第1話「-SHSN〜全ての始まりの日は、驟雨性の弱い雨と雪〜」
はじめましての方ははじめまして。いつも読んでくださる皆様にはこんにちは。かぐらゆういです(*´∀`*)
いつもラブストーリーを書いているかぐらですが、今回は夫であり現役ヘリパイロットのうしぽんを監修に、ヘリ業界のヒューマンラブストーリーを皆様にお届けしようと思います。なかなか難しい作品ですが、頑張って挿絵も描いていきたいと思います。では、どうぞ!
1月のある寒い夜。METAR(定時航空実況)とTAF(運航用飛行場予報)には-SHSNと表示され、窓の外では驟雨性の弱い雨と雪が降っている。
森藤航空株式会社のヘリパット内に女性が1人寒空の下で立っていた。それを社内で見つけたこの会社の代表取締役社長・森藤匠臣は傘を持って外に出た。
「お嬢さん、どないしはりました?」
「…今日、ヘリは飛ばないんですか?」
女性は寒い中ずっと立っていたのか頬がほんのり赤く染まっていた。真っ白な肌に薄く頬紅をさした様に色づいて、少し色っぽくさえ見える。
「今日はこの天気やから飛ばせないんですよ。ごめんなさいねぇ」
「そうなんですか…また出直します」
女性は諦めて踵を返す。
「あ、待って」
「え…?」
匠臣はこの女性をこのまま帰したくない気持ちになっていた。この辺じゃ見かけない少女感のある儚げな美人だったからだ。
匠臣は持ってきた傘を開き、「寒いやろ、うちはいり」と傘の中に引き入れた。相合傘状態である。
「いいんですか…?」
「ええよ。ヘリ、好きなん?」
「はい、大好きです」
女性はにっこり笑う。笑った顔が幼くて可愛らしい。まだ20代前半か、いや、10代後半かもしれない…それぐらい若くて美しい女性である。
「中でコーヒーでも飲んであったまったらええよ」
会社に女性を招き入れた。匠臣の中で、悪魔が囁いていた。
森藤航空には会社には珍しいバーの様なカウンター席があった。白いワイシャツに赤いベスト、赤いスラックスを着た男性に案内され、ひなは席につく。
「お嬢さんいくつ?えろぉ若そうやけど」
男性はコーヒーを淹れながらひなに質問した。
「25歳です。今年で26歳」
「25?20歳…いや、17とか言うても通じそうな見た目やな」
「よく言われます。幼いって」
「幼いというか、いい意味で少女感あるわ。はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
ひなは華奢な手でマグカップに添えた。爪には何も装飾などはなく、ツヤがある長い髪も一切染髪したことがないヴァージンヘアで清楚であった。化粧も眉を少し整え、薄付きのファンデーションと薄いピンクの口紅をしているだけである。
「お名前は?」
男性はひなに少し熱い視線を送る。一重の切れ長の目で見つめられ、ひなの心臓は高鳴った。
「天鷲ひなです」
「ひなちゃんか。僕はこういう者です」
男性は胸ポケットから名刺を取り出しひなに渡した。モノクロのデザイン性のある名刺には「代表取締役社長 森藤匠臣」と書かれていた。
「社長…さん?」
「そう。見えへんかな?」
「いえ、そんなことは」
確かにこの派手な服装からして社長でなければおかしい。
「コーヒー飲んだら、格納庫見せたるわ。ひなちゃんだけ特別に」
「え…私だけ?」
「ヘリ好きな女の子って珍しいからな、社長としては嬉しいやろ」
「ほんとに、いいんですか?」
「ええんやで。今日はもう仕事もないし、ひなちゃんやから。その前に、コーヒー飲みぃ?」
勧められ、「いただきます」と言ってひなは啜った。コーヒーのことは詳しくないが、お高いコーヒー豆を挽いた味がする。
「美味しいです」
「やろ?ひなちゃん分かる口なんやね」
「えへへ」
ひなはまた笑った。ひなは初対面の相手でも満面の笑みで接するタイプなのだ。
「よう笑うタイプやなぁ、ひなちゃん」
「そうですか?」
「うん、僕は好きやわ、そういう子」
再び匠臣から熱い視線を感じた。自分ではよくわからないが、ひなは世の男性から好意なのか熱い視線を送られることが多いと感じていた。
コーヒーを飲み終え、ひなは格納庫に案内された。
「足元気ぃつけてな。ヘリのスキット(足)があるから」
「はい」
「あ、手、引いた方がええか?」
「え?」
「ヒール少し高いやんか。スキットにひっかけたら危ないやろ」
「…じゃあ、お言葉に甘えて…」
