成長に免じて、
ここは見逃すとしようか。
俺の主題は『気まぐれ』だからな)
アダルマは姿を消した。
それに気付くことなく、ディーヴァは地上へとのぼっていった。
大階段から広場へと上がり、ディーヴァは通りへと出た。
そしてクランハウスへと歩いていった。
ソラテラスクランハウスの庭に入ると、ディーヴァは声をかけられた。
「ディーヴァ」
そこにクオンの姿が有った。
「クオンさま……」
ディーヴァはふらふらと、クオンに近付いていった。
そしてすぐ前に立つと、ディーヴァはクオンに倒れこんだ。
クオンはディーヴァを抱き止めた。
疲れた声で、ディーヴァはクオンにこう言った。
「すいません……。
財布……落としました……」
「良いよ。そんなこと。
キミが無事で良かった」
「俺……俺は……」
(負けた……。
カシオペイアにも……ヨドハナにも……)
「負けたくない……。
誰にも負けたくないです……クオンさま……」
「だいじょうぶ。
キミはきっと強くなれるよ」
(本当は、強さなんて無くても、
キミが幸せで居られれば良いんだけど)
クオンの腕の中で、ディーヴァは目を閉じた。
クオンはディーヴァを抱き上げて、自身のダンジョンへと入っていった。
……。
プトレマイオ邸。
パトラの私室へと、メイドのメリットが訪れた。
「パトラさま」
椅子でくつろぐパトラに、メリットが声をかけた。
「何かしら?」
「ディーヴァさまの事ですが……」
「またディーヴァの話?」
パトラは呆れたような顔を、メリットへと向けた。
「あのねメリット。
私と彼の関係は、
とっくに終わっているのよ?
元カレの話をしつこくされても
私としては困ってしまうのだけど?」
「そうですか。それでは……」
「待ちなさい」
立ち去ろうとしたメリットを、パトラが呼び止めた。
「せっかくやって来たのだから、
話くらいはさせてあげるわ。
いったいディーヴァがどうしたと言うの?」
「15層の大魔獣を、
お一人で討伐されたらしいのです」
「あ……」
パトラの体から、ふっと力が抜けた。
彼女はそのまま、椅子から滑り落ちてしまった。
「パトラさま!?」
メリットはパトラに駆け寄った。
そして彼女の上半身を抱き上げた。
メリットの腕の中で、パトラは声を震わせた。
「愛が……愛が重すぎる……。
彼は私のために……
どれだけ強くなろうとしているの……?」
「…………」
メリットは無言でパトラを落とした。
「あだっ!?」
パトラの頭が絨毯に打ち付けられた。
……。
数日後。
ディーヴァ、クオン、ティエリの三人が、クオンダンジョンのコアルームに立っていた。
「それじゃあ行きますよ。
『閻魔灌頂』」
ディーヴァはスキルを発動させた。
ダンジョンコアが点滅を始めた。
ディーヴァの隣には、魔石が詰まった袋が有った。
それを見て、クオンが口を開いた。
「さて、それじゃあ」
「詰め込みますか」
「俺も手伝うよ」
三人で、魔石をコアに捧げていった。
すると……。
コアが強く輝き、消滅した。
そして三人が居る部屋に、下りの階段が出現した。
その階段を見て、ティエリが口を開いた。
「すげえ。
本当にダンジョンがレベルアップするんだ」
「驚いたか。
さて、それじゃあさっそく
新しい階層を拝みに行きますか」
新たな階層に向かうディーヴァの背中に、ティエリが声をかけた。
「……俺もすぐに追いついてやるからな」
「おう。がんばれ」
ディーヴァはそう答えると、クオンの方を見た。
「行ってきます。クオンさま」
「行ってらっしゃい。ディーヴァ」
ディーヴァは階段に脚を踏み入れた。
階段を下りてから少し歩くと、ビッグレディビートルの姿が見えた。
ディーヴァは長剣を抜き、構えた。
(もっと強くなるぞ)
敵に向かっていく。
いつか最強になるために。
願いを果たすために、ディーヴァは強く地面を踏みしめるのだった。
お読みいただきありがとうございました。