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1 はじまり

 一羽の紫の蝶が、何を見つけたのだろう。洞窟の中へと迷い込む。洞窟の中は暗いけれど、匂いに誘われた蝶には、障害にはならない。


 甘美な匂いだった。短い一生の中で、これほど鮮明で完璧とも思える香りは、もう二度と巡り会えないだろうと本能のままに感じながら、蝶は青い花の上に身を委ねた。


 青い花は一輪だけ、淡く光るように咲いていた。何処、何処……求めた先に、見つけたのだ。


 自分の理想の花を。自分だけの花を。


「あら、あなたも人になりたいの?」


突然、静けさを艶やかな声が破った。言葉をかけられた蝶は驚いて、花の上を飛び回った。


 肌はとても美しいのに、グレイヘアという容姿の女性がいた。女は、切り出した石に木板をしいたテーブルに、頬杖をつきながら、飛び続ける蝶に向かって話し続けた。


「空を飛ぶ自由はあるのに、人になれる自由はないのね。でもいいわ。青い花は願望を表すの。あなたに一輪、あげる」


蝶は、再び青い花の上に止まった。女は剪定(せんてい)ばさみを取り出して、茎を切り取った。蝶は、今度は飛び立たなかった。女は目の高さまでそっと持ち上げると、もう一度、人になりたいかを尋ねた。蝶は誘われるままにうなずく。すると、意識が遠くなり、花弁の隙間に崩れ落ちていった。







 心を映す青い瞳が、鏡のように私を見つめている。


 私は気がつくと森の中にいた。ここがどこなのかわからない。どうしてここにいるのかも、わからない。前はもっとふわふわしていたような感覚があるのだけれど……その意識さえ、ぼんやりしている。


 しばらくして、私は喉の渇きを感じた。湖を見つけると、手で水をすくい、飲み込んだ。その時初めて自分の姿を見た。その瞳は青かった。なんの歴史もなく、なんの記憶もなく、なんの思慮のない、空っぽの瞳が、自分を見つめ返していた。


 誰だろう。


 そう私は思った。いや、これが自分なのだ。白いブラウスに、茶色のカーディガンを羽織っている、この自分が……? 首元には固く結ばれた紫色のチョーカーがついている。私はリボンの部分を触ってみたが、自分の手では、外せそうになかった。


 目の前に、一羽のモンシロチョウが、ひらひらと横切った。


「ちょうちょさん、私は誰ですか?」


蝶は飛び去っていく。


 空を飛ぶ自由はあるのに、人になれる自由はない。


 なぜか、その言葉が頭の中に浮かんだ。


「でも人は、お空を飛べないようです」


私は青い空と、空を反射する湖を見た。両面に広がる青色を見ていると、この景色を独り占めしたい感覚に襲われた。


 私は「何か」だったらしい。青さを独り占めしたかったらしい。そして、蝶の夢を見ていたらしい。


 蝶の夢……?


 疑問は雪のように溶け、土の中へと沈んでいく。


 私は森の中をさまよい歩いた。開けた場所に出たかと思うと、村があった。そのひとつに入ってみると、一人のおばあちゃんがいた。


「おやまあ、近所の子じゃないね」


おばあちゃんは驚いた様子だった。


「どこから来たのかい」


私は森をさし示した。おばあちゃんは私の身なりを見て、異国から来た子なのだろうと言った。時々ここにくる商人が、似たような服を売っているのだと話した。


「名前はなんて言うんだい」


私は答えられなかった。


「わかりません。気がつくと森の中にいました。蝶が飛ぶのを見ました。それから、ポケットに紙が入っているのを見つけました。でも、私は文字が読めないのです」


名前の代わりにそう答えて、黒いスカートのポケットに手をいれる。折りたたまれた紙を取り出して、手渡した。おばあちゃんは苦労しながら文章を読むと、私をじっと見つめた。


「何か、書いてあるのですか」


おばあちゃんは私の質問には答えなかった。紙を元に折りたたむと、


「それより、遠くから来てお腹が空いているでしょ、ご飯を用意してあげましょう」


と親切に言ってくれた。はちみつを小さじ2杯分入れた、甘粥をご馳走になった。


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