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私立叢雲学園怪奇事件簿【第二部 魄王丸編】  作者: 来栖らいか
【第六章 修羅】
36/42

〔5〕

御神体の像を祀る祠に向かいながら、遼は辺りの景観が記憶と違う事に気が付いた。

 昨日来た時と何が違うのだろう……。

 注意深く観察すると、歩道両脇のクマザサが所々茶色く変色している。不思議に思い屈み込んだ遼は、変色した葉を持ち上げてみた。

「優樹、ちょっと待って」

 訝しそうに眉を寄せ、振り向いた優樹は只ならぬ様子に道を戻ると、隣から手元を覗き込む。

「トンボの幼生だ……羽化する直前だな」

 優樹の言った通り、確かにそれはトンボの幼生に似ていた。

 しかし、これほど大きく不気味な形態は未だかつて見た事がない。体長は十センチ以上あり、鮮やかに朱い頭の部分から、鋭い大きな顎が突きだしている。幾節にも分かれた胴体はビッシリと細かい毛に覆われ、乾いた血のような赤黒い色をしていた。

 クマザサの茎を揺すってみても、微動だにしない。冬也が折れた木の枝を拾い、クマザサの藪を掻き分けた。

「マゴタロウムシだ、ヘビトンボの幼生だよ。しかし何て大きさだ……変色したクマザサ全てに幼生が付いているなら、恐ろしい数だ。羽化したら一体……」

「羽化させてはならん!」

 轟木に威喝された冬也は、説明を乞うように不快な顔を向けた。轟木の正体を知らないのだ、無理もない。

「これは『蜻蛉鬼』に力を蓄えるもの……羽化を許せば、多くの犠牲者が出る」

 クマザサの茎から幼生を引き剥がし、轟木は踵で踏みつぶした。

 かなり殻が固いのだろう。ぎりぎりとコンクリートに摺り合わせると、ようやく耳障りな音と共に、どろりとした液体が靴底から流れ出してきた。

 途端、湖に漂っていたものと同じ腐臭が、強く鼻につく。

「轟木先輩は……こういった怪異に詳しいんです」

 その場しのぎに遼が説明すると、冬也は取り敢えず了解の仕草で手を挙げ幼生を観察する。

「定位してからの時間が、どれくらい経っているか解らないが……羽化が始まったら二・三時間で未熟成虫になる。暫くは飛行範囲も短く、摂食しながら成虫になるんだよ。この数のヘビトンボが餌を探すとなると……」

 はっとした冬也の顔に、恐怖の色が浮かぶ。

 言わずとも、その場の空気に緊張感が満ちた。

「こいつらを駆除するのは骨が折れそうだねぇ……焼き払うのが、手っ取り早い方法かな。揮発性の高い……ガソリンを撒いて火をつければ、始末できるだろう」

 目を細め、アキラが事も無げに呟いた。

 理に適ってはいるが、どこまでも得体の知れない人だと遼は苦笑する。

「ガレージに、ボート用のガソリンがある。御神体像を洞窟に戻したら、須刈君の言う通り火を放とう」

 冬也の発言を受け、優樹が石段を駆け登った。

 その速さについて行けず、息を切らせながら追いかけた遼は、頂から降る痛恨の声を聞く。

「くそっ、間に合わなかったっ!」

 急ぎ頂に辿り着くと祠を睨む優樹の横に立ち、臍を噛む思いで開け放たれた扉を見つめた。

「誰かが先に、御神体像を持ち去ったんだ」

 誰か? 問うまでもない……美月だ。

「急いで戻ろう……戻って美月さんに……」

 その先の言葉に詰まり、優樹は苦渋に顔を歪めた。

 誰も傷つけたくないと思いながら、叶わぬ現実に苦しんでいるのだ。

 遼は優樹と向かい合い、その肩をしっかりと掴んだ。

「まだ間に合う、大丈夫だ」

 今ここで、優樹が負けるわけにはいかない。

 自分の力が及ばずに、誰かが傷つき、悲しみ、失う事があれば、今度こそ優樹は己の闇から抜け出せなくなるような気がした。

 必ず救ってみせると、遼は肩を掴んだ手に力を込めた。

「だが、もはや一刻の猶予もならん……覚悟しておけ篠宮優樹。『蜻蛉鬼』が蘇りし場合は、貴様がその手で美月を殺すのだ」

 轟木の無機質な声に、優樹の身体が強ばる。遼は轟木を睨め上げると、拳を眼前に突き出した。

「そんな事、僕がさせるものか」

 遼の行動を意外に思ったのか、轟木は一瞬、驚いたように目を見開いた。が、すぐに嘲るような笑みを浮かべる。

「では、どれほどのものか見せて貰うとしよう……容易くはないぞ」

 踵を返した轟木に、なお言い募ろうとした遼の拳を両手で包み込み、アキラが笑った。

「やめとけ、秋本。あいつは、お前達を試してるんだよ、目にもの見せてやりゃあいいさ」

「アキラ先輩……」

「お前達なら出来ると、俺は信じている。さて……っと、善は急げだ。行くぞ!」

 アキラに促され、視線を交わした優樹の瞳が僅かに迷い揺らめいた。しかし、すぐに決意の色に変わる。

 何が起きようと、負けるものか……!

 優樹は必ず、優樹の望む結果をやり遂げる。

 その為に自分が、仲間が、力を貸す事が出来るはずだ。

 遼の脇を優樹が疾風のように駆け抜けていった。ちらりと振り返った顔に自信の笑みを見た気がして、遼の胸に希望が灯った。

 湖に出ると、島の廻りだけにあった赤銅色の水が徐々に広がりつつある様が見て取れた。

 漂う腐臭は強さを増し、つい数時間前まで明るく美しかった青空は淀んだ灰色の雲に覆われている。

 まだ日が高い時間のはずが、西日のような緋色の斑模様が不気味に浮かび上がっていた。

「嫌な風だな……大気が腐っているみたいだ」

 吐き捨てるように呟いた優樹に、同意して遼は頷く。

 ボートが対岸が近付くにつれ、木々の間から覗く『美月荘』の赤い屋根が徐々に大きくなる。

 桟橋に、既に立ち去ったと思っていた日下部の姿を確認した時……。視界の端に動きを捉えて、遼は目を懲らした。

 その場所は、遼が湖をスケッチしようとした場所……。

 美月がお気に入りだと微笑みながら語った岩の上に、もう一つの人影が立つ。

「美月さんが……いた」

 硬く乾いた声で、遼は呟いた。

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