〈青い男〉のこと
この時代の高貴な人々の娯楽と言えば狩猟であり、その狩猟に付き物なのがごちそうだ。そしてごちそうには酒は絶対に必要なものだった。
まだ日が高いうちから、男たちはたき火を囲み、晩餐と良いワインの食事を思う存分楽しんだ。角杯いっぱいに赤いワインを注ぎ、空になると再びなみなみと注がれた。
最初のうちは、六人組は気分が高揚して陽気にしゃべり歌っていたが、太陽が傾き空が赤く染まるころには全員が木の根元でぐっすりと眠ってしまった。
とある男は死んだように横になり、別の男はむにゃむにゃ寝言を発し、そして金糸マントの偉そうな男は、ひどくうるさいいびきをかいている。
「どうして、自分のいびきで目覚めないのかしら」
ナナはうんざりしてつぶやいた。人間たちが楽しく過ごしている間、ナナはずっと拘束されたまま放っておかれていた。結ばれた手はしびれ、目の前にごちそうがあるのに分け前はもらえず(とても良い香りがした)、ましてや話しかけるものなどいなかったので、こうして自分自身に話しかけてなんとか気を落ち着かせようとしていた。
「きっと寝ているときって、耳が聞こえなくなるのね」
たき火は小さくくすぶる程度になり、全員が寝静まったように見えていたけれども、一人だけナナの独り言を聞いている男がいた。
〈青い男〉は杯を手にしてはいたが、唇をあてるだけで一口も飲んではいなかった。飲むような気分には到底なれなかったし、酔ったふりをして横になっていれば誰もからかおうとはしなかったからだ。ようやく仲間が全員深い眠りについたことを横目で確認すると、ゆっくりと歩いてナナのもとへ行った。
突然目の前に現れた男に驚いたナナに、男は低い声で囁いた。
「きみは人間を食べたことはないはずだ。そうだろう?」
「さあ、ニンゲンなんて聞いたことがないから、食べたことないわ。あなたはあるの?」
ナナが緊張しながら答えると、〈青い男〉は軽く笑った。
こころよい笑いだったので、つられてナナも思わず笑みを浮かべてしまった。
「まさか! 人間は僕らみたいなもののことだ。もちろん、僕らは仲間を食べることはない。いくら彼らが、まあ、多少腹立たしいと思ったとしても、喰ってやろうとは思わないな」
「あなたがニンゲンなの? ずっと〈小さな人たち〉って呼んでたわ」
「待ってくれ。僕らが小さいのではなくて、きみが大きいんだよ、お嬢さん。きみのような人を僕らは巨人と呼ぶんだ。つまりは〈大きい人たち〉だ」
「大きい? わたしから見れば、あなたはずっと小さいわ。背なんて半分しかないじゃないの。それにジリアンだってそう呼んでたんだから」
ナナはむきになって言い返したが、ふいに声が他の〈小さな人〉を起こさないか心配になった。しかしどんなに耳を澄ませても聞こえるのはいびきだけだったので、ほっと肩をなでおろした。
「彼らなら大丈夫。ぐっすり眠っているはずだから、これくらいの物音では起きはしないし、きっと明日の朝まで寝ているに違いない。だが、急がなくては」
〈青い男〉はベルトからナイフを取り出した。小さくなったたき火の光を受けて、刃がきらめいた。
ナナは体をこわばらせた。何が起こっているのか、頭が追い付いていなかった。彼はナナの味方のように思われたのに、違ったのだろうか?
