▶リビルド:猫耳尻尾つきになった僕と姉の拡張世界
本作は連載化いたしました。
拡張世界のクリティカル。姉とはじめる現代ふぁんたじー。
https://ncode.syosetu.com/n4675em/
デバイスというものがあり、これはゲームを楽しむための端末だ。
ブレスレットのように手首につけ、そして拡張現実という世界で遊ぶことができる。
拡張現実というものは、文字そのままに現実をほんの少しだけ拡張すること。
分かりづらいかもしれないので、説明するよりまず先に、実際試したほうが良いだろう。
学校から帰り、宿題を終えた僕はタブレットを起動する。
宿題をまず終えないと塾に行かされかねないし、成績が悪ければゲームを取り上げられてしまうので仕方無い。
表示された幾つものアプリ、そのうちの一つ「リビルド」をクリックすると、世界はほんの少しだけ拡張をしてくれる。
姉から借りたヘッドセットをつけ、そして起動をすると周囲の光景がそのままに広がった。この場合、僕の部屋であり勉強机には終えたばかりの宿題が転がっている。
先ほどのブレスレットに触れると、タッチに応じてポンと軽快な音が響く。
イヤホンをつけているの現実世界の音は静まる。BGMも選べるけれど、僕は無音のほうが好きかなぁ。
さて、ロードを挟むと本格的にゲームは始まった。
僕の部屋は七色に光る演出を見せたあと、一段下の世界へ落ちるよう、すうっと自然落下をしてゆく。
世界は暗転をし、試しに下を見てみると、背中を下に自然落下をする身体が見える。元から細めの手足はより華奢になり、服装もまた変わる。袖の広がった白いシャツには刺繍が多くあり、前をボタンで留めている。
腰につけたコルセットは左右と後ろに黒い布を広げており、スカートのような形になっているけど中にはショートパンツを履いていた。
見た目は年端もいかない少女で、外見も服装も僕が選んだものではない。これは姉のアカウントを使っているからで、僕はまだアルバイトを許されていないので仕方無い。
ぎゃっ!と、耳元で鳥が鳴いた。
先ほどまでの部屋は様変わりをし、後方のベッドがあった場所は大きな鳥の巣に変わり、四方を樹木に囲まれていた。
羽ばたく鳥を目で追うと、頭上にはどこまで続いているのか分からない高さがあった。どうやら大樹のうろの中で僕は生まれたらしい。
実際に己の足で歩いてみる。正面にある大きな穴には光が差し込んでおり、近づくと高い段差の向こうに草原がひろがっている。周囲には同じような樹木が生えていて、幾重もの枝葉に覆われているため日も暗い。
このように、現実世界をほんのすこしだけ変えているのが拡張現実というものだ。もちろんこのまま外にも出れるし、うちのあたりはそう車通りも多くは無いので、気をつけながらなら普段と異なる散歩も楽しめる。
「ただ、危ないから学校に禁じられているんだよねぇ」
本当はもっと幻想世界というものを満喫したいけれど、大人たちはそこまで寛容ではない。実際に都会のほうでは事故を起こしたこともあるし、心配になる気持ちも分かるから僕は何も言えないけれど。
広場まで行けばモンスターもいるらしい。
それがとてもリアルで、また実際に歩いているから臨場感もすごいという評判を聞く。しかし先程言ったよう危険なので、せいぜい庭先にやってきた小型のモンスターを相手にするくらいだ。
と、草原を見下ろしていると、こちらに歩いてくる一人の女性がいた。
