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私立叢雲学園怪奇事件簿【第二部 魄王丸編】  作者: 来栖らいか
【第六章 修羅】
37/42

〔6〕

 秋本遼の呟きを聞き、篠宮優樹がボートから身を乗り出した。冬也とアキラも遼が指さす方向に目を向けたが、轟木だけは動かず悪態を付く。

「さっさとあの女を殺せ、篠宮優樹」

「言ったはずだ、それは出来ないって」

 振り向いた優樹の視線が、轟木を刺した。

「腑抜け……がっ! もはや手遅れだ、後悔する事になるぞ。口惜しい……我に力さえあれば、あの女を……」

 眉根を寄せた轟木が、濁した言葉尻を遼は逃がさなかった。

 美月にはまだ、他の要因が隠されている。

 それが解らないままでは、優樹が不利だ。

「美月さんの死を……『魄王丸』は望んでいない。違いますか、轟木先輩」

 轟木の表情が強ばり、黄金色の焔を宿す瞳が遼を射抜く。

 しかし、つと顔を背けた途端、暗く変色した湖の色が眼鏡に反射し表情が解らなくなった。

「あの女は……美月には、美那の魂が転生しているのだ。そして怨念の源は……」

 遼は言葉を失った。そんな事があるのだろうか? 

 数々の怪異を目にしてきたが、胸に去来した疑問が解決できない。

 戦国時代の姫君が転生したのなら、『蜻蛉鬼』を憎みこそすれ、その復活に荷担する事などあり得ないはずだ。

 過去に、怨念の源となる何が起こったというのか。

「よせっ、美月っ!」

 轟木の言葉を待つ遼に突然、冬也の叫びが届いた。

 青ざめた顔でコクピットに半立ちになった冬也と、同じものを目にして遼は愕然とする。

 大きさ二の腕ほどの木像を、美月が高々と頭上に掲げていた。

 右手に握られ鈍い光を放つものは……一本の鉈だ。

 遼の背に、戦慄が走った。

 大きく振りかぶった右手が、御神体像の首を薙ぎ払う。真二つになった像は空中に跳ね上がり、弧を描いて湖に落ちた。

 その刹那、ずしり、と、鼓膜を震わせる轟音が地を揺るがせ湖面の水が大きく波立つ。

「しまったっ!」

 叫んだのは轟木か、冬也か、それともアキラか。

 衝撃に身を屈め、必死にボートにしがみついた遼には解らなかった。

 木の葉のように波に翻弄され、ともすれば引っ繰り返りそうになるボートに身体を支えて上体を起こすと、バランスを取って舳先に立つ優樹が黙って湖面を指さした。

「あっ……!」

 声を挙げた遼の目の前で、黒い塊がうねり、渦巻き、伸縮し、湖底から起ち上がってくる。

 信じられない光景だった……だが、これはヴィジョンではなく現実だ。

「冬也さん、早く桟橋に着けてくれ! 俺が行く!」

 優樹は、轟木と対峙した時のように美月を止められると思っているのだろう。

 可能性はある、しかし危険だ。

 遼は迷った、止めるべきか、止められるのか自分に?

