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小さな事件のこと

 日がかなり高く昇るまで、ナナは眠り続けていた。それは翌日の朝というよりは、昼に近いくらいだった。ジリアンは早起きして狩りにでも行ったのか、傍にはおらず白い羽毛だけが痕跡として残っていた。きっともう少し経てば、彼は機嫌よく帰ってくるだろう。


 ナナが遅い朝食を食べていると、いくつか小柄な人影が草山の間を走ってくるのが目に入った。昨晩の子どもたちに違いないとナナは手を振ろうとしたが、すぐに手を下ろした。彼らが決して和やかな雰囲気ではないことに気が付いたからだ。道を急ぐ姿には焦りと動揺が遠くからでも見て取れた。


 ナナは影の数を数えた。ひとつ、ふたつ、みっつ。でも子どもたちは四人いたはず。


 ではもうひとりはどこにいったのだろう、と彼女は不安に感じた。


 いなかったのはエドだった。朝の挨拶をする間もなく、彼らは一斉にしゃべり始めた。


「ナナ、大変だ!」

「エドが!」

「あそこにいるの」

「早くどうにかしないと」


「待って」と、ナナは無理やり遮った。エドに何かがあったことは分かったけれど、一体何が起こっているのか肝心なところはさっぱりだった。「落ち着いて、一人ずつ話してちょうだい。たくさん話されたって、わたしの耳は二つしかないんだから」


「エドが降りてこないんだ」


「どこから?」ナナは尋ねた。


「木よ。あそこの、村はずれの木。エドがあんなことをするなんて思わなかったの。彼、木登りなんてめったにしないから」


「早くしないと落ちちゃう」


「ナナだけにしか頼めないんだ。だって、僕らは本当は外にでちゃいけないんだから。もし父さんたちに言えば、領主さまの命令を破ってたことがばれてしまうし、エドはこっぴどく叱られる」


「心配しないで」と、ナナは少年の頭をそっと撫でた。「さあ、わたしをそこへ連れて行って」


 


 四人がたどりついたのは、村を囲む塀の外側に生えている大木のそばだった。


 ナナは厚いカーテンのような葉をかき分けて、友人を探した。


 枝が細くなり始めたくらいの高さに、エドはいた。上に登ろうにも登れず、かといって下に降りようとすれば足を滑らしてしまいそうな、不安定な状態に見える。

 人間ならば梯子やロープなどの道具が必要に違いないが、自分ならばなんとかなりそうだとナナは思った。

 

「エド!」ナナは少年に呼びかけた。「どうしたの? 降りられなくなったって、みんな心配してるわ」


「降りられないんじゃない!」エドはむきになって言い返した。「上に子猫がいるんだ!」


 そう言われてはじめて、頭上で小さな動物がか細い声で泣きながら枝にしがみついているのが目に入った。薄茶色の毛でおおわれた手足は弱々しく、一度強い風でも吹けば地上へ落ちて叩きつけられてしまうだろう。


「動物よりも、あなたが心配なの」


「嫌だ!」エドはなぜか頑固に言い張った。


「でもどうして」


「僕は決めたんだ。どんなときでも、どんなものにも誠実になろうって。そうじゃなきゃ騎士になんてなれないんだ!」


 『どんなものにも誠実に』。


 それは昨晩ナナが言ったことと似ていた。『どんな人の前でも誠実に、もしかするとそれ以外にも』。ナナは自分が無意識に発した言葉がどれほどの重みをもっていたのか、どれほど影響したのか気が付いた。そして、どれほどエドが本気で挑んでいるのかも。


 子猫を救うことに執着するなんて、馬鹿らしいとも思えた。だが、エドにとっては単に猫を助けること以上の意味があるのだろう――自分の理想に近づくため、自分を裏切らないため。

 それをナナは止めるわけにはいかない。


 ナナは再び頭上に向かって叫んだ。


「大丈夫、落ちてもわたしが受け取れる。猫を助けてきて」


 本当のところ、受け取れる自信などなかった。だが、そんな真実を言えば彼をますます追い詰め、さらなる危険に晒すことは分かっていた。


 エドは怯えた顔をしていたが、ナナの言葉に対しはっきりとした意志をもって頷いた。そして、上に登ろうと掴まれそうな枝を探ったが、ナナにはどれもエドの体重を支えられるほどに丈夫ではないように見えた。