黒い髪と白い肌のコントラスト差が強く、真っ直ぐ腰まで生やしている。頭についている猫耳も同色であり、その魅惑的な瞳がこちらを見上げて小さく手を振ってきた。
「ナツ、ただいま。もう宿題は終わった?」
「おかえりなさい、フユ姉。もちろん終わったけれど、今日は一緒に遊べるの?」
もちろん、と彼女から笑われた。
この映像ももちろん拡張現実で、彼女の姿は普段のものとまるで異なる。ゲームの中で設定をした外見を僕は見ており、こうしてヘッドセットを外して見ると……そこには冬の制服、そしておさげの髪型、眼鏡をつけた優等生風の姉が立っている。
背中に背負った袋には、剣道部の竹刀でも入っているのだろう。
僕らは二階建ての家に住んでおり、庭は少々広めだ。といっても東京の端っこにある田舎であり、土地が余っているからに過ぎない。
目の前の畑は親が趣味で栽培をしているもので、右手には農家の管理している栗林、その先には山が広がっているため、ときどき猪が来てしまう。
そういうわけで、都内の人よりもずっと広いスペースで、僕らは拡張現実を楽しめる。移動可能な範囲は親が定めるため、車の通る道はすべて移動不可だ。もちろん畑に入ってもいけない。
中学生になってから、姉とはあまり話さなくなった。
姉は女性の友達ができ、僕にも男性の友達ができたから。でも二人ともゲームが好きなので、この拡張現実のおかげでまた一緒に遊ぶようになれた。
ジャージに着替え終えた姉も、より高級機種のヘッドセットをつけ、がちゃりと部屋から出てくる。
「行こっか、ナツ。あんたさ、レベルいくつだっけ」
「まだ5だよ。あー、はやく自分のヘッドセットとアカウントが欲しいな」
少女の外見、それも姉の趣味が入った見た目だ。
僕は白い髪と褐色の肌、そしてフユ姉は黒い髪と白い肌、などという一緒にいると正反対ではあるけれど良く似ている。
頭についた猫耳も、お尻についた尻尾も彼女の趣味で、もし色が同じだったなら遠目だと違いが分からないだろう。
「私は自分で作ったキャラが動いてるみたいで、最初は感動したけどな。ボイスチェンジャーもあるから、こっちには少女の可愛いらしい声で聞こえるし」
「え、そんな機能があったの!? ……なんか嫌だな、僕の声まで変わるなんて。というかフユ姉って、まさかそっちの趣味でもあったの?」
そう尋ねると、意味深に彼女はにんまりと笑った。
もしそこまで変えてしまったら、もう拡張現実じゃなくて再構築だよ。などと口に出さず文句を言う。なんといってもヘッドセットを借りているのだし、機嫌を損ねたら大変だ。
さて、靴を履いてから玄関を出ると、姉はポッケから取り出した鍵で閉じる。もちろん鍵も玄関も幻想的な姿をしており、ファンタジー感を楽しめる。
「ん、不思議だな。どうしてこういう世界なら、胸がわくわくするんだろう」
「決まってるでしょ。日本が地味すぎるし、こういうキラキラした世界なら歩いているだけで楽しいわ。実際は車が排気ガスを出していてもね」
そうか、現実世界には夢が足りなすぎるのか、と僕は思う。
きっと製作者は世界を拡張したかったんだと思う。夢のある世界を生み出して、世界を綺麗にしたかった。
「それが事故を引き起こし、規制しなければいけなくなったんだから、製作者も苦悩しただろうね」
「ま、仕方無いんじゃない? ゲームはルールを守って遊ぶものだしさ。でも、拡張世界のとき、ナツがたくさん話してくれるから嬉しいけど」
あれ、僕はそこまで会話をしてなかったっけ?
