洗濯機 白物
まだ、太陽も登りきらないような朝に目覚めて、携帯を覗くと、昨日のメールの続きが彼から送られてきていた。まだ、完全に目覚めてない目で、上手く動かない指を無理やり動かし、返信を送る。
「こちらこそ、ありがとうね!! また、絶対行こう! 次は渋谷でもどう?」
と、立て続けに三文送り付け、再び枕に顔をうずめる。柔軟剤の匂いが心地いい。
彼とは大学に入学してから、たまたま住んでいた地元が近いことから話が膨らみ、はたまた同じマンションに住んでいることで距離が縮まり、お互いに一人暮らしで何かと淋しかったため、成り行きで恋人のようなことをしている。
私は現状に満足しているし、彼も優しく、土足でプライベートに踏み込んでくるような人ではなかった。
時計を見ると8時30分を過ぎたところで、身支度を始めないと始業時間に間に合わなくなっていた。まだ、寝足りない体を無理やり起こして、洗面台へとのそのそ歩いた。顔を冷水で洗うと目覚めるが、肌にはあまりよろしくないと思い、後悔する。
今日の1限は教員免許資格課程の必修科目なので気安く休むことは出来ない。何着か持っているセーターを選びながら、それに合うスカートとマフラーを歯磨きをしながら選ぶ。お化粧も薄く済ませて髪の毛を整える。ここら辺にくると、体もしっかりと目覚めて、文句のつけようのない素晴らしい大学生活に、笑みがこぼれてしまう。自分で言うのもなんだが、私の大学生活は充実していると思う。夜中まで気にかけてくれる恋人もでき、自身の夢に向かって努力し、朝作る私のご飯はこんなにもおいしい。昼ご飯にサンドイッチを仕込みながら鼻歌を歌う。そろそろ家を出る時間だ。
家の鍵を開け、階段を降りると彼が立っていた。いつもなら、私が下で彼を待つのだが、昨日は彼と水族館デートでその後も電話なりメールなりで寝れなかったので、出るのが遅れてしまった。私は朝には弱いのである。
彼は私を見るなり、おはよう、と優しく声をかけてくれた。私も一拍おいてから、おはよう、と明るく返事をした。また楽しい一週間の始まりである。
彼は進行方向に向かって少し先を歩きながら口を開く。
「昨日は遅くまでごめん。 寝るの遅くなっちゃったよね?」
私は太陽に照らされた陰に映る、まだ完全に治せていない寝ぐせを見つけ、手で撫でながら答える。
「全然平気だよ! むしろ快眠ってかんじ。憲さんの方こそ、私の話聞いてくれてありがとう。やっぱり、マンボウってかわいいけど、ちょっと不気味よね、、」
憲さんは私の仕草を見て、少し微笑みながら答える。
「僕も送った通りだけど、見た感じ癒しキャラって感じだけど、横顔しかみれないし、正面から見るとなんだか不気味だよね。けど、マンボウって図体のわりに目が小さくてどうしてもかわいく見えちゃうんだよな~。」
「そうかかな~。私はマンボウ見ると、なんだかた食べられちゃいそうだし、どこか遠くにいっちゃう気がして嫌なんだよね~。」
憲さんは優しく笑いながらキャッチボールした。
「別に何処にも行やしないよ。水槽の中からは出られないんだから。」
「そんなもんなんかな~。」
私は憲さんの返事を心ここに非ずといった感じで、空を見上げながら聞き流し、大学の構内を見渡す。所々私たちのようなカップルや男子が数人で輪をなしているのが目に入る。何気ない日常がそこにある。すっかりと冷え込んだ秋晴れの太陽に照らされながら、気持ちよく進んでいく。
すると、憲さんが再び何事でもないように口を開いた。
「僕、バイトきまったんだよ。言っても近くのクリーニング屋さんなんだけどさ。洗濯への特別な気持ちが伝わったみたでうれしかったな~。」
彼には少し変わったところがあるのを忘れていた。何を隠そう彼は類を見ない洗濯好きなのである。これといって趣味を持たない(あまり話してくれないのが事実ではあるが、、、)彼だが、唯一といっていいほど洗濯に対して熱い思いを持っているように見える。一日に洗濯する回数はきちんと決められ、白物、黒物もはっきりとわけ、揉み洗いからなにまでそつなくこなし、一人暮らしだと言うのに物干しハンガーを三つも持っていた。彼曰く、洗濯ものにはそれぞれ領域があり、調和がとれて初めて美しく輝く、とのこと。
