子どもたちのこと
どうやって村人たちと話をしようか考えているうちに、日が暮れ、あたりは暗くなった。ナナはいまだに塀の外だ。
「あと一日よ」帰るように諭すジリアンに向かってナナは訴えた。「あと一日だけここにいたいわ。きっと考えは変わるって、分かるの」
「好きにするがいい。だが、これ以上ここにいても傷つくだけだ」
放牧地には家畜に食べさせるための枯草の山が点々としていたので、ナナはそのうちの一つをベッドの代わりにして夜を過ごすことにした。背中や頬がちくちくとするが、案外寝心地は悪くない。すっかり疲れていたナナは、横になるとすぐに眠りに吸い込まれた。その隣では、ジリアンが頭を翼の中にいれて、じっと動かなくなった。
しばらくすると、肩をつつくような感覚がして目が覚めた。ナナが目をこすってくすぐったい場所を見ると、ちょうど子供を起こすような具合で、ジリアンがくちばしを器用に使って彼女の肩をゆすっていた。
まだ、周りは闇に覆われており、光といえば村からこぼれる赤い火と、暗い空にたったひとつ浮かんでいる月くらいしかなかった。
夜中に起こされて、ナナは苛立っていた。
「なんなの、ジリアン。まだ朝じゃないのに」
「しっ、足音がする。やつらだ」
確かに、ナナの耳にも草を踏む乾いた音や、微かなささやき声が聞こえてきた。
「ついに片をつけようとやってきたな。闇に紛れて襲おうとは、なんと卑怯なやつらだ」
「もしくは話にやってきたのかもしれない」
ジリアンとナナは枯草に身を潜めて、集団を観察することにした。人影はこちらへゆっくりと歩いてきて、ついに隣の干し草の山までたどり着いた。全部で四つの影だ。ナナは息をするのにも用心深くしなければならなかった。
人間たちは、隣にナナとジリアンが潜んでいるのも知らずに話をしていた。
「火を持ってきた方がよかった」一人が言った。緊張しているのか、それとも生まれつきそうなのか、やけに高い声だった。「こんな暗い中を歩いたって見つかるもんか!」
「静かにしろよ。それに松明なんて持ってたら気付かれる。それに、塀の上にいた誰かが、枯草の中にいるのを確かに見たんだ」
「山を一つ一つ探すつもりかい? こんなに暗いのに?」
「ねえ、もう帰りましょうよ」ナナが驚いたことに、これは女の声だった。「わたしたちがベッドを抜け出していることが知られたら、母さんは心配するし、父さんには怒鳴られるし、大騒ぎよ。もしかすると、もう気づいてしまったかも」
「僕も帰りたい」泣きそうな声がした。これには幼く弱々しい響きがあった。
「弱気になるな」二番目の声が諭したが、その言葉は頼りなかった。
ナナとジリアンは顔を見合わせた。彼らが想定していたような獰猛で、血と殺しを求めているような狩人たちではなく、ナナを探しているのにもかかわらず、彼女に怯えているような人間だった。ナナはほっとしたというよりも、彼らに興味を持った。
「こんばんは」
思い切って声をかけて、ナナは枯草の山から体を出した。口論をしていた人間たちは驚いて振り返り、中には悲鳴を上げるものもいた(おそらく四番目の声の持ち主だろう)。
このときはじめて、ナナは人間の子どもを見た。
〈小さいたち〉はナナから見れば十分に小さいが、目の前の彼らはもっと小さかった。背丈はナナの腰よりも低く、手足は華奢、そしてかわいらしいが頼りないような顔立ちをしていた。それまでナナの知っている人間と言えば、森を訪れる狩猟者かあるいは騎士だけだったから、なおさらそう思わせた。
そのうちの一人が、友人たちを守るように一歩前に立ち、右手にもったナイフをナナに向かって突き出していた。その後ろでは、少年が二人と少女が一人身を寄せ合って、ナナを見上げていた。
「近づいてみろ」ナイフを持った少年が精一杯怖そうな声を出した。「このナイフで刺してやる。僕は本気だ」
ナイフを見てナナは丁寧に、気分を害さないように柔らかい口調で答えた。
「驚かすつもりはなかったの、ごめんなさい。どうかナイフを置いてくださらない?」
「そう言って、僕たちを食べるんだろう?」
「誓って、わたしは人間を食べたことはないわ。一度だってよ」
「食べないのなら、なんでここに来たんだ?」
ナイフを持った少年の後ろに隠れていた、かん高い声の少年が、身を乗り出して尋ねた。
「話をするためよ」
「嘘だ!」一番幼い少年が、悲鳴のように叫んだ。「父さんだってそういってたもの」
泣き出しそうな少年を落ち着けるように、少女が彼の身体をぎゅっと抱きしめた。
「はっ、人間の男が世界のすべてを知ると思うのか」
それまで様子を静かに見守っていたジリアンが、突然声を上げて飛んできたので、ナナも含めてみな驚いた。とくに、子供たちの動揺はすさまじいものだった。鋭い目つきの大ワシが近くにいるだけでも十分怖いのに、それが口を利いているなんて!