そう思いながら振り返ると、フユ姉のすぐ後ろからモンスターが迫っていた。
姿は、より人型に近い猿といったところ。
獣らしく鋭い牙を持ち、手には棍棒を持っている。あまり音を立てずに近づくため、僕も何度か倒されたことのある相手だ。
すっと右手を持ち上げて、それからブレスレットをなでる。
僕の指先には炎が燃え盛り、静かに「奔れ」と命じると、しゃがみこんだ姉の頭上を抜けて突き刺さる。
どう、と毛むくじゃらのおかで上半身が燃え、それから姉による腰だめの一刀が両足を引き裂く。
「わ、振りが早い! ゲームより現実のほうで腕を上げた?」
「当然。そのために剣道部に入ったんだから。とりあえずナツのレベル上げたいから、どんどん攻撃して」
そう命じられるまま、僕は先程の炎を幾つか放つ。
これは魔術師という職業で、割と選択する者も多い。理由はとても簡単で、挙動がとっても少ないから。
もし周囲から見たら、何も無い空間で動き回っているように見えるため……要は恥ずかしいのだ。そのため先ほどの「奔れ」というのは、なるべく小さい声にしている。
そう考えるとゲーマーの姉は、恥ずかしがらずに身体を動かしているのだから本物だと思う。現実にはジャージ姿で竹刀を振り回しているわけだけど、僕の視界では黒髪の猫耳美女が見事に立ち回る姿へと拡張現実されている。
モンスターは最初に両足を切られていたせいで動けず、数発の魔法を放つうちに息絶えた。パン!とポリゴンは弾け、何事もなかったよう森に静寂は戻る。
ほっと安堵の息を吐いていると、フユ姉は不満気な声を漏らした。
「ああ、手応えがあれば最高なのに! もったいない、実にもったいない! そうしたら完璧なゲームになれたのがもったいない!」
「え、だってそんなの理屈的に無理じゃない? ええと、物理的に」
「……あんた、中学のくせに意外と難しい言葉を知ってるのね。ま、私も猫をかぶってるから学校では優等生だけど」
弟だから知ってるよ、あえて野暮ったい眼鏡とおさげをしてるけど、そういうキャラを演じてるってことは。
とはいえ、姉の本性は拡張現実でこそ現れるというのは少し不思議だ。
「もし手応えがあったら嬉しいけど、殴られて痛いのは嫌だな」
「あ、そっちは私もいらないわ。夢を見させるのがこのゲームの良いところなんだから。あ、ちょっとステータス見せて?」
ぱしっと手首を握られて、その温かい手にブレスレットを引き寄せられる。
起動の言葉をつぶやくと、空中に四角い画面が浮き上がった。
「……知性が高い。適当に選んだ職業みたいだったけど、あんたに合ってるのかも。やっぱり優等生で通ってる?」
「通ってる。そこはフユ姉と同じ血だなと思うしか無いね」
肩をすくめて笑うと、姉も楽しげに吹き出した。
それが落ち着くと、先導するよう姉は歩き出す。
「やっぱさ、弟と話せるって良いね。ナツに男友達が出来てから、なんか玩具を取り上げられた気になったし。見た目も猫耳美少女で得した気になれるし」
「……それはフユ姉の趣味だから。でも、姉さんのほうが先に女友だちと仲良くなってた気もするんだけど」
そうだっけ、と笑われた。
あまり細かいことを気にしないのが女性だと分かっているけれど、それは「自分に都合の良いときに限る」という事も知っている。
「でも、こんな生活も今日でおしまいか。なんか寂しいね」
「えっ…………どういう意味?」
「あれ、知らなかったの? このゲームは危険だって何度もニュースでやってたでしょう? そろそろ運営できない会員数になったから、今日でもうおしまい」
寂しいねと囁かれ、思っていた以上に僕はショックを受けた。
まだたったのレベル5で、遊び始めて日も浅いのに。それよりも姉との会話は案外と楽しく、先ほどの会話の流れもあってまた疎遠になってしまうのではと思う。
寂しかった。
思わず足を止めてしまうほどで、数歩ほど歩いた姉は怪訝そうに振り返る。
「わ、ちょっと、こんなとこで泣くなんて!」
「え? いや、実際に泣いてるわけじゃ……ああ、感情を読んでるのか。こんなのまで拡張されるなんて」