匠臣は左手を差し出し、ひなの右手を引いた。155㎝しかないことがコンプレックスで、日常的にヒールが少し高めな靴を履いているひなにはありがたかった。
「うちは遊覧ばかりやっとる小さい会社やから、R44(ロビンソン社の小型機)ばかりなんやけどええかな?」
「ロビンソン好きなんで嬉しいです」
「ロビンソン好きなんて珍しいなぁ。もっとえろぉ大きいの好きなんかと思っとったわ」
「小さくて丸っこい形が好きなんです。窓も大きくて景色もよく見えて」
「乗ったことあるんか、ひなちゃん」
「はい、父方の祖父が陸自出身のパイロットだったもので」
「ほう!そうなんや!どこ飛んだん?」
「北海道の知床です」
「僕よりええとこ飛んではるやん。先端(知床岬)まで行ったんか?」
「行きましたよ。知床特有の地形がよく見えて素晴らしかったし、上空から見るオホーツク海は美しいオーシャンブルーで感動的でした。知床で飛んでからロビンソン機が好きになったんです!」
ひなの目は爛々(らんらん)と輝き、表情はぱあっと明るい。延々と語り続ける様子からしても、よほどヘリが好きなのであろう。こんなに楽しそうに語る人間、それも女性を匠臣は見たことがなかった。
「その時の遊覧機の機種は覚えとるん?」
「R44でした」
「ほな、ピストンエンジンやな。ここにあるでR44」
匠臣はひなの手を引いてR44を見せた。格納庫にズラリと並ぶ機体はよく磨かれていて、丸っこい卵型のボディが照明に照らされてピカピカに光っている。
「懐かしいです」
「おじいちゃんよく乗ってはった?」
「乗ってました。たまにR66(R44よりも大型で、搭載しているエンジンが違う機体)の時もあったんですけど、タービンエンジン(ロールスロイスと同じエンジン)よりピストンエンジンの昔ながらのエンジン音の方が好きですね」
「あの爆音が好きなんてなかなか変わっとるな、ひなちゃん」
「祖父にもよく言われました、『タービンの“ヒュイーン”の方がかっこいいでしょ?』って。でも、私はあの爆音の方が興奮するというか」
「うちで働いたら聞き放題やで。あ、ひなちゃん仕事は?」
「今は無職です。母方の祖母の会社で働いてたんですけど、先日倒産したもので…」
ひなの祖母は京都で京呉服と和装品販売の店を営んでいたが、破産してしまい全て失った。生きる糧を失い見る影もなくなった祖母は自室のクローゼットの中で縊死、遺されたひなには多額の借金のみが残り、相続放棄してきたところである。
ひなからなかなか重い説明を受けた匠臣は少し考えた。
「…じゃあ、今住むところもないんちゃう?」
「はい…仕事と同時に探さなければなりません。今日は、橋の下かなぁ…?」
ひなにはホテルに泊まる余裕すらなかった。4年前から給料が滞り始め貯金を切り崩しているために、ひなの財布はカツカツなのだ。
匠臣は少し考えたのち、ひなの見えないところで黒い笑みがこぼれた。
「ひなちゃん」
「はい…?」
「うちで働かんか?うち今人手が足らんのや」
「あの…私無線も計器証明も何も持ってないんですが」
「大丈夫。ここ専門で地上員(遊覧で客を案内して機体に乗せたり、地上で周辺の安全を確認した上でパイロットに最終のGOサインを出す責任ある仕事)やったり、外部からお客さん来たらお茶出してあげたらええ。家は…しばらく僕と同居でええかな?」
「地上員も資格がいるんじゃ…?」
「2日間研修して合格したら発令出すから大丈夫よ。仕事は心配せんでええ」
「…でも、同居は…」
ひなは顔を赤らめ、両手で覆った。父親以外の男性とは同居したことがないのである。
「うち、寮があるんやけど、男のパイロットが占領しとるからな…まるっきり知らんおっさんとシェアハウスは嫌やろ?言うても、僕も39のおっさんやけど」
「…何も、しません?」
「もちろん、何もしませんよ?部屋も余っとるからベットも別やし」
「…ほんとに…?」
「うん、何もしませんよ。あ…手は繋いどったな」
匠臣はそっとひなの手を離した。
「お言葉に甘えてもよいでしょうか…」
「ええよ。ほんなら荷物持ってきたらええ。僕格納庫の外に車回してくるわ」
ボストンバッグを持って格納庫から出ると、赤いベンツが停まっていた。
バッグを積み込み会社と格納庫内の電気を消すと、2人は車に乗り込んで久御山方面にへと走った。
雨と雪が強まり、上空では更に暗雲が立ち込めていた。これから先の未来を暗示していることをひなは知る由もなかった。