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私立叢雲学園怪奇事件簿【第二部 魄王丸編】  作者: 来栖らいか
【第六章 修羅】
33/42

〔2〕

 かつて人の姿をしていたであろう無惨な残骸は、とても直視に耐えられる物ではなかった。

 日下部は、胃に再び込み上げてきた不快感を無理矢理抑え込み、上着を脱いで肉塊に被せる。辛うじて鳥羽山と判別できる物は、派手な色のシャツと顔の一部。そして片方だけ残った腕に巻かれた、安物の時計だけだった。

 下半身はなく、上体も、あらかた白骨がむき出しになっている。時間が無くて食べ残した残飯……そんな哀れな形容が似合うような姿だった。

 駆けつけてきたオーナーの息子、緒永冬也の手を借り岸に引き上げたとき、二人とも嘔吐を堪えることが出来なかった。

 警察に連絡するため冬也が立ち去ると、胸に喪失感が去来した。

 日下部としては警察沙汰を避けたかったが、短い間とはいえ自分を慕ってくれた舎弟のために出来る限りのことはしてやらねばならない。それが役目だと心に言い聞かせた。

 短絡的で激高しやすく小心者の鳥羽山が、このまま暴力団の使い走りをしていればいつかは命を落とすことになると容易に予想できた。成り行きと同情心から面倒を見ることになったが、ただ何かと便利に使っていただけで特に可愛がっていたわけではない。

 しかし「兄貴、兄貴」と慕われれば少なからず情も湧き、今になって思えばそんなに悪いやつではなかったなと、込み上げてきた熱い物を日下部はぐっと飲み込んだ。

 この時ほど、入所以来やめていたタバコが欲しいと思ったことはない。

 昨日は日暮れ前から雲行きが悪く、雨が降り出す前に目的を果たしたかった日下部は、暗くなるのを待ってすぐに鳥羽山を待たせている桟橋に来た。

 当たりをつけて声を掛けたが、返事はなく人の気配もない。

 鳥羽山は命令を忠実に守る男だ、もしや何かあったかのだろうかと不安に思う頃になって雨が降り出し、予想外に激しさを増すと身体は冷えて奥歯が鳴り出す。

 仕方なく日下部は『美月荘』に戻り、待機する事に決めたのだ。

 それにしても鳥羽山を、こんな目に遭わせたのは一体何だ? 

 一瞬、得体の知れない殺意を内に秘めた例の学生を思い浮かべ、すぐに否定する。どう考えても、人間の仕業ではなかった。

 日下部の脳裏を、未知なる恐怖が覆う。

『秋月湖』は山中の淡水湖だ、映画に出てくるような人喰鮫がいるはずもない。では、噂に聞いた化け物が、実在するとでも言うのか……。

 陽光に煌めく湖面は、まるで現実を忘れそうになるほど美しかった。高原の鳥がさえずり、涼しい風が木々の葉を震わせる。

 人間を喰らうような化け物が棲んでいるとは、到底思えない景観だ。

 だが足下に目をやれば、容赦のない現実があった。

 奇妙なことに最初の衝撃は薄らぎ、日下部は冷静に鳥羽山の死体を観察していた。

 上着で覆い隠しきれなかった腕の部分は、湖の水で奇麗に洗われ生々しさもなく白い蝋細工のようにも見える。

 ふと、その手が握りしめた黒い物体に気がつき、硬直した指を無理に開いてみた。

「何だ……これは、虫か……?」

 乾いた血のように赤黒く、幾つもの節をもった体長6センチほどの虫が体をくねらせ、鋭い顎で日下部の指に噛みついた。

「うっ、わっ!」

 思い切り手を振り払うと、指から離れた虫はポチャンと湖に落ちる。

 噛まれた痕を見れば、深く皮膚が食い破られ、血が止めどなく流れ出していた。

 舌打ちして日下部は、ハンカチで指をきつく縛る。

 トンボの幼虫のようでもあったが、あれほど大きく凶暴な虫は見たことがない。

 昨夜の雨で桟橋から足を滑らせ、湖で溺れたところを虫に喰われたのか?