このゲームのユニークなところは、感情を読み取ることだと思う。
そのせいで大粒の涙を流してゆく映像が流れ、慌てて姉が駆けてくる。こんなことは決して現実では有り得ないだろうけど――その腕に抱かれてしまった。
「もう、あんたは昔っから泣き虫なんだから。ゲームが無くても私たちは姉弟なんだから、嫌でも毎日顔を合わせんのよ? 同じ高校にでも来たら、もっと大変になるからね」
「だから本当に泣いてるわけじゃ無いんだけど……」
ちょっとね、はたから見たら変な光景だったと思うよ。
畑のそばで、ジャージ姿で竹刀を持った姉から、なぐさめられるよう抱きしめられていたなんて。
でもこのとき、ほんの少しだけ僕は救われた気がした。
かちんと電球を落とすと、豆電球を残すだけになった。
いつもの光景ではあるけれど、今夜だけはそれが異なる。
紐の先にあるのは豆電球ではなくランプの灯りであり、隣に寝転ぶ姉は黒髪で猫耳付きのキャラクターだ。
ぴこぴこと耳は動き、そして不機嫌そうに姉は唇をとがらせる。
「いいこと、母さんに言ったら怒るからね。あんたと一緒に布団で寝たことがバレたら、きっと父さんにまで笑われるんだから」
「分かってるよ。それに一緒に寝ようと行ったのはフユ姉なのに。おまけにヘッドセットを付けたままで」
「いいの、高かったんだから最後の瞬間まで味あわないともったいないんだし」
ああ、それは確かに姉の気持ちは分かる。アルバイトをして高価な物を2つも用意したのだから。
だいぶ前、古い方をくれると言ってくれたことを思い出す。
その時は興味があまり無かったけれど、夕方の会話を思い出すと――ひょっとしたら僕と遊びたかったのかもしれない。
さすがにそれを聞くことは出来ないし、今夜は拡張現実を楽しみながら眠りにつきたい。
そう思い、楽しげに尻尾を揺らす姉と共に夜遅くまで話をした。
もしこのままゲームが続いていたら、田舎へキャンプに行きたかったらしい。
広い場所でのびのびと遊び、そしてレベルアップを楽しみたいのだと。それは確かに楽しそうで、もし終わりを迎えなければ僕も行きたかった。
地域によってモンスターは変わり、なかには希少なドラゴンを見たという報告もあったらしい。山のように大きく、自分はなんて小さいのだろうと感じたそうだ。
暗闇のなか、姉と一緒にタブレットを覗きこむ。
すると僕らの他にもたくさんの人達が嘆いていた。
さようなら、拡張現実よ。
いつか有志の手で再建を。
などという書き込みがたくさんあった。
もしもこの世界を知らなければ何でもない事だろうけど、今は同じ気持ちだ。
彼らも同じように夜の0時までヘッドセットをつけ、拡張された世界を見ながら眠りにつくらしい。
そうそう、他の人の楽しいエピソードもあって、このゲームを通じて結婚した人もいたというのだから驚かされる。まさかそこまで拡張する事があるなんてと、もう遅い時間なのに姉と一緒に笑ってしまった。
ただ、こうしてフユ姉と楽しい時間を過ごせたのだから、彼らの気持ちもよく分かる。
現実世界にはどうしても夢の要素が足りないのだと、僕らはもう知ってしまったのだから。
だんだんと姉の言葉数は少なくなり、その理由にしばらくして気がついた。もう時計は0時を差すころで、拡張された世界は現実に変わることを伝えていた。
「ちょっと寂しいな。ナツの外見、すごく気に入ってたのに」
「だからこれは僕の趣味じゃないのに……ただまあ、猫耳姿のフユ姉を見れなくなるのは、ちょっと寂しいね」
「あ、10秒前だ。あーー、もったいない、半年くらいモデリングしてたのになぁーー……5、4、3……」
きゅっと布団の中で手を握られた。
もう冬も近く、それでも姉の手は温かい。
気恥ずかしいけれど、同じくらいの力で握り返した。多分そのほうが良いだろうと思ったからだ。
――ゼロ。
そう僕らは同時に呟き、拡張された世界は消えてしまう。
そのはずだった。
しかしヘッドセットの画面には、見慣れない文字が現れてしまう。
▶ リビルド?
しばし、フユ姉と僕は息を飲み、見慣れぬ文字を凝視した。