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私立叢雲学園怪奇事件簿【第二部 魄王丸編】  作者: 来栖らいか
【第七章 激動】
41/42

〔4〕

 優樹の肩に掛けた掌から、力強い意志が伝わってくる。その力は心臓に、内臓に流れ込み、脊髄を伝って脳内に達した。

 音の無い、真っ白な世界に浮いている感覚。

 指先の僅かな熱と痺れを頼りに、かろうじて身体の存在を失わずにいられた。

 力に飲み込まれては、ダメだ。

 意識を集中すると、白く輝く光の先に何かが見えた。

 正体を見極めようと目凝らした途端、現実に引き戻された。凄まじい風に足下を取られそうになり、轟音が頭に流れ込む。

 あれは、優樹の心象風景なのだろうか?

 奥深くに、強い存在を放つモノの正体……。

 いや、いまは考えている時間など無い。目の前の現実を、解決するのが先だ。

 遼は冷静に状況を観察した。

 美月が倒れた所為か、高波と黒い霧は少し勢いを失っている。しかし数分後には岸まで到達し、『魄王丸』でも止めることが敵わないだろう。

 岸辺の轟木、冬也、優樹、そして自分が餌食となれば、ペンションにいる杏子や他の友人知人の命は無い……。

 優樹の思考が、手に取るように伝わってきた。先に高波を打ち消した方法で、戦うつもりだ。

「だめだ、それではキリが無い。君の気力が持たないよ。本体を潰すんだ」

「本体……?」

 正面を見据えたまま、優樹が問い返す。

「『秋月島』に、集中するんだ。君には視えるはずだ、『蜻蛉鬼』の本体が」

 遼は優樹の感覚を通して視た。美奈姫が囚われていた洞窟の奧、割れた地面から這い出そうとしている、おぞましい悪意。

 島を覆っているのは、影にすぎない。本体は、ここに在る。

「どうすれば、ヤツを潰せる? 風や水では太刀打ちできそうに無い」

 優樹が呻くと、轟木が応じた。 

「洞窟を水で満たし、雷を撃て。我も手を貸す」

「……解った」

 岸に迫る高波が、立ち上がった姿のまま動きを止めた。そして島に向かい逆流する。

 止める、でもなく、消すでも無い。逆流した波が島に押し寄せた。

 黒雲の中に、ひときわ強く輝く三本の閃光。

 収束し、楔となって『秋月島』を貫いた煌めく光は湖面を叩き、突風が捲き起こる。

「……!」

 光の矢が起こした現象に、遼は目を見開いた。

『蜻蛉鬼』を宿す高波の前に、輝く三本の水柱が起ち上がったのだ。水柱の中心には、何かがいた。紅、黒、白の色を伴う巨大な影。

「蛇……? いや違う、あれは……!」

 他の者ならば、竜巻が起こした水柱のように見えただろう。だが遼には、明瞭に識別することが出来た。

 多方向に分岐した二本の角を戴き、長い口髭とたなびく鬣。長い肢体は鱗に覆われ、四肢に鋭い鈎爪を持つ。

「龍……!」

 三体の龍は捻れるように絡まり合うと、一つになり天を突いた。雷光が緋色の空を二つに分け、目のくらむ光に襲われた遼は思わず目を閉じる。

 ぴしり、と鼓膜が裂ける音を聞き、音のない世界が訪れた。が、次の瞬間。

『……ッシャアアアッ!』

 おぞましい雄叫びを聞き、遼は細く目を開く。

「あっ!」

 湖面を二つに引き裂き現れた、一体の龍。蒼白く輝く、その神聖かつ優美な姿を目の当たりにして遼の肌は粟だった。

 龍は、しなやかに身をくねらせ天に向かって咆吼した。しかし、その叫びは大気を震撼させる波動だった。

 波動が、高波を分解し消失させていく。渦巻く風が、緋色の雲と黒い霞のような蟲を取り込んでいった。

 分断された黒い影は、狂ったようにもがき、のたうちながら断末魔の叫びを上げる。

『……ッシヤァアアッ……!』

 蟲と共に、黒い影もまた風に取り込まれ天に呑まれていった。その後を追うように龍が空高く舞い昇ると、立て続けに雷鳴が轟く。

 突然、暗雲が凄まじい速さで空を覆い尽くし、遼の頬に冷たい物が当たった。

「……雨?」

 滝のような雨が、激しい勢いで大地に、湖に、降り注ぐ。

 溢れんばかりに水かさを増した湖は荒れ、波立った。だが高くうねる波は、決して岸まで打ち寄せては来ない。湖水は底から撹拌されるかのように渦巻き、不快な紅い色が薄くなると共に本来の色を取り戻していった。