 

「その枝じゃなくて」とナナは声をかけた。「一段下に降りて、それから左手の近くにあるのに掴まって。そう、足は枝と幹の隙間にいれるの。下は絶対に見ないで。それでいいわ……」


 ゆっくり、だが確実に、エドは子猫のいる枝に近づいていく。彼が動くたびに細い枝がポキッと音を立て、大きく葉が揺れた。登っている本人よりも地上で見守るナナと子供たちのほうが息をのんだ。だが、エドのほうは唇をぎゅっと一文字に締め、弱音や悲鳴一つこぼさず、目をひたすらに哀れな子猫に向けて登っていった。


 猫のもとにたどり着いたとき、実際には太陽がほとんど動いていないほどの短い時間だったのに、ナナは半日が過ぎてしまったように思えた。エドは震えている子猫を木から優しく取り上げ、小脇に抱えた。


 ほっとしたのもつかの間、木から降りるときの方が危険なことに気が付いた。ただでさえ足を滑らせやすいのに、今では怯える子猫を抱えているせいで片手の自由が利かないのだ。しかし、エドが手が届かない場所にいるからには、ナナにできることは安全そうな枝を示し、声をかけることくらいだった。

 

 エドは慎重に降りてくると、先に子猫をナナに手渡した。ナナがふわふわした毛玉を他の子どもに渡したのを確かめてから、ようやくナナの手を借りて木から降りた。ナナは思わずエドの小さな体を抱きしめて、大きな勇気を褒めた。三人の子どもたちも歓声を上げて彼を迎えたので、エドの頬は真っ赤に染まっていた。


 だが、喜んでいる時間は短かった。塀の門が開き、領主と村人たちが飛び出してきたのだ。

 しばらく前から、領主は息子の姿が見えないことに不安を覚えていた。塀の外を監視をしていた兵から息子が木に登り、そして巨人がすぐ近くにいることを聞くと、すぐさま自分が先頭に立ち、若かりし頃のように槍と盾で身を固めて門を開けたのだ。


 村人の一団は、ナナたちのいる場所から十分に距離を取った場所に止まった。緊張した空気が間に張り詰めていた。


 ナナは突然水をかけられたように、自分の直面している現実を感じ取った。ほんの少し前までは、彼女は四人の子どもたちの仲間だった。自分の大きさを感じずに、そのままの自分のままで存在していた。

 けれどもそれは一瞬のことで、多くの人々にとってやはりナナは〈危険な巨人〉で、追い払われるべきものなのだ。彼女がどんなに望んでも、〈小さな人たち〉は受け入れようとしないのだろう。


 沈黙を破ったのは領主の方だった。


「エアドヴァ―ド!」


 父の口から名を呼ばれると、エドに様々な感情が浮かび上がった。父親の命令を聞かなかった後悔と恥ずかしさ、叱られるという恐れ、しかし自分のしたことは正しいという断固とした思い。しかし一番多くを占めていたのは、恩人を危険に晒している、なんとかしなくてはいけないという感情だった。


 エドは一歩前に出た。


「父上! 僕は言い訳はいたしません。城を抜け出したことも、命令を破って塀の外に出たことも、木に登って危険な目にあったことも、全部本当です。でも、ナナを殺したり、傷つけるのはやめてください。彼女は優しい人なんです」


「どんな状況にいるのか、お前は分かっているのか」


「槍を下げてください!」


「巨人が暴れないうちに、こっちに戻りなさい」


「ナナは僕を木から降ろしてくれた! 恩人なんだ! 危険でもなんでもない!」


 エドはそう言いながら、大きなナナの手を取った。他の子どもたちもそれに倣って、腕に抱きついたり、服の裾を持ったりして、ナナの傍に集まった。


 領主側でざわめきが起こった。

 領主は己の目を疑っていた。あれほど危険だと思っていた巨人が、何もしないでじっとしているなんてありえるのだろうか。それも、優しい目をして子どもたちを見つめているなんて。


 だが、この目に映っているいることは真実だ。そして息子の言うこともまた真実としか思えなくなってきた。


 領主が腕を一振りすると、人々はそれぞれの武器を下ろした。


「お前の話は城に帰ってから聞こう。だが、まずは禁を解かねばならぬ。息子の恩人をいつまでも塀の外に追いやるのは、わしの礼儀ではない」

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