その10「敗北と発現」
「クオン。あなたの悲鳴を聞けば、
ディーヴァの気持ちも変わるかしら」
クオンに危害を加える。
ユピトがそうちらつかせても、クオンの表情は変わらなかった。
クオンは堂々たる視線で、ユピトを見返した。
「主題に誓って断言するけどね、
私が悲鳴を上げることなど、
寸毫の可能性すらありえないよ」
その声音は平坦だった。
だが、わずかに怒りの音色が混じっているのではないか。
クオンの間近に居るユピトには、そのように感じられた。
「そう言われたら、
試してみたくもなるわね」
ユピトはクオンに手を伸ばした。
戦う力を持たないクオンは、黙ってそれを見ていた。
「やめ……!」
ディーヴァの制止の声は、何の役目も果たさなかった。
ユピトはクオンを引き寄せた。
そして自身の唇を、クオンの唇に合わせた。
クオンの唇が、奪われていた。
ユピトはクオンの口をこじ開けた。
そして舌を使い、口の中を蹂躙していった。
「ぷは……」
しばらくクオンを弄ぶと、ユピトは口をはなした。
そして、薄い笑みと共に尋ねた。
「どうかしら?
好きでもない相手に
唇を奪われた気分は」
「べつに。
口の中に、慣れない感覚が走った。
それだけのことだね」
強がりか。
本心からそう思っているのか。
クオンは変わらずに無表情だった。
「そう。だけど……。
ディーヴァには、これで十分だったみたいね」
「え……?」
クオンの視線が、ディーヴァに向けられた。
仮面のようだったクオンの表情が、わずかに揺らいだ。
「う……うぐ……」
地面に這いつくばったディーヴァが、涙を流していた。
「クオンさま……俺のせいで……」
彼のなさけの無い様子を見て、シノーペが笑った。
「あははははっ!
だっさーい!
好きな人をネトラレて、
泣き寝入りしかできないなんて、
ホントにクソザコですね。
ディーヴァさんって」
「ディーヴァ……私は……
この程度で苦を感じたりなんかしない……。
だから……だからそんなふうに……」
クオンは少しだけ震えた声で、ディーヴァに呼びかけた。
そのとき。
「ぐ……うぐ……
うあああああああああぁぁぁぁぁっ!」
ディーヴァは苦しむような叫び声を上げた。
彼の体が輝いていた。
「これは……スキルの目覚め……?」
ユピトが呟いた。
スキルとは、人が持つ特別な異能だ。
人は大人になっていく過程で、スキルの力に目覚めることが有る。
スキルは万人に手に入る力ではない。
一つのスキルも手に入れられず、人生を終える者も多い。
ディーヴァは既に成人を迎えていたが、スキルに目覚めてはいなかった。
無能のディーヴァは、スキルの才能すら無い。
ダッタの家中では、そのように思われていた。
やや遅咲きで、ディーヴァは力を手にした。
それに気付いたシノーペが、楽しげな様子を見せた。
「へぇ……。
もう少しくらいは
楽しませてくれるんですかね?」
そのとき。
「お姉さま!」
ソラテラスの声が聞こえた。
声の方角に見えるのは、彼女一人では無い。
階段の方角から、ソラテラスクランがやって来るのが見えた。
「時間をかけすぎてしまったようね。
この手勢では、
ソラテラスを相手にするのは厳しい。
撤退するわよ」
ユピトは即座にそう判断した。
「はい」
カシオペイアが頷いた。
ユピトクランは、撤退を始めた。
その行く手に、ソラテラスクランが立ち塞がる。
「お姉さまに危害を加えておいて、
生きて帰れると思っているのですか……!」
ソラテラスは、怒りに満ちた顔を、ユピトへと向けた。
都市有数のダンジョンマスターの怒気を受けても、ユピトは揺るがなかった。
「あら。序列六位のあなたが
私に勝てるとでも思っているのかしら?」
余裕に満ちた表情で、序列一位のダンジョンマスターはそう言った。
「主力も連れていない
今のあなたなら……!」
「無理よ」
そう言って、ユピトは指先から、雷を放った。
「あうっ!?」
都市最強と言われるダンジョンマスターの雷は、常人に避けられるものではない。
為すすべなく、ソラテラスの部下の一人が倒れた。
仲間を倒されても、ソラテラスクランの団員が、ユピトに反撃することはなかった。
相手はダンジョンマスターだ。
この星においては、神に近い扱いを受けている。
剣を向けろと言われれば、どうしてもしりごみしてしまう。
そんな状況を見透かして、ユピトはソラテラスに言った。
「マスター殺しは禁忌。
まともな人間には背負えないわ。
私を倒そうと思ったら、
アナタが直接に手をくだすしか無い。
だけど、あなたじゃ私には
かなわないでしょう?」
「序列が少し高いからと言って、
調子に乗らないで欲しいですね」
「本気でやるの?
