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はじまりのこと

はじめての長編です。ゆっくり更新になりますが、よろしくお願いします。

 まだ地上がたくさんの木々に覆われていたころ、ナナは森の中に住んでいた。


 覚えている限りずっと森にいたので、森の外のこと、例えば農夫の質素な田舎暮らしや、城の王さまやお姫さまのきらびやかな舞踏会、誇り高い騎士たちがぶつかり合う激しい模擬試合、あるいは世界を旅する不思議な魔法使いや、鮮やかな帽子をかぶった手先の器用な小人たち、世界の端に住んでいるという凶暴なドラゴンのことなどは、ナナには知るすべがなかった。


 そのかわりに樫の木とシダに覆われたこの森については詳しかった。大樹の根本にある洞穴は冬でも暖かいこと、その穴から少し離れた場所にある小川は澄んで美しく、川魚がたくさん泳いでいること、食べられる木の実と食べられない木の実があること、そしてときどきやってくる〈小さな人たち〉には近づかないこと。


 〈小さな人たち〉はナナの半分くらいの大きさしかない。しかし物知りなジリアンに言わせると、「世界で一番やっかいな生き物」らしい。体は小さいのに、彼らよりもずっと大きい獲物を狩ったり、巨大な木を倒すこともできる。


 もしも〈小さな人たち〉の狩人を見かけたときは、見つからないように木の陰や岩の裏に隠れ、足音がはるか遠くに行ってしまうまでじっとして過ごさなくてはいけない。じっと動かなければ、うっそうとした森が彼女の姿を隠してくれる。

 一度、目の前でシカが追われているのをみたことがあった。〈小さな人たち〉は細長い棒や空飛ぶ棒(のちに槍と矢ということがわかった)を手に、足の速い動物に乗り(同じく、のちに馬であることがわかった)、シカを森の奥まで追い詰めていったのだ。


 恐ろしい光景だった。〈小さな人たち〉が離れてからしばらくしても動けなかった。もしも、シカではなく自分だったらどうなっていただろう? 

 ジリアンの言う通り、「世界で一番やっかいな生き物」だ。絶対に見つかってはいけない。


 しかし、その日は運が悪かった。


 ナナは毎朝起きると、空の桶を両手に持って水汲みに行く。朝日を受けてきらきらと光る小川の両岸には樫の木が生えておらず、見通しが良い。言いかえれば、この水場に来た生き物の姿は丸見えとなってしまう。


 朝早くに小川にいるのは野生動物と野鳥だけのはずだった。だから、いつものように安心して水汲みにいったのだが。


 その日、向こう岸には、銀色の服を身に着けた〈小さな人たち〉がなんと六人もいた。手にはあの「細長い棒」を持ち、隣には「足の速い動物」が水を飲んでいる。が、今まで目にした〈小さな人たち〉よりもずっと立派でずっと恐ろしい見た目だった。


 彼らは対岸から現れたナナの姿をはっきりと見ていた。同時にナナも彼らの姿をとらえた。


「巨人だ!」


 〈小さい人〉が叫んだ。


 ナナは「キョジン」とはどんな意味か知らなかったが、少なくともそれが自分を指していることだけは瞬時に理解した。彼女は桶を投げ出し、小川と反対方向に走った。後ろで水の跳ねる音が聞こえる。〈小さな人たち〉が動物に乗って川を渡っているのだ。


 今、ナナは追われるシカのように逃げていた。どこに向かっているわけでもない。ただ、追ってくる〈小さな人たち〉の恐怖から逃れたい一心だった。


 木々の間をぬって走り、枝をかき分け、矢をすんでのところでかわし、急に曲がって相手を引きはがそうとした。だが、彼らは優れた猟師だった。次の瞬間には別の場所から〈小さな人〉が現れる。まるで〈小さな人たち〉はどんな場所にも潜んでいるかのように、巧みに馬を操ってナナを森の奥まで追い詰めた。


 左から来た矢をかわしたとき、突然左足が強い力で引っ張られ、ナナは地面に転がされた。見ると、二本の木の間に縄が張られている。それにつまずいて転んだのだ。痛みをこらえながら立ち上がろうとするも、すぐさま大きな網が上から落ちてナナの手足に絡んだ。