私は彼のそんな、もの好きな面も少しおかしくもかわいいと思っている。それに彼が洗濯した衣類やブランケットなどはとても気持ちがいいのだ。現に私の枕カバーやタオルケットも彼が、洗濯を担ってくれているし、彼の柔軟剤と私が使う柔軟剤の匂いはほぼ同じ匂いがするのだが、少しだけ鼻をくすぐる感じが彼の方が強い気がして、楽しいのである。そんな彼のバイト就任は私にとっても喜ばしいことで、応援したくなるような出来事であった。
「おぉ~。なんと、クリーニング屋さんにいくとは、なんとも感慨深いですなぁ。でも、憲さんだからこそって感じがして、私は嬉しいよ!」
憲さんは一層顔を輝かせて続ける。
「優さんならそう言ってくれると思った!これからも、洗濯なら任せて欲しいし、今日の帰りに引き取っても構わないよ。」
「憲さんってば、クリーニング屋さんはブランケットなんて扱わないんじゃない?」
二人は笑いながら教室の前で分かれる。憲さんは1限は空きコマで次の2限まで図書館か、天気のいい日はそとのベンチで読書をするのだ。
そんな憲さんの背中を少しだけ目で追いながら、彼の底知れない懐の温かさを感じ、教室でまつ教職課程の友達に合流した。
彼とは、ほぼ毎日のように会っていたが、彼がバイトに行くようになって少しだけ会う機会が減ったと思う。しかし、その分、夜の電話は増えたし、彼は色々な柔軟剤で私の洗濯物を洗うようになった。あのくすぐったい感じが減ったのは少し寂しかったけれど、代わりに上品なオレンジの匂いや涼やかなフローレンス、鼻について取れないような濃い匂いの花は勘弁してほしかったが、色々なフレーバーを楽しめたと思う。それに、たまに帰ってくる彼の柔軟剤が私の鼻を前みたいにくすぐるのが、懐かしくも新鮮で嬉しかった。
そして、彼はバイト先のことを私に沢山話してくれた。
クリーニングにどんなお客さんがやってくるのか。こんな洋服には、このような洗浄の方法があり、ここに注意しなければならなくて、彼はもう完璧にこなしていることなど。私も聞いていて、一人暮らしの大学生にとって、とてもためになる話だったし、彼の仕事を垣間見ているようで、まるで夫婦のようで、自然と笑みがこぼれる。しかし、バイト先にいる先輩の話には少し嫉妬してしまっている。彼は彼女のアイロンがけの丁寧さといったらどうとかって褒めはやしているのだが、私も負けじと彼の洗濯技術を褒める。すると、彼は全て彼女が優しく教えてくれたからなどと言うのだ。こうなってしまっては、私は彼女のことを先輩としては認めざるを得ない。別に先輩如き、どうとも思ってないし、その人は彼が洗濯した枕カバーで寝たこともないだろうし、などと意味のないことを並べる。少し前に彼女のことが気になって奥まで突っ込んで話を聞いたことがあるのだが、普段は優しい彼に嫉妬しているの、ってからかわれてから聞いていない。ともかく、彼の話に彼女が出てくるとなんだが、目の前が少し暗く感じられ、快くはないのだ。彼は気が付いていないようだけれども。その後、彼は今まで使っていた柔軟剤は使わなくなった。彼女になんて言われたのかは知らないけど、その代わり、私の枕カバーは涼やかなフローレンスで洗濯されることが多くなった。
その後、彼とは何事もなく時間が流れて行き、私の完璧な大学生活は寸分の狂いもなく回っていた。しかし、クリスマスが過ぎて、新年が過ぎて、新しい春が来る前に私は彼に別れを切りだした。
理由を聞かれても、はっきりとは言えないが、彼の洗濯が以前よりも心地よいと感じられなくなってしまったとしか答えられない、気がする。電話越しの彼は少し言葉に詰まったあと、二つ返事で承諾した。案外あっさりしているものだと拍子抜けして、またあの涼やかなフローレンスの匂いを思い出す。
何時からだろうか、彼の洗濯を嫌いになったのは。
何時からだろうか、今まで二人を結び付けていた柔軟剤を以前は嫌いだった濃くて重くて鼻にずっしりと存在感をしめす柔軟剤に変えたのは、そして、その匂いがたまらなく好きになったのは。
二度目の秋晴れの太陽に照らされながら、心地よい晴天の下を私は堂々と歩く。
洗濯は干すのが苦手でですが、たたむのは好きです。優さんはたたまれる前に飛んでいきましたね。