表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私立叢雲学園怪奇事件簿【第二部 魄王丸編】  作者: 来栖らいか
【第六章 修羅】
34/42

〔3〕

 日下部の動揺が手に取るように伝わり、秋本遼の胸には嘗ての怒りを忘れた同情心が湧き上がっていた。

 鳥羽山がどのような人間であれ、こんな形で命を奪われていいわけがない。

 その上、死因が化け物に喰われた為と言われれば、普通なら怒り疑いを持つのが当たり前だろう……。

 ブナ林から遊歩道におりた緒永冬也は、鳥羽山を一瞥すると両手で顔を覆い唸るように呟いた。

「やはり『蜻蛉鬼』が、化け物の正体か……!」

 冬也の言葉に、遼は固唾をのんだ。

『蜻蛉鬼』を封じる結界を守った園部家の末裔となれば、伝承を信じる気持ちがあっても不思議はない。しかし冬也は、むしろその伝承を笑い、興味の無い素振りさえ見せていた。

「冬也さん、あなたはまさか……まさか最初から知っていたんじゃないでしょうね、この湖での怪異が『蜻蛉鬼』の仕業だと」

 ゆっくりと顔から手を下ろした冬也は、遼に苦渋に満ちた顔を向け頷いた。

「最初から……いや、果たしていつからが始まりだったのか……確証がなかった。だが、湖に何かが棲んでいると気付いた時には、もう遅かったんだよ……私には、どうすればいいか解らなかった……」

「詳しく教えて下さい、僕らには……いえ、日下部さんにも聞く権利がある」

 遼が詰め寄ると、冬也は力なく膝を折り砂地にくずおれた。

「犠牲者は出ないと思ったんだ……君達、『叢雲学園』の生徒は私の友人だから安全だと思っていた。だが、鳥羽山さんは……」

「冬也さんの友人なら安全……?」

 はっとして遼は、冬也に駆け寄り膝をついた。

「あなたには解っていた……怪異を呼び起こしたのが、誰なのかを」

 無言で俯く冬也の肩が震え、全てを物語る。

「身体の弱かったあの子は、子供の頃よく友達から仲間はずれにされていた。この土地の子供達は野山で自然を相手に遊ぶことが多いから、あの子の為に行動範囲が狭まることを嫌ったんだ。しかし親たちに一緒に遊んであげるようにと言われて、かえって疎まれ恨まれるようになった。その子供達の中に、ひときわ活動的で皆を先導する男の子がいてね……」

 一度言葉を切り、深く息を吸った冬也に遼は、悲劇を予感した。

「ある時その男の子は、身体の弱いあの子を遊びに誘い、山の奥深いところでわざと置き去りにした。他愛のない悪戯だった……男の子は他の子に頼んで、すぐに私に教えるように言ったそうだからね。だけど私が迎えに行った時、あの子は蒼白な顔で自分を失っていた……」

「美月さん……のことですね」

 遼が美月の名を口にした途端、冬也はびくりと身を固くした。

 その背は今までになく弱々しく見えて、普段の覇気ある姿は微塵も感じることが出来ない。

 無言で立ち上がった冬也は、落ち着きを取り戻した顔で湖の向こう『秋月島』に目を向けた。

「美月の身体は死人のように冷たく硬かった……だが額は焼けるように熱く、目は赤く淀んだ色をしていたよ。救急車でふもとの病院に運んで医者に診せたところ、ショック症状だと言われて三日ほど入院したが……退院する日になって置き去りにした男の子が父親と謝りに来たんだ。私は怒りのあまり年下の、その子に殴りかかった。慌てて親父が止めたけど、気持ちが収まらずに『美月は死ぬところだったんだぞ、お前が死んでしまえ』と暴言を吐いたんだ。それから一週間後、男の子は行方不明になり無惨な死体となって湖から引き上げられた」

 鳥羽山の死体に目を向け、次に向き直った冬也の瞳は全ての感情を失ったかのように無機質な光を帯びていた。

 覚悟を決めた目だ、即座に理解した遼は緊張に身を硬くして次の言葉を待った。

「私は……男の子の死因に美月が関係している気がした。だが、まだ子供だった私は死を悼むどころか当然の報いとさえ思い、胸にしまっておいた。誰かに話す必要もなかったし、話したところで信じてはもらえないだろうからね。ところが犠牲者は、それだけでは済まなかった……」

 緊迫した空気が場を満たす。

 半信半疑の面持ちで聞いていた日下部さえ、真一文字に結んだ唇が今や蒼白になっている。

「郷田さんの恋人が亡くなったときも、あなたは見て見ぬふりをしていたんですか」

 咎める口調の遼には応えず、冬也は踵を返した。

「美月と、話をしてくる」

「待ってくれ!」

 遮るように飛び出した優樹が、冬也を睨み付ける。

「『蜻蛉鬼』の仕業が、本当に美月さんが望んでいた事とは限らないじゃないか! 誰だって恨んだり嫉んだりする事くらいある、殺したいほど憎む事だってある。だけど……だけど、その気持ちを抑える事が必ず出来るはずなんだ。美月さんは『蜻蛉鬼』に利用されていただけだ……『蜻蛉鬼』の力は、俺たちで封じてみせる! 美月さんに話すのは、その後にして欲しいんだ!」