良いわ。少しだけ相手をしてあげる」
ユピトの雷に対し、ソラテラスの力は光だ。
ソラテラスはユピトに向かって、熱を持った光線をはなった。
ユピトはそれを、雷で迎え撃った。
単純な物理法則で言えば、光を雷で防ぐのは難しい。
だが、彼女たちの力は、純粋な光や雷では無い。
魔術的な現象だ。
お互いの魔力が干渉しあい、二人の力が相殺された。
攻撃を防がれたソラテラスは、さらに次々と光線をはなった。
雷と光線で撃ち合いになった。
やはりユピトの方が格上のようで、ソラテラスがユピトをしとめることはできない。
それどころか、ユピトには部下を助ける余裕すら有った。
ユピトに守られながら、クランメンバーは撤退していった。
「…………」
このまま舐められてたまるものか。
隙を見せたユピトクランの団員に、チヨメがスリーケンを投げた。
「させるか!」
カシオペイアが、仲間を庇って立った。
カシオペイアの長柄の斧が、スリーケンを叩き落とした。
「…………」
チヨメの殺気が、カシオペイアに向けられた。
「チヨメ=コウカだな。
……おもしろい」
「カシオペイア。
あなたの首をいただきましょう」
「……来い!」
チヨメはカシオペイアの間合いに踏み込んだ。
斧とニンジャソードでの撃ち合いになった。
リーチでは、カシオペイアが勝っていた。
だが、総合的な能力において、チヨメが一枚上手だった。
徐々にカシオペイアは劣勢になっていった。
ついにチヨメの技が、カシオペイアの体勢を崩した。
「これで……!」
「っ……!」
カシオペイアにチヨメの刀が迫った。
防御も回避も不可能。
そんな完璧な一撃だった。
だが……。
「あぐっ……!」
稲光と共に、チヨメが倒れた。
彼女の背中に、ユピトの手のひらが向けられていた。
「チヨメ……!」
部下の敗北を見て、ソラテラスが呻いた。
自分が弱いせいで、ユピトを抑えきれなかった。
才能に溢れた部下を、負けさせてしまった。
苦い敗北の味が、ソラテラスの矜持に染みていった。
「とどめの瞬間に力むようじゃ、
まだまだ甘いわね。
今のうちに逃げなさい!」
「っ! はい!」
ユピトの言葉を受け、呆然としていたカシオペイアが、我を取り戻した。
彼女は仲間たちの最後尾を守りながら、クオンダンジョンから撤退していった。
「ぐ……」
チヨメが立ち上がった。
だが既に、敵の姿は遠ざかっていた。
「不覚……」
一人の欠員も出さず、ユピトクランは撤退を成功させた。
ユピトクランでダンジョンに残っているのは、マスターのユピトだけになった。
「そろそろ私も
おいとまさせてもらいましょうか」
そういって、ユピトは走り去ろうとした。
余裕の有る彼女の顔を見て、ソラテラスの心が憤激に染まった。
「ぐっ……!
舐め……るなあああああああぁぁぁっ!」
ソラテラスは、全身から力を迸らせた。
ソラテラスの頭上に、円形の宝鏡が出現した。
「『真経津鏡-まふつのかがみ-』!」
鏡から、光線がはなたれた。
今までには無い強大な光が、ユピトへと向かった。
「っ……!」
ユピトが顔色を変えた。
彼女は瞬時の判断で、左手に全ての力を集中させた。
光線を受けた左手から、バチバチと火花が散った。
ユピトは正面から光を受け止めるのではなく、受け流そうとした。
ユピトを避けるように曲がった光は、ダンジョンの壁に突き刺さった。
頑丈なはずのダンジョンの壁に、大穴が穿たれた。
「思ったよりやるわね。ソラテラス」
額から汗を流しながら、ユピトは笑った。
ユピトの左腕は、痛ましく焼け焦げていた。
「さようなら。また会いましょう。ディーヴァ」
ユピトは足元でバチリと雷を鳴らすと、フッと姿を消した。
「く……」
ソラテラスは悔しそうに、ダンジョンの出口を睨んだ。
それから心を落ち着けると、クランの部下たちに声をかけた。
「みなさん、ご無事ですか?」
「はい……」
部下たちがソラテラスに答えた。
クランメンバーには、負傷者は居るが、死者は居ない様子だった。
(手加減……ですか。
本当に、舐められたものですね)
それからソラテラスは、クオンに声をかけた。
「お姉さま。お怪我はありませんか?」
「私は問題ないよ。
だけど……」
クオンの視線の先で、少年が崩れ落ちていた。
「う……ううぅ……」
悔しさに、ディーヴァは泣いていた。
……。
ディーヴァを治療すると、ソラテラスたちは去っていった。
クオンはディーヴァを、温泉に入れた。
温泉の端で、脚だけを湯につけたクオンが、ディーヴァに話しかけた。
「落ち着いたかい?
ディーヴァ」
そう言われて、ディーヴァは重苦しい顔で答えた。
「俺は……
クオンさまの力になりたかったのに……。
俺のせいで……
俺が弱いせいで……
クオンさまが傷ついた……」
「私は傷ついてなんかいない。
何も気にすることなんて無いんだよ」
「…………」
ディーヴァの表情が、和らぐことは無かった。
何を言われても、納得できるものでも無い。
それを察したクオンは、話題を切り替えることに決めた。
「……そうだ。
そう言えば、
キミはようやくスキルを発現させたようだね。
おめでとう」