 ナナは罠にはまってしまったのだ。逃げていると思い込んでいたのに〈小さい人たち〉は最初からこの場所に追い詰めようとしていたことを、彼女はようやく悟った。


 六人の立派な〈小さな人たち〉は槍を構え、網にかかってもがくナナを囲んだ。どの〈細長い棒〉の穂先も鋭く、一投げすれば心臓まで楽に届きそうだった。力も武器もある〈小さな人たち〉に対してナナは疲れ切り、息は荒く、左足には酷く痛みを感じていた。彼女はうずくまって、命を奪う一撃が来るのを待った。


「逃げられると思ったか、巨人め」


 〈小さな人たち〉の中でもひときわ立派で偉そうな恰好の男が言った。装飾の入った鎧と兜はきれいに磨かれ、その上から金糸で刺しゅうされたマントが体の周りではためいている。


 だが、尊大な態度は好きになれなかった。


「何人の人間を食らったのか、おまえは覚えていないだろう。だがついに我らは復讐を果たす時が来たのだ」


「なんの話なの? わたしはニンゲンなんて知らないし、食べたこともないわ」


 ナナは困惑して答えた。


「嘘つきめ!」立派な恰好の男は怒鳴った。「巨人が人間を好んで食べることは誰でも知っておるわ」


「わたしは知らないわ。信じて。」


 ジリアンは森の中で見つけられる食べ物を全て知っており、それらを丁寧にナナに教えた。その中に「ニンゲン」なんてない。


「待ってくれ、サー・ヴィンセント」


 別の〈小さな人〉が口をはさんで、馬から降りた。彼は若い男で、鎖帷子の上から鮮やかな青のサーコートを身に着け、年季の入った剣を携えていた。彼がナナの近くにひざまずくと、服と同じくらい青い瞳がナナを見つめた。


 男は小さく息をのんだ。


「女の子じゃないか!」


 立派な恰好の〈小さな人〉が嘲笑った。


「それがどうした。我らの王から仰せつかったのは、森にすむ邪悪な生き物を生け捕りにすることではないのかね? 巨人は男でも女でも邪悪に違いない」


「だが同時に我らは騎士だ」男が言い返した。「騎士はいつでもか弱い女性を無実の罪からまもらねばならない」


「か弱い女性だと? サー・レイモンド、おまえはか弱い女性と言ったのかね。さあ見ろ、こいつが助けをもとめる貴婦人のように見えるか?」


 周りにいたほかの〈小さな人たち〉がざわめいた。どうやら笑っているようだが、気持ちの良い笑いではない。


「彼女は知らないと言っているじゃないか。それを聞く価値はあるはずだ。」


「レイモンド、人殺しがあっさり罪を認めるのを見たことがあるか? 誰しも始めは否定するが、最終的には認める。だから最初の言葉を信じてはならん。もっといえば、こいつは人間ではない。さらに信用ならんぞ」


 若い男は反論しようと口を開いたが、誰かがそれを遮った。


「そのうちこの誠実なるサー・レイモンドは雌シカをも守るようになるかもしれんぞ。守るべき婦人だといってな」


 そう言われると、若い男の頬は真っ赤になり、それ以降一言もしゃべらなくなった。


 ナナは「キシ」とか「キフジン」とかいう不思議な言葉の意味はさっぱりだったけれど、〈青い男〉(服と瞳の色から、ナナは頭の中でそう呼び始めた)は正しいことを言っているではないかしらと思った。彼女が人を襲うような危険人物でないのは確かである。理由はどうであれ、彼女をかばってくれる若い男が仲間からからかわれてるのは見るに堪えなかった。もちろん、敵であるはずの〈小さな人〉を憐れむのはおかしい話であったけれども。


 六人の〈小さな人たち〉はナナの両手を縄で縛り、森の中を歩かせた。左足に体重をかけるたびに痛みを感じるために、ナナはぴょこぴょこと歩かなくてはいけなくなった。〈小さな人たち〉はしばしばそれを笑った。


 しばらくして彼らの野営地につくと、ナナを太い木の幹にしばりつけてから、〈小さな人たち〉は喜びの声を上げ、夕食の準備に取り掛かった――パン、巨大なハム、朝に仕留めたのであろう猪の丸焼き、そしてワイン一樽も用意された。


 青い男だけが、その宴を楽しんでいるようには見えなかった。

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