手前の少年が、ナイフをナナからジリアンへ向けた。彼は精一杯勇敢にふるまおうと努力していたが、震える右手は恐怖を隠せてはいなかった。
「刃物を下ろせ」ジリアンが有無を言わせぬような、冷たい口調で命令した。ナナでさえも、こんな声は聴いたことがなかった「少年よ、おまえには殺しはできぬ」
少年の手からナイフが藁の上に音もなくこぼれ落ちた。そして力が抜けてしまったように、その場にへたり込んでしまった。
「ジリアン、そこまでよ。そんなに怖がらせたらだめ。いくら人間が嫌いでも、それはやりすぎだわ」
うろたえる子どもたちを哀れに思って、ナナはきつい口調でたしなめた。ジリアンは反省した様子を見せず、つんと頭をそらせて黙っていた。
次にナナは子供たちの方を向き、片膝をついて彼らと同じくらいの目線になって話しかけた。かわいそうに、彼らは藁の上で立ち尽くし、もしくは転がってこの信じられない光景を見つめることしかできなかった。
思い出すのは、ナナを座らせて同じくらいの目線で話したレイモンドのことだ。あのとき、初めて会ったはずのレイモンドと友人のように話せたのは、彼の顔が自然と目に入る位置にあったからではないだろうか。
人間にとって、ナナのような大きいものが見下ろして話すのは恐ろしいだろう。ならば、同じくらいの目線であればきっと良いに違いない、とナナは思いついたのだ。
「ごめんなさい。ジリアンは頑固者で、おまけにひねくれていて、本当にあきれるわ。でも、驚かせるつもりはなかったの。わたしはナナ、向こうの森から魔法を探して旅をしているの」
しばらくの間、誰も話さなかった。ナナは辛抱強く待った。
「エドが行こうって言ったんだ」
ぽつりと、一人が話始めると、堰を切ったように四人は語り始めた。
「エドが、誰も巨人を倒しに行かないって怒っていたんだ。だから、僕らだけで行こうって決めた。門は閉まっていたけれど、塀にちょっとした隙間があったんだ。夜、みんなが寝てしまったあとに城をでて、その隙間を通ったんだ」
「エドは領主さまの息子なの。領主さまが、外にはでてはいけないって命令を出して、巨人が……ええっと、あなたがどこか遠くへ行ってしまうまでは村のなかでじっとしてなきゃいけなかった」
「本当は行きたくなかった。でも、それじゃあ勇気がないって言うんだ」
「僕は、」とナイフの少年が話し始めた。おそらく彼がエドだろうとナナは思った。「父上に認められたかった。勇敢な騎士になりたいんだ。でも父は塀の中に隠れるのを選んだ。逃げるなんて嫌だった。でも、これじゃあダメだ。僕は勇気はないし、巨人も悪いわけじゃなかった」
肩を落とした少年に、ナナは優しく声をかけた。
「でもね、きっと勇気をもって戦うことだけが騎士じゃないのよ。優しさを持つことも大切なの。わたしは森を出たばかりで、ものごとなんて少ししか知らないけれど、でも騎士についてはよく知っているわ。素晴らしい騎士の友達がいるの」
「騎士の友達?」
子どもたちは不思議そうにナナを見た。彼らにとって巨人は恐ろしい存在であり、騎士とは敵対する関係であると思っていた。それなのに、ナナには騎士の友達がいるというというのは、あり得ないような話だった。
知りたくてたまらないことが表情にはっきりと表れているのを見て取ったので、ナナはにっこりと笑った。自分に話せることがあるのは、素敵なことだった。
「今からそれを話しましょうか。さあ、ここに座って」
話が終わるころには、子どもたちはすっかりナナに心を許していた。幼い少年と年上の少女――二人は姉弟だった――はナナに身を預けるように寝そべって舟をこいでいたし、エドともう一人の少年――彼は領主の召使いの息子で、エドの遊び相手だと分かった――はナナから離れているものの、藁山に寄りかかって彼女の話を静かに聞いていた。エドのナイフは落ちた場所から拾われていなかった。
ジリアンはといえば、あれ以降一言も口をはさまなかったので、大ワシがしゃべれるなんて夢の出来事だったのではないか、とも感じさせた。しかし知性の宿った金色の目は、常に子どもたちとナナに注がれていた。
「レイモンドが言っていたのはね、どんな人の前でも誠実であれ、ことだと思うの。いくらわたしみたいな、他の人よりも大きいものにも、それが正しいと感じるのならば行動すべきよ。たくさん騎士は知らないけれど、わたしはレイモンドが一番良い騎士だって信じている」
レイモンドについて話すとき、ナナの心は高揚し饒舌になったが、同時に、彼がいまここにいないことを寂しく思った。
「どんな人でも?」
エドが訊いた。
「どんな人でも。もしかするとそれ以外も」
ナナは笑った。レイモンドならそうだ、だって自分を助けたくらいだから。
「さあ、帰ろう」
エドは唐突に言い、横になっていた姉弟をゆすった。夜もかなり深く、子供たちもナナも眠くなっていた。
「また、明日も来ていい?」
幼い弟が目をこすりながら言った。
「ええ、来てちょうだい。待ってるわ」
そして、塀に向かって帰る新しい友達の後ろ姿を見送った。