お互いの告白
土曜日の昼、私が誰もいない台所で昼食を取っていると、突然スマホからピコンと通知音が鳴った。その通知音はlineのメッセージが来たことを告げるものであり、瑠月以外に誰がいるかというと……。
「琳音くんだ」
私はさっそく喜んでお茶碗を洗ってメッセージを開く。すると、こんなメッセージがシンプルな文体で書かれていた。
『今って藤峰公園のトイレに来てもらうことはできる?』
「どうして?」っと……。私は理由を聞くためにその短い返事を送った。すると数分後、琳音くんが返事を返した。
『先週の金曜日にあったこと、話したいから』
先週の金曜日……。琳音くんがカワシタという大男に犯されそうになったのを、私と瑠月、琳音くんの三人で町を逃げ回った事件だ。
ちょうど瑠月がカワシタに足首を掴まれて倒れてしまい、私と琳音くんが男の制裁を待っていると、地元の私立学校の教師、リンダさんが男の首を蹴りで捻じ切った。
そもそもの疑問なのだけど、どうして琳音くんはあんな大男に襲われたのだろう? カワシタが人体改造される事件の首謀者が琳音くんの父親だったのはわかった。
だが、その息子にまで復讐しようとするものだろうか? カワシタは生活保護とKUNGARから支払われた一時解決金を合わせて月額二十五万ほど受け取っていたとリンダさんから聞いたが、それでもやはり腑に落ちない。あと『血縁の罪』とは一体なんだ……?
様々な疑問が脳裏をよぎって消えることがない。私は琳音くんに『すぐ行く。三十分くらい待ってて』とメッセージを送って、今度は公園まで歩くことにした。
公園までの道は平坦で、それでいて長い。街の繁華街から少し離れたところにあるが、国産品やレッテでも食べられる食事を扱うスーパーとその隣にはコンビニが数軒建っている。
私はそういったところさえ無視して奥に入っていく。病院や駅の駐車場を通り抜けて、一キロ近い道をずっと歩いていく。
その間、私はずっとサンダーバードのテーマソング集を聴きながら道を歩く。葉桜がたくさん並んだ公園のトイレにたどり着くと、そこはなんだか公衆トイレらしい汚さの含まれた刺激的な臭いがする。
「琳音くん、いる?」
すると琳音くんは妙に驚いた様子で両手を頭に当てて、私を警戒していた。
「何だ真中かよ。驚かすなよ……」
「ごめんごめん。それでずっと私のことを待ってくれてたの?」
「……うん」
琳音くんは頬を赤く染めて、私の手を握った。外は晴天、この上ない幸せが空から降り注ぎそうなほどに晴れ渡った青い空が、私の心を前向きにしてくれた。
だが晴天こそ、レッテにとっての敵なのだ。日光が平気なレッテもたまにいるがそれは少数であり、ほとんどは琳音くんのように何かしら太陽から身を守る格好をして外へ出る。
だから琳音くんも赤いレインコートにニーソックスを履いて私を待っていた。赤いレインコートを脱いだ琳音くんはいつもとは違って、黒い長袖のロリータ衣装を着て、ガーターを付けている。
いつもの清楚なワンピースとは違って、どこか毒々しいその姿に私は思わず一瞬怯んだ。だがすぐ琳音くんの気持ちを察して、作り笑いでその服を褒める。
「今日の琳音くんって黒いロリータ衣装かあ……。とても可愛いしオシャレ。それに、服を着せるためのモデルじゃなくて、琳音くんのために作られたロリータみたあい!」
わあ……。私が羨望と引きの気持ちで言った一言に、琳音くんはどこか嬉しそうな顔をして言った。
「だろ? 特注品だぜ」
「えー、なんだあ。円先生ってこういうのも買ってくれるんだね!」
「えっ、俺の金だけど」
琳音くんは経済的に自立していた。しかしまあ、どういう方法でロリータの特注品なんてものを買うんだろう。
私は琳音くんを不思議な表情で見上げる。それからなんと言えばいいかわからずに黙り続け、琳音くんも察したのだろう。
「売春じゃねえぞ。海外の人気作品を翻訳して、それで稼いでる」
「へえ……。翻訳本って儲からないって聞くけどねえ」
「そんなに疑うなよ。映画化された小説を翻訳するんだ。ミステリーとか。スウェーデン語や英語から翻訳するのは俺の特技なんだ」
スウェーデン語や英語から翻訳するのが琳音くんの特技。それも出版社に翻訳依頼されるほどの実力を持っている。それなのに、この子がいま置かれている状況を見ると……、なんとも言えない気持ちになってしまう。
「琳音くん……」
「なっ、なんだよ真中。そんなに人を見て……」