 それにしても、足下から這い上がってきたような喰われ方はどうにも不自然だ。

 考え込んで辺りに気を配ることを忘れていると突然、背後から名前を呼ばれて日下部は心臓が止まりそうに驚いた。

 振り返ってみれば鳥羽山が優樹という学生と殴り合いをした時、仲裁に入った青年が神妙な顔で立っている。数人の学生達も一緒だ。

 あの時は、才気走った目が気にくわない男だと思ったが、どうやら学生達の中でリーダーを務めているらしい。

「まさか……こんな事になって、掛ける言葉もありません……」

「君は……須刈君だったかな? お気遣いは有り難いが、興味本位で子供の見る物じゃない。警察が来るまで、ここは私一人でいいから君たちはコテージにいたまえ」

 苦々しい面持ちで追い払うと、後ろから進み出た少年が物怖じすること無く日下部を睨み付けた。

 すんなり立ち去りそうもない雰囲気に、大きく溜息を吐く。

「優樹君……怪我の具合はどうだね? 見たところかなり回復しているようだが、俺としちゃあ詫びるつもりはない。ところで念のため聞いておくが、昨夜は鳥羽山に会っていないだろうな」

 後ろにいた優しい面立ちの少年が、むっとした顔で代わりに答えようとすると篠宮優樹が遮るように手を挙げた。

「いいんだ、遼。鳥羽山さんとは、あの時以来会ってない……だけど、この人が死んだのは俺のせいだ。怪我なんか、どうってことない」

 日下部は、しばらく言葉に詰まり次に呆れた顔になると、真剣な表情の優樹をまじまじと見つめた。

「君に殴られたくらいで鳥羽山が死ぬ事はないよ。見ての通り、こいつは……」

 言い掛けて、どう説明するべきか迷う。

 大人びた外見をしていても相手は子供だ、子供相手に死体を見せない良識くらい、日下部も持ち合わせていた。

 だがなぜだろう、優樹という少年には抗いがたい威圧感があり、偽りや欺瞞を語ることが許されない気がするのだ。

「ああ、何でもない……とにかく後は、警察に任せたまえ。それより女の子達が不安に思っているだろうから、側にいてあげた方が良いだろう」

 しかし日下部の言葉に引き下がろうとはせず、須刈アキラがなおも進み出る。

「彼女たちには佐野が付いています。日下部さん、我々は鳥羽山さんの死因を確かめなければならないんです。死体を……見せてもらえませんか」

「死因を確かめるだと? ……利いた風な事を言いやがる」

 生意気な態度が腹に据えかね凄みを利かせると、相手は怯むどころか真っ直ぐその視線と対峙した。

 肝の据わったヤツだと胸に呟き、日下部は苦笑する。

「とにかく……ガキの出る幕じゃねぇんだ、鳥羽山のことは警察が……」

「警察は、何も出来ない」

「何も出来ないとは、どういう意味だ?」

 訝りながら尋ねると、須刈アキラは顔を曇らせた。

「鳥羽山さんは……湖に棲んでいる化け物、『蜻蛉鬼』に喰われたのかもしれない」

「化け物に、喰われた……?」

 意想外の言葉に日下部は、高々と笑い声を上げていた。

「この湖に、化け物がいるのか! それは確かに警察の手に負えないだろうなぁ……では自衛隊でも呼んでくるか? それとも坊主か、神主がいいかね? くだらん話だ、現実を漫画やゲームと一緒にしないでくれたまえ!」

 怒りに駆られ、手が出そうになるのを堅く拳を握ることで堪えたが、律しきれない奮えが走る。

 荒唐無稽と頭で否定しつつ、その話に不思議と真実の匂いを感じる自分に戸惑っているのだ。

 彼らの話を信じるに値する鳥羽山の死体を見て、日下部の思考は錯綜した。

「……もしも君等の言うことが本当だとしたら、その化け物とはいったい何だ? 『人喰い湖』の噂は、その化け物の仕業と言うことか? 鳥羽山を殺した奴の正体を、知っているんだな?」

 取り敢えず話を聞いてみようと、日下部が須刈アキラの出方を伺い見た時。

「私にも聞かせて貰いたい、化け物の正体を。そして……君達が何をするつもりなのかを」

 厳しい表情の緒永冬也が、ブナ林から姿を現した。

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