 幼い頃に優樹が体験した出来事を知った遼は、その気持ちが痛いほど解った。

 孤独に押し潰されそうになれば、誰でも何かにすがりたくなるだろう。その時、美月の心に介在した闇に『蜻蛉鬼』が付け込んだに違いないのだ。

 しかし美月でなければいけない何かが、在ったのだろうか……。

「お願いです冬也さん、優樹の言う事を聞いてやって下さい。今、美月さんを追いつめるのは得策ではないと僕も思います」

「遼君……私は気が付いていながら、この土地から逃げたんだよ。あの子を守れなかった、だから何も言えなかった……今まで見過ごしてきた責任がある。止めるのは、私の役目だ」

「今更……勝手な事を言わないで下さい。あなたが解決できるという、自信があるんですか?」

「それは……」

 言葉に詰まった冬也を追いつめるように、遼は前に進み出た。

「美月さんの心は、暗い山に置いてきぼりにされたままなんです。なのに冬也さんは手を差し伸べずに、突き放すつもりなんですか? 美月さんを『蜻蛉鬼』から切り離さなくちゃいけない、優樹にはそれが出来る。優樹を信じて下さい」

 遼には確信があった。

 己の闇を抑え込み、辛さに耐えながらも他人の闇を優しさで包む事が出来る。

 だからこそ優樹は強いのだ、美月を救えるのは優樹しかいない。

 戸惑った表情で冬也は、その場の全員を見渡した。

「私は、恐かったんだ。一人でこの土地に帰り、美月に会う自信がなかった。一ヶ月ほど前、郷田君から及川君との婚約を聞いた私は、美月を湖から遠ざけようと決意した。同じ悲劇が繰り返される事を恐れたんだ……。相次ぐ怪事件で客足が遠のいたのは好都合だった、君達なら美月に笑顔を取り戻させてくれる、そうすれば他の土地に出る気になるかもしれない、そう期待したんだ」

「湖から離れるように、言ったんですね?」

 顔を伏せた冬也の足下に、一滴の液体が黒い染みを作った。

 涙かと遼は思ったが、違った。

「美月は……この土地を離れるつもりはないと言った。望むものを手に入れるまでは、決して動かないと……」

 冬也の顎から滴り落ちていたのは、血だ。

 噛み切られた唇から細い筋となり、足下の砂利に血溜まりをつくる。

 声にならない魂の慟哭が聞こえて、遼は顔を背けた。冬也が妹の美月を、いかに想い、愛しているかが解るからだった。

「ふざけんじゃねぇ!」

 突然、大声を張り上げた日下部が冬也の襟首を掴んだ。

「ふざけんじゃねぇ……まったくよぉ……ふざけんじゃねぇぞっ! てめぇと、あの女のせいで鳥羽山は死んだってのかっ? てめぇら二人纏めてぶっ殺してやる!」

 ぎりぎりと首を締め上げられ、顔面蒼白になりながらも冬也は抵抗しようとはせずに目を瞑った。

 日下部の怒りを享受し、死で償うつもりなのか? 

 慌てた遼が止めに入るよりも早く、優樹が日下部の腕を掴む。

「やめろ、冬也さんを責めるのは筋違いだ」

 ここで二人が争う事になれば、身体を張ってでも止めるつもりで遼は身構えた。しかし意外にも日下部は反撃せず、おとなしく冬也から手を離した。

「ああ、その通りだ……まずは化け物をぶっ潰すのが先だな。だがよぉ、覚えておきな! てめぇと、あの女に責任がないとは言わせねぇぞ、必ず落とし前はつけて貰うからなぁ……!」

「責任で言うなら、日下部さんはどうなんです? 鳥羽山さんが湖に来たのは、何か目的があったんでしょう?」

 遼は優樹の横に並ぶと、きっちり日下部を見据える。

「……なん……だと?」

「鳥羽山さんは、あなたと落ち合うために桟橋に来た。そして……『蜻蛉鬼』に喰われたんだ」

「どういう意味だ?」

 日下部が顔色を変えると、遼の目配せで優樹は手を離した。

「僕は見た、昨夜ここで何があったかを」

 佐野の話を聞いて現場に着いた途端、遼は酷い眩暈を覚えたのだ。

 忌み嫌いながらも、その役割に必要性を感じつつある特別な力……ヴィジョンが伝えた、凄惨な光景。

「貴様、鳥羽山が殺されるのを黙って見てやがったのかっ!」

「その場に、いたわけじゃない」

「どいつもこいつも……訳わかんねぇこと言いやがって……」

「日下部さん、あなた達は『秋月島』に祀ってある御神体の女人像を、盗もうとしたんですか?」

 遼は敢えて言い切ると、日下部の出方を伺う。

 古美術商を名乗っていたが、胡散臭さが拭えなかった。恐らく間違いない。

 だが日下部は表情を変えず、黙していた。焦れてなお、問いつめようとする遼の肩に優樹が手を置く。

「後にしろ、遼。急いだ方がいい」

「……わかった」

 素直に引き下がった遼は、呆然と立ちつくしている冬也に向き直る。

「冬也さん、我々を『秋月島』に連れて行って下さい」

「島に……? そこで何を?」

「『蜻蛉鬼』を封じていた御神体像を、元の場所に戻すんです」

 すぐに思い当たったのだろう冬也は、そうか、と頷く。

 自分がやるべき事を知り、その表情に覇気が戻った。

「ボートで待っていてくれ、すぐにキーを取ってくる!」

 走り去る冬也を見送り、遼はアキラと轟木に続いてボートに乗り込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