 時間が経つにつれ、うねりは緩やかな波となり岸に波紋を残す。それに伴い、雨の勢いが弱まり、雲間に僅かな光が射した。

 光のベールが、暗い影に覆われていた山と湖から徐々に色を取り戻していく。そして初夏の緑と、エメラルドグリーンの美しい湖の姿が現れた。

 赤銅色のクマザサと、足下に落ちている鉈。そして美月の黒く長いままの髪を確認しなければ、いま起きた出来事すべてが信じられない。

 ゆらりと、優樹の身体が傾いた。

「優樹!」

 咄嗟に抱き止めた遼は、ゆっくりと優樹の身体を砂地に横たえた。

 顔色は青白く、唇に血の気はない。濡れて額に張り付いた髪を掻き上げ手を添えると、冷たかった。

「優樹……優樹……っ!」

 呼びかけてみても、反応がない。駆け寄って来た轟木が傍らに膝を突くと、優樹の胸に手をかざした。

「案ずるな……憔悴してはいるが、命に別状はない」

 遼が顔を近づけると、かすかに優樹の息遣いを感じることが出来た。首元を探り、力強い脈を確認してようやく安堵の息を吐く。

「この者の精神と身体は、よほど頑丈に出来ているらしいな……だがあの女は……」

 苦笑して立ち上がった轟木を、遼は睨め上げた。

「優樹は、美月さんの命を奪わなかった」

「……そうだ。だがそれは、現世にて己の罪を恐れ、血を吐きながら生きねばならぬと言う事だ。ならばいっそ、ひと思いに……!」

 絞り出すように呟いた轟木は、握る拳を震わせて優樹を見据えた。

 その苦しげな様子に、遼は疑問を持つ。切り捨てるように「殺せ」と言いながら、どこかで断ち切れずにいる想いがある、そんな気がするのだ。

「『魄王丸』は、美那姫を……」

 考えついた先を言葉にしようとした時だった。

「すまぬ……魄王丸」

 柔らかな女性の声に顔を上げると、轟木の背後に美月を抱いた冬也が立っていた。美月は冬也の手から降りて歩み寄ると、そっと轟木の手を取った。

「私の心が弱かった為に……そなたに辛い思いを強いてしまった」

 目を見開き、轟木は美月を見つめた。だが、すぐに顔を俯ける。

「美那殿は、誰も恨んではいなかった……。死が訪れる、その時まで祈り続けた姿は慈悲深く美しかった。故に『蜻蛉鬼』に操られし所業は未来永劫、美奈殿を苦しめ続けるでしょう。我の力が足らず、貴女を救う事が出来なかった……」

 顔を上げることなく肩を震わす轟木に、これまでの居丈高な姿は微塵も無かった。本来の美那の魂を前に、畏怖とも敬愛とも思われる姿を現している。

「我が罪に、そなたが責を負わずとも良いのです……感謝しています、魄王丸」

 美月が轟木の肩を抱く。すると一瞬、美しい姫君と黄金の鬣を持つ白い獣の神々しい姿が目の前に浮かび上がった。

 それを見た遼は確信を持つ。安らかな表情でこうべを預けている『魄王丸』は、美那姫を愛していたに違いない。

 美月は、そっと轟木から離れ冬也に向き直った。

「兄上……どうぞ、お許し下さい……私は……」

「美那……寧ろ責は私にある。もう何も言うな」

 硬い表情で冬也が頷くと、美月の頬に涙が落ちた。

 静かに目を閉じ、両手を合わせた美月が唱える悲しい祈りが、静寂の中に胸を締め付ける旋律となって流れる。やがて美月は、眠るように地に伏した。

「美月……」

 跪いて冬也が、美月の身体を抱きしめた。押し殺した嗚咽を漏らす背に、差し伸ばされた轟木の手が宙で止まる.。

「美月さんは……過去の人格のまま生きていくんですか?」

 遼の問いに頭を振り、轟木は手を握りしめた。

「恐らく、それは無かろう。美月の身体と精神は強くない、傷が癒え目覚める時がいつかは解らぬが、美那殿は……」

 向けられた顔が、苦渋に歪む。

「天界にも冥界にも行けず、苦界で永遠の時を彷徨い続けねばならぬ……その魂が救われる事は決してない。美月とて、現世に生きるは辛さのみ。美那の魂を宿したまま美月を殺せば、何も解らぬまま二人の魂を滅する事が出来たのだ。篠宮優樹のした事は、苦しみから解き放たれぬ二つの魂を生んだにすぎない」

「それは違う」

 言い放った遼に、轟木が訝しむ目を向けた。

「邪念に取り込まれたまま消える方が、救われないと思う。苦しくても、二人は存在し続ける事を望むでしょう。心から愛して救おうとしてくれた冬也さんや、魄王丸……貴方の為に」

「くだらぬ感傷だな……だが……」

 言葉を次がずに、轟木は背を向けた。

 続く言葉が何処にあるのか、遼には解らない。それでも、優樹が守りたかったものを伝えられたと信じたかった。

 湖面を、初夏の風が吹き渡った。

「う……んっ……」

 優樹が上体を起こし、頭を振る。そして遼に目を留めると、爽やかに笑った。

「よかった……遼、無事だったんだな」

「……馬鹿だな、君は」

 それはこっちの台詞だと、胸に呟きながら込み上げてきたものを拳で拭う。

 誰かを想うが為に戦い、生き続ける事で想いに応える……。

 人が人であり続ける理由がそこにあると、優樹は信じて生きている。人としての存在の重さを、自ら捨てる事も、他者が決める事もあってはならない。優樹の守りたい物、願い、祈り、それはきっと美月にも美那の魂にも届いているはずだった。

 冬也と、おそらく『魄王丸』にも……。

 気付けば西に傾いた太陽が、尾根に細くたなびく叢雲を黄金色に染めていた。

 茜色の空は夜の帳を映す濃紺色と混ざり合い、美しい文様を描き出す。

 一筋のはぐれ雲が、細く風に流されて夕闇に呑まれていった。それが宙へと還る龍に思えて、遼は優樹に目を向ける。

 優樹もまた、無言で空を見つめていた。

 力の正体は、まだ解明できていない。しかし目を逸らさずに向き合うと、優樹は決めたのだ。

 それが何をもたらすのか、遼にはまだ解らない。

 ただ力になれると、自分を信じるだけだった。

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