 タールのような塊が、岸に届こうとしていた。

 ざわざわと蠢きながら何本かの筋状になり、陸へと這い上がっていく。

 クマザサの藪に到達すると、岸辺から陸の奥へと赤茶色に変色していく様が、不気味に拡がっていった。

 桟橋に日下部の姿はなかった、怪異に恐れを成して逃げたのだろう。

 ボートが桟橋に着いた途端、飛び降りた優樹が遼を見つめる。明らかにその瞳は「止めても無駄だ」と言っていた。

「僕もいく!」

 優樹は頷き、揺れるボートから降りる遼に手を貸した。

「我々の手に負える事態じゃない、女の子達を連れて逃げるんだ!」

 慌てた冬也が、止めようとしてボートから降りた。すると轟木が、後ろから腕を掴む。

「奴なら止められるかもしれん……我にも、貴様にも果たす事の出来ぬ所業だ。だが我らには見届ける責がある、何が起ころうともな」

 呆然と轟木を見つめていた冬也の表情に一瞬、影が差した。

「お前の言う通りだ、見届けよう」

 硬い声音に異質のものを感じ、遼は冬也を凝視する。

 しかし、不安と絶望が入り交じった瞳を宙に泳がせ、狼狽えているようにしか見えない。

 思い違いかと気を取り直し、冬也に引き留められた時間を惜しんで遼は踵を返した。だが、いつの間にかアキラに道を塞がれていた。

「まあ待てよ、勝算なしで二人に無茶はさせられないなぁ」

 穏やかな笑みに、刺すような眼差し。

 時折アキラが見せる一面は、相手を萎縮させる迫力があった。鼓動が跳ね上がり脇に冷たい汗が滲んだが、負けず対峙しようとする遼の前に優樹が進み出た。

「行かせてくれ、アキラ先輩。俺が美月さんを止める」

 脇をすり抜けようとした肩を、アキラが押さえる。どのような技なのか、優樹は動きを封じられて不快そうに眉を寄せた。

「冷静になれ、篠宮。相手は人間じゃない……本気で勝てると思っているのか?」

「アキラ先輩……それじゃあ俺は何だ? 人間なのか?」

 心配するアキラに向かい、自嘲するような笑みを浮かべた優樹に遼は目を見開いた。

「優樹……何を言い出すんだ!」

 優樹は、ゆっくりとアキラの手を肩から外しかぶりを振る。

「子供の頃から風を読み、天候の変化を言い当てる事が出来た。海を見て、潮の流れを知る事が出来た。誰でも出来る事だと思っていたけど、そうじゃなかった……俺だけが、みんなと違っていたんだ。なぜ俺には、自然の意志が解るんだろう? 俺は何者だ? そして……何の為に生きているんだ? 俺は確かめたいんだ……何が出来るか、何をすればいいのかを」

 優樹が自らの生のみならず、異能の苦しみさえ抑え込んでいたと知って遼の全身は震えた。

 今更ながらに自分の甘さを恨めしく思い、悔しさに歯噛みする。

 何度も、何度も優樹に救われてきた。

 だからこそ今、命を賭してでも優樹を助けたい。

 握りしめた拳に力を込め、アキラを押しのけようと前に出た時。

「勝算は……ある」

 轟木の言葉に気勢をそがれ、遼は困惑の面持ちで振り返った。

「へぇ……それにはちゃんと、根拠があるのかな」

 弟を見守る兄のように、優樹に注がれていたアキラの眼差しが一瞬の間に敵意に充ちる。

「篠宮優樹の力は未知数だが、邪を払い滅するに足るだろう。ただ、力に取り込まれて自滅する危うさがある……導き制する者がいなければならないのだ」

「貴様が、その役割をしてくれるってか?」

 アキラの視線をいなして轟木は、くっ、と喉を鳴らした。

「それは、我の任にあらず……抜き身の刀身を収める鞘として、選ばれし者は……」

 ゆっくりと轟木の手が上がる。ぴたりと止まった指先は、遼に向けられていた。

「僕が……?」

 突然の出来事に場の空気は凍り付き、轟木を除く全員が息を呑んだ。

「秋本遼、お前の声だけが篠宮優樹に届くのだ……お前ならば御する事が出来る」

 呆然として遼は、ただ優樹を見つめた。その視線を受け止めて、優樹が頷く。

「僕は……でも僕は……」

 無力だと、思っていた。

 だが自分に何かが出来るなら、どんなことであろうと優樹の力になりたかった。

 優樹を暗闇から引きずり出したい、昔の自分が優樹に助けられた時のように。

 轟木の言葉が真実ならば、出来るかもしれない。優樹が迷い求めるものに、答えを出す手助けが。

「まったく……お前らは危なっかしくて見ちゃいられないんだけどねぇ……」

 アキラが遼の頭を、ぽんと叩いた。

「以前、俺が言った言葉を覚えてるか? 秋本は、篠宮にとって重要な役割を持っているってね。轟木の言葉……信じてもいいかもしれない」

 遼には、アキラが自分自身に言い聞かせているように聞こえた。口元に笑みを浮かべながらも、真っ直ぐ見つめる瞳の中に遼は信頼を読み取った。

「アキラ先輩……」

「さてっと……どうやら俺の出番は、ここまでのようだな。向こうはお前達に任せて俺は、俺のやるべき事をやるよ。だが無茶はするんじゃないぞ、いいな? ヤバそうになったら、さっさと逃げるんだ。馬鹿な事を……しないと約束しろ」

「約束するよ、先輩!」

 アキラに向かって優樹が叫んだ。

「あー、篠宮の言葉は信用できないなぁ」

「約束します、アキラ先輩」

 笑いをかみ殺した遼の言葉に、アキラが破顔する。すると、嘲笑を含んで轟木が口を挟んだ。

「力の及ぶ限り、我が二人を守る。貴様は邪魔だ、命が惜しくば去るがいい」

「あいにく、一人で逃げるつもりはなくってね」

 挑戦的な返答を受けて、轟木は迷惑そうに眉根を寄せる。アキラの身までは守れないと言いたいのだろう。

 これから何が起こるか解らない、遼もアキラを巻き込む事は避けたかった。出来れば安全な所にいて欲しい。 

 遼の顔に不安を読み取ったのか、アキラが肩を竦めた。

「そんな顔するな、秋本。俺がやらなきゃいけないのは、お姫様達を安全なところに避難させる事だよ。心配ない、上手くやるからさ。だからお前も……」

 アキラの瞳が、確かな想いを語る。

「上手くやれ」

 力強く頷いて遼は、アキラに背を向けた。

 空を覆う膜のような雲に、血の色をした湖の色が映り緋色に染め上げる。

 ゆっくりと確実に、黒い塊は陸を浸食し緑の下草を赤銅色に変えていた。

 走る優樹に追いつき肩を並べた遼は、不思議と冷静な自分に驚いていた。何故かは解らない、しかし優樹から伝わる波動が何者にも負けない力を与えてくれる。

 確信に導かれ正面を見据えた遼の目に、怪しいほどに美しい美月の姿が映った。

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