「わたしは殺されるの?」
〈青い男〉の眼差しは優しく、とても生き物を殺すような雰囲気ではない。だが、赤く輝く金属を見てはそう聞かずにはいられなかった。
「このままこの場所に残っていれば、きみは王城に連れていかれ、地下牢に入れられる。我が王がきみをどうするかお決めになるだろう。殺すか生かすか、それとも見世物にするか、すべては王の手の中だ」
「なんだかすごく悪そう。どうせなら、見慣れた森を見ながら死にたいわ」
「その願いはしばらく叶えてあげられそうにない。ほら、縄を切ってあげよう」
ナイフは殺すための道具だけではない。ものを切ることだってできる。そのことをナナは忘れていた。
縄を切るのには大変時間がかかった。ナナを捉えていた縄が特別丈夫で太かったのもあるし、〈青い男〉のナイフがやたらと切れ味が悪かったのもある。ナナはいつ他の男が起きて大騒ぎにならないか、自分だけでなく助けようとしている男までつかまったりはしないかとはらはらしたが、幸運なことに何も起こらなかった。
〈青い男〉が縄の切り口を見せた。
「縄が引きちぎられたようになっているのが分かるかい? こうしておけば、誰もがみな、きみが力ずくで逃げたと思うだろう。まさか、ナイフを研がなくて良かったと思う日が来るとは!」
男はすばやくたき火から松明を作り、二人は足音を立てずにその場を離れた。そうして、うるさいいびきが聞こえなくなるくらいに十分遠くについたあとも歩き続け、あの洞穴のある大木の根本までたどり着いた。ナナは〈青い男〉に感謝の言葉を述べた。
「でも、どうして助けようと思ったの? ほかの人たちはみんな、わたしを連れて行こうとしてたのに」
ナナは疑問をぶつけると、彼は微笑んで、それからナナを木の根元に座らせた。そうやってみると、ちょうどナナと男は同じくらいの背丈になり、まっすぐに見つめられて不思議な気分になった。
ナナは今まで、これほど近くで〈小さい人〉を、つまりは人間を見たことはなかった。ジリアンは常に〈小さい人たち〉は恐ろしいといさめていたから、なんとなく、人間とは凶暴な顔立ちをしていると思っていた。だが、この男の印象は違った。
このとき、〈青い男〉は兜をかぶっておらず、松明の火に照らされて端正で親しみやすい顔があらわになっていた。髪色は濃く、肌は少しばかり日に焼けた小麦色、笑うと口元にえくぼができる。そして瞳にはどんなことがあっても曲がらないような強い意志が感じられた。
この男を好きにならないわけにはいかなかった。
「理由は、何個でも見つけられる。だが、全ての根本にあるのは僕は騎士であることだ。一体どうやって罪のないきみを囚われたまま放っておけるというのか? 他のやつらがどうであれ、僕はそんな不名誉なことはしたくない。大切なのは、他人が何を信じているかじゃない。僕が何を信じているかだ」
「でも、キシってなに?」
「お嬢さん、騎士を知らないのか? それは大変なことだ!」男は笑い、冗談っぽく大げさな態度でつづけた。「どうか、この青鷺城のサー・レイモンドに説明させてはいただけませんか?」
「アオサギジョウのサー・レイモンド? それがあなたの名前? 素敵だわ。でも、とても長いのね」
「皆はサー・レイモンドか、単にレイモンドとしか呼ばないよ。『青鷺城』は父の治める城の名前、『サー』は騎士の称号だ。それでお嬢さん、きみの名前をうかがっても?」
「ナナよ。ただのナナなのが残念だけれど」
「それではレディ・ナナ、騎士というのはあらゆる戦士の中でも最も勇敢で、誇り高く、忠義をつくし、技にすぐれ、正直で、心優しいものだ。騎士になるために、幼い頃から学問と武術に励み、十分に成長してからも従者となって仕える騎士から様々なことを学ばなくてはならない。
「しかし、単に学ぶだけでは騎士にはなれない。己が騎士の名に値するような人物であると他の人々が、つまり王や高貴な方々や騎士が判断し、叙任されて初めて『サー』を冠することができる。僕が叙任されたのは一年前だった。そのときの喜びは、いつまでも忘れることはないだろう」
