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私立叢雲学園怪奇事件簿【第二部 魄王丸編】  作者: 来栖らいか
【第七章 激動】
40/42

〔3〕

「させるかっ!」

 岩を蹴った優樹は地に足が届くより早く、美月の首を目掛けて手刀を振り下ろした。

 美月はそれを二の腕で防ぎ、下方から鉈で薙ぎ払う。優樹の肩口が裂け、血しぶきが頬に散った。

「優樹っ!」

 遼の声に優樹は、ちらりと目線を送り余裕の笑みを浮かべた。

 だが、遼の背は凍りつく。あれは人間の眼ではない、獲物を狙う獣の眼だ。

 優樹はまた、暴力に支配されつつあるのか。

 舞を舞うように長い黒髪を美しく散らし、美月は手にした鉈を閃かせた。しかし肉食獣の俊敏さでかわしながら優樹は、間合いを計り止めを刺す機会を狙っている。

 岸まで後退した美月が真一文字に払った鉈を驚くほどの高さで跳び超え、宙で長身を翻した優樹はついに美月の後ろを捕った。美月の右脇に腕を入れて鉈の動きを封じ、左腕が喉を締め上げる。

「離せぇっ! っ……ううっ! ぉおお……ぅっ!」

 鬼面のごとく目を剥き眉をつり上げた美月が、人とは思えない奇怪な声で咆吼した。しかし、いかに足掻こうとも抑え込んだ優樹の手から逃れることが出来なかった。

 ぎり、と締め上げた優樹の腕が美月を宙に浮かせる。

 ぎくり、と生木を折るような音が響き、美月の身体から力が抜けた。

「……!」

 美月の身体を抱いた優樹に、遼は蟲にかまわず駆け寄った。静かに顔を上げた優樹の瞳は、穏やかさを取り戻している。

「心配するな、遼。美月さんは気を失っているだけだ。肩の骨を外したから、気が付いても暫くは動けないよ。だけど……まだ終わっていない」

 優樹が目を向けた先には、強大な高波が迫りつつあった。まるで生き物のようにうねり、ゆっくりと、だが確実に近付いてくる。

 その高波の向こうに、黒く蠢く影を遼は見た。大きく顎の裂けた鎌首をもたげ、長く巨大な蛇のごとくのたう化け物を……。

 遼から見た目算でも、ゆうに三十メートルを超える巨体は、マゴタロウムシの姿そのものだった。羽化したヘビトンボが黒い霧となって、高波を取り巻いていく。

「『蜻蛉鬼』の本体が来る……」

 呟いた遼に頷き、優樹は美月を岩の上に横たえた。

「あいつを消さない限り、俺たちは助からない……俺の全てを掛けてでも、止めてみせる。でも……」

 顔を俯け優樹は、自らの両手を見つめた。そして、抑え込んだ時に美月が取り落とした鉈を足下から拾い上げる。

「おまえには解っているはずだよな、遼。美月さんと戦っている時、俺は力を抑えることに必死だった。本気になればなるほど、身体が熱くなって暴力の衝動を抑えられなくなる。だから……」

 遼の手に、鉈が押しつけられた。鈍く光るそれは、まだ乾かない優樹の血で濡れていた。

「俺が自分を失ったら、この鉈で首を狩ってでも止めてくれ」

 そう言って優樹は、空いている方の手で耳の下を押さえた。

「ココを狙え。自分を失ったとしても、何があろうと、おまえには手を出さない。必ず止める。だから誰かに危害を加える前に、おまえなら多分……」

「ふざけるなっ!」

 思い切り優樹の手を叩き払うと、鉈は弧を描いて跳び砂地にめり込んだ。

「君が君でなくなることを、僕は許さない。君は戦えるはずだ、その強さがあると僕は信じている。約束したじゃないか、二度と力に支配されないって! 誰も泣かせない、傷つけない、そう言ったじゃないか!」

「遼……」

「僕がいる、大丈夫だ」

 顔を上げ、優樹は遼を見つめた。

 その瞳に小さく青い炎が揺らめき、冷たい風が遼の足下を駈けた。

 風は腐った空気を払拭し、動きを止めていた蟲を巻き上げる。すると蟲は中空で灰色に変色し、砕けて塵となっていった。

 灰燼の舞う中、腕で顔を覆いながら轟木が呟く。

「ようやく扱えるようになったか……手間の掛かる奴等だ」

 轟木を一瞥して優樹は、遼に背を向ける。

「頼む……遼、俺を支えてくれ。一人で立っている自信がない」

「わかった」

 遼は優樹の肩を、両の手でしっかりと掴む。

 途端、全身の総毛が起ち、血流が足下から頭に向かって逆流した。こめかみを、射すような痛みが貫く。

 しかしそれは、一瞬の間だった。

 痛みと不快感は消失し、暖かな心地良い感覚が全身を満たしていく。優樹も同じ感覚を得たのだろう、振り向いた顔に動揺が伺えた。

「不思議だ……今まで腹の底で渦巻いていた塊が治まっていく。おまえ以外の誰かが、足下を支えているようで気持ちが落ち着いていくんだ」

 遼もまた、不思議な気分だった。優樹が感じる流れを、感じることが出来る。

 いま自分は、冬の海に渦巻く荒波を受け止め、打ち消す防波堤だ。勢いを逃し、力の方向を導き変える。

「優樹、時間がない」

「……ああ」

 遼が声を掛けると優樹は、大きく息を吸い腕を上げた。

 赤黒く変色した空に、幾筋もの線条光が駈けた。帯電した大気が、ぴりぴりと皮膚を灼く。それは、真夏の太陽光に灼かれる痛みに似ていた。

 湖を囲んだ山の稜線に黒い雲が湧き、青白い閃光が走る。鼓膜を裂く雷鳴。

 稲妻に縁取られた黒雲は、瞬く間に秋月湖の上空に渦を巻いた。

「俺は負けない……全部、守ってみせる」

 肩越しに優樹は、遼に笑顔を向けた。

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