「前に琳音くんが売春した客に病気を移したって噂があったから、そんなことなかったんだって。よかった……」
思わず笑みがこぼれる。私は琳音くんをじっと見つめる。すると彼は俯いて、トイレの汚い泥が乾いた部分を見つめている。
「……いや、事実だけど」
あっさりと口にした黒歴史。琳音くんは売春したことがあるのだ。その上、客にインデル症候群を移した過去があった。ああ神様、この哀れな少年に救いを……。私は心の中で神に祈らずにはいられなかった。
「えっ……と……?」
「いまのお前、なんと言えばいいか分からないって顔をしてるな。まあそうだよな。売春して病気を移した奴って、それだけでもレッテが差別されるきっかけになるもんな。仕方ない」
「も、もしかしてカワシタに襲われたのは売春の件もあったから?」
怖気付きながらも質問した私に、琳音くんは私の頭を撫でながら微笑む。その微笑みは、まるでこの世を達観したような感じで、どこか諦めの気持ちが込められているようだ。
「カワシタは俺の客だった。アイツは俺の過去を知っていたみたいでさ、『この町で平和に生きたかったらオレとやらせろ』って。事件が既に有名なものなのに、顔も知られているのに平和もクソもねえっつの」
「それで、やったと……」
「ああ。一万円もらってしゃぶった。アイツのペニスって普通のオッサンより大きいし、『二十センチある』とか誇ってたからもうしゃぶるのが大変で……」
「他の人ともやったの?」
すると琳音くんは一瞬表情を凍らせると、便器の上に座って私に手招きした。この蒸し暑いトイレの中で一体なにをするのだろう?
「はやくこいよ」
「来ましたけど……」
すると琳音くんは私の耳元で自分の過去をささやいた。
「……あるよ」
ああやっぱり。売春したことがあるんだ、このレッテ。私は唖然としながらも、彼の話を聞いてやることにした。
「ある日健常者の暴漢に襲われてよ……三万受け取って。それからホテルで落ち合って盛りあったもんだ。そのおっさんはネットで俺が地元にいるってのを知って探してたんだと。ほとんど俺が食べられないご馳走を食べて、ゴムしないと移るって何度も俺が言うのに、生でやるのをやめないし……」
「単なるバカじゃん。自爆しに行ってる」
「だろ?」
思わずおっさんのことを考えると、私は吹き出さずにはいられなかった。自ら病気になりにいく奴がいたのか。そう思うたびに、私の脳裏に電車の痴漢がよぎる。
私の胸を揉みながら、『真中ちゃん』と眠る私を起こし、トイレの中で体を触らせさせようとする。実際私は触らせるとお金がもらえるのを知っているから、体を触らせて秘密の花園に手を差し出させたこともあった。
だが実際そういうのをするとエスカレートしていくもので、私は擬似性交をその痴漢のおっさんとしてニーソに精液がかかった。その汚れを流すために土砂降りの中、コンビニに向かい、そこで琳音くんと出会ったわけだが、琳音くんも似たようなことをしていたのか。
「今はしてない?」
「してないよ。だって、新しい稼ぎ方を見つけたから」
ピースサインして目を細くして笑う琳音くんに、私も思わず感情が昂って彼を抱きしめる。それを琳音くんはただ一心に受け止めて、お互いの肌の柔らかさや体温を感じ合う。
「……なんで襲われたの、金曜日」
「分かんねえ。多分、俺が体を売るのを断ったからかな」
体を買うのを断られた腹いせに襲ったのか。そしてかつての仲間に首をねじ切られて、田んぼにその首が落ちる有様。きっと辛い幼少期だったには違いないが、私は忘れていない。男たちが中学生くらいの男女を殺そうとしたことを。
腹いせで自らの命を失うなんて、本当にバカだなあ。
「ふふ……」
「なに笑ってんだよ、真中。気持ち悪いぞ」
「だって、カワシタの死に様を想像したら。体を買うのを断られてキレただけじゃん。それを自分が生きていけない理由とすり替えて、最後は仲間だった人に首を切られるんだよ? 笑えないわけないじゃん」
「……ハハッ。そう考えると笑えなくもないな」
「笑ってんじゃん」
お互いに笑い合うと、私と琳音くんは抱き合ったその体でお互いの瞳を見る。琳音くんの瞳には虚ろな輝きが宿っている。一方、私の瞳にはなにが宿っているだろう?
数秒間黙り合うと、琳音くんが吹き出して笑い出す。その瞳には涙が溜まっている。一方の私も笑い返し、二人とも笑い袋状態になった。
「ああ……ついてねえ人生だあ……」
「私もなにやってるか分かんねえわ……」
お互い人生への鬱憤を口にしながらいつまでも抱き合うのだった。