レイモンドの口調は誇らしげだった。自分自身が数々の努力を積み上げて、そうして得たものを誇りにしていることがありありと感じられたし、ナナは彼を尊敬さえした。
しかし、ナナが「すべての騎士は、あなたと同じようなの?」と訊くと、レイモンドの顔は曇った。
「そうであったらいいのだが。例えば、あのサー・ヴィンセントを思い出してくれ」
「金糸マントの、やたらに偉そうな人ね。あまり好きではないわ」
ナナは急いで「ごめんなさい」と付け加えた。
「彼を好む人のほうが少ないだろう。とくにきみはひどい仕打ちをうけたわけだし。サー・ヴィンセントはある一面から見れば正直で良い男かもしれない。高貴な方々の前ではそうなんだ。彼は王の前で嘘はつかないし、騎士の前では勇敢であるように見せ、高貴なご婦人の前では心優しい。それがとびきりの美女だった場合は特に」
「でも、それってキシだと言えるのかしら?」
「僕が言いたいのはそれなんだ。僕はいかなる時、いかなる人の前でも騎士でありたい。この違いが、サー・ヴィンセントに感じる不快感なんだ。だが、これ以上仲間の悪口を言うのはやめておこう」
その後もレイモンドは様々な話をした。王国のこと、城のこと、戦いのこと。それからドラゴンの伝説に魔法使いの噂のことまで。誰でも知っているようなことさえ、ナナには初めて聞くものだった。全ての言葉の一つ一つが、ナナの心の中できらめき、形作り、美しい絵となって現れた。
ナナはその絵に魅せられた。まだ見たことのない素晴らしい世界。彼の属する世界。
「さあ、次はきみの番だ」
そう言われても、ナナは何を言えばよいのか分からなかった。レイモンドのように、輝くような経験はないし、悪口を言うような相手もいない。
「わたしは……森の中に住んでいるの。この木の根元よ」
「いつから?」レイモンドが尋ねた。
「ずっとよ。覚えている限りずっと昔から。森以外のことは分からないの」
「家族と一緒かい?」
「いいえ」
「なんだか妙な話だな」レイモンドは眉を寄せた。「家族がいないのならば、誰がきみを森につれてきたんだろう? きみの家族はどこへ行ってしまったんだ? それに一人だけでどうやって生活できたんだ?」
言われてみると、たしかに変な話だ。しかしナナがいくら昔を思い出そうとしても、最後の記憶はうっそうと茂った樫の木とシダだけだった。
「でも一人ではなかったわ。ジリアンがいたもの」
「ジリアン? 彼は巨人……つまり、ええっと、きみみたいな人かい?」
「いいえ」
「じゃあ、人間?」
「まさか。彼のことはとても説明しづらいの。私の一番最初の友達で、わたしが小さかった頃は毎日そばにいてくれたのだけど、最近は三日に一度会えるくらい。まるでころころと変わるような天気のように気まぐれだから。でも、忘れずに会いに来てくれるわ」
「少なくても、そのジリアンのおかげできみはちゃんと育ったわけだ。一つの謎は解けたよ」
レイモンドはそれ以上追及することはなかった。
「ジリアン以外の友達はいなかったから、こんな風に初めて会った人と話すのは初めて。ジリアンが最初の友達なら、あなたは二番目ね。ねえ、そう思ってもいい?」
「それは光栄なことだ」
レイモンドはにっこりと笑った。
ナナはずっと話していたかったのだが、レイモンドは戻らなくてはいけないと言った。
「また会えるかしら?」
勇気を出して、彼女は言った。せっかく友人になれたのに、立ち去ってしまうのは胸が締め付けられるような気分だった。
「ナナ」レイモンドが真面目な口調で呼んだので、ナナはどきっとした。「僕もそう望むよ。だが、明日から少なくとも三日間は、きみの捜索が続く。きっとサー・ヴィンセントはしばらく諦めないだろうから、あまりうろうろと動き回らないこと。とくに水辺に行くときは周りを確認すること。ナナ、約束してくれるかい?」
そうすると約束すると、レイモンドはそっとナナの手の甲に口づけを落とした。
驚いて動けなくなったナナは、レイモンドの後ろ姿が消えるまでずっとその場に